昨日ランチをした友人が貸してくれた本が面白くて一気に読んでいる(まだ途中だけど)。

「死ぬ瞬間」と死後の生 (中公文庫)


著者は精神科医のキューブラー・ロスというスイス人。

死ぬ瞬間を切り取って突き詰めることによって、
生き抜くことについて掘り下げている感じ。

コーチとしての私にとって、
個人的に興味のあるテーマや内容がものすごくたくさん書いてある。

中でも途中ながら、は~と思ったのは「象徴言語」というもの。

著者によると、子供はもっぱらこの言語を使ってコミュニケーションするらしい。

言葉による象徴言語と、言葉によらないものとあって、
言葉によらないのは、例えば絵。

キューブラーは精神科医として、
精神病の患者や、あるいは親が瀕死の状態にある子供などに、
絵を描かせることによって、彼らの心の中を理解することができるそう。

言葉によるものは、寓話とか、ダイレクトに表現しないで伝えるやりかた。
普段の会話で、私たちが使っている、暗にほのめかす、ってやつもそれかなあ。

理解する気がなければ理解できない、というようなことが書いてある。

同じことを言っても、わかってもらえる時や相手と、
まったく言葉が通じない相手がいるもんね。

最近聞きかじったばかりの浅知恵で、
まだそのことが書いてある本は手元にツン読状態ですが、

対話(ダイアローグ Dialogue)という言葉の語源は、
「意味が流れる」というのだそう。

単語だけのやりとりでは対話にはならない。
そこに意味があってこそ共感できるとか、そういうこと。

そんな話しを聞いたばかりで、象徴言語のことを読んだので、
言葉にならない言葉を伝える手段・・・、なんとなくわかるような気になっている。

でも、きっと今の私では、その表面をなぞっている程度で
キューブラーさんが伝えたい「意味」は100万文の一もわかってないんだろうなあ。

表現の講師をする際に「伝わるように伝えるんじゃ!」とさんざん言ってるけど、
受け取る側の能力も大きいというのも事実。

は~。コミュニケーションって難しい・・・。

だからこそ面白いんだけど。

さしあたって努力すべきは、
タケルが訴える象徴言語を理解しようとすることかなあ。

なかなかわかってあげられない、ダメママなんだけど~。

でも、理解しようとすることがまずは大事だよね。
キューブラーさんも、聞いてあげましょう、って言ってるもんな。