数多の作品が犇めく今期のアニメシーンにおいて、一種独特の静謐さで異彩を放っているのが『終末ツーリング』だ。これは単なるポストアポカリプスものではなく、むしろ「終末紀行譚」とでも呼ぶべき、新たな地平を切り拓く一作と言えよう。

 

その世界観の提示は、先週放送された第一話の冒頭に凝縮されていた。箱根ターンパイクを駆け上がるにつれて文明の音が遠ざかり、時間が反転していくかのようなあのシークエンス。あれは現代という喧騒を脱ぎ捨てるための、一種の**通過儀礼(イニシエーション)**ではなかったか。我々の誰もが心の奥底で願う「文明のコンセントを抜く」という欲望を、静かに肯定してみせる巧みな演出であった。

 

 

 

そして、その儀式を加速させるのが、本作のオープニングである。短いフレーズで畳みかけるように韻を踏む歌詞――「旅に出る度/ハイウェイ/バイウェイ/ワンウェイ」――は、さながら日本古来の五七五の音律を彷彿とさせ、心地よいテンポで我々を作品世界へといざなう。このリリシズムこそが、本作の基調を決定づけている。

 

あのターンパイクの向こう側――すなわち「文明が抜かれた」世界を生きる主人公ヨーコとアイリは、我々が定義する「人間」の範疇にない存在なのではないか。仮に人間だとしても、それは宮崎駿が『風の谷のナウシカ』の終盤で提示した「墓所の主」たる新人類のような、我々旧人類とは根本的に異なる生命体なのだろう。彼女たちの達観した佇まいは、思春期特有の情動の嵐――いわゆる「青春ブタ野郎」的な葛藤とは無縁の、ある種の完成された「悟り」の境地を思わせる。

ゆえに本作の受容スタイルは、物語を性急に消費する「一気見」とは対極にある。これはブライアン・イーノの提唱した「環境音楽(アンビエント・ミュージック)」に近い。週に一度、定点観測のようにその世界に触れ、エンディング後の静かな余韻まで味わい尽くす。それこそが、この作品に対する最も誠実な向き合い方と言えるだろう。

 

奇しくも、この静謐な作品が放送されるのは、『青春ブタ野郎』シリーズと同じ土曜深夜枠だ。オープニングアーティストも共通しながら、その楽曲アプローチは全く異なる。「舌がなくても」のような、内面の脆さを抉るような鋭利な言葉はここにはない。

その『青ブタ』にしても、新たな動きがあった。大学生編のエンディングテーマ「水平線は僕の古傷」のフルバージョンが、二種類のCV違いで配信されたのだ。高校生編のヒロインから大学生編のヒロインへとキャストを完全に刷新する構成は、見事な世代交代を印象付ける。もちろん、これだけの人気声優を揃えること自体が、ある種の「祝祭性」を演出する巧みな戦略に他ならない。

この二つのバージョンは、来るべき劇場版への布石と見るべきだろう。おそらくスクリーンでは、これらを統合し、さらに物語のキーパーソンを加えた「完全版」とも言うべきエンディングが、我々を待ち受けているに違いない。