16. 真理の扉 〜カルマについて締めくくり〜 | 桜咲くらんど 〜真理の扉〜

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お朔日の神々様からのメッセージや真理の扉として宇宙の真理をお伝えしています

16. 真理の扉   〜カルマについて締めくくり〜



神『今日は、僕に代わって弥勒菩薩様が語られるので、よく聴いていてね』


私『弥勒菩薩様が!?嬉しいわぁ!

お願いします!』


弥『ご機嫌よう これまでカルマについて学んで来られた様子ですね 


その締めくくりとして今回は私が語らせて頂きます 少し長くはなりますが、ゆっくりと聴いて下さい


日本古来の神々は これまでは少々不自由でありましたが ようやく本来の自由を取り戻し


神々の真の姿と共に この国の人々の霊性・神性もまた再び取り戻す時がやっと来ました


皆様の魂の上でも様々な成就を成すべく


これから 因果応報の巡りの風が強まってきます  


人が誰も見ていなかった 良き行い悪しき行い


その全ての行いを 我らやお天道様は必ず見ていました


これまで過去に成した全てが 自らにかえってくるマワリテメグル宇宙の愛の仕組み


大浄化の流れ 押し寄せる時が来ました 

この仕組みは 誰にも逃れることは出来ません


ただ恐れる必要はありません


人生に起こる全ての事柄は、カルマを解消し 真に戻る為に必要必然にと起こっていること


本来は苦しむ為のものではなく 


逆に 執着やエゴを手放し 本当の幸せに導く為に起こる事なのです


だから どんな事が起きても安心していて下さい


カルマというものは、カルマを生み出した時に与えた想いと同じ状況を経験をする事と


その経験から自らの愛を呼び起こす事


この2つにより解消されます


これから因果応報の風に 自暴自棄になったり塞ぎ込んだりしてしまいそうな時には


その痛みや苦しみを味わう事で カルマが解消されているんだと 先ずは自らを癒して下さい


そしてその出来事から 自身のかけ違えに気づく点検をしたり 愛を呼び起こす事に繋げて下さい


(因果応報の出来事は、)悲劇ではなく活かす事が望ましいのです


愛の仕組みからすれば 困難や苦難・病気という形での因果応報の巡りは


本来は 魂にとっては真の愛の姿に戻る為の ありがたい事であり


人にとっては苦しみと感じるものです


はたしてどれほどの人が その巡りを愛と受けとめることが叶いましょうか


因果応報の巡りは 決して 神が制裁として成している訳ではないという事を知って下さい


よく 罰を与えられた (や神なんかいない)と言う方がおられますが それは違うのです


因果応報の巡りは カルマを解消したり 

調和の愛に戻る為の宇宙の仕組みであり


季節がめぐる四季のような自然の摂理でもあります


人の行いや想念が まわりまわって自らに巡る必要必然な仕組みなのです


神やご先祖さまは 皆、一様に 人々がカルマによって巡る出来事を気づきや改めに活かし


またその巡りを愛で捉え乗り越えられるように応援し寄り添い見守っている存在なのです


その存在なのですから


神さまお赦しください 

困難を退けてください 

どうか助けてください

 

などと お頼み申す方々は 神という存在を

かけ違えた人の概念による姿であり


未だ 困った時の神頼みにて 難を逃れられると信じ偶像崇拝をする 人の姿も少なくないのです


もし高額なお金を要求し難を取り除いてさしあげましょう などと申す方がいたならば


それは宇宙の仕組みを知らぬ無知で傲慢な人の姿であり 


自分の利益や支配欲を満たすために人の弱みにつけこみ 


人を依存させる という多大なカルマを積む姿とまた繋がるのです


なしたが還る 因果応報の仕組みを知り 自らのカルマを受け入れ 


痛みや苦しみを体験し気づきを得る事以外 カルマの精算をすることは出来ず 


ましてや誰かに自らのカルマを取り除いてもらう事では決してないのです

 

もし宇宙の愛に気づかずに  ただ 自分の痛みから見たことだけで 出来事を受けとめ 


誰かのせいにしたり神頼みでカルマを無くしてもらおうとする依存の意識では 


カルマの精算はされず また同じような

困難・苦難が繰り返される仕組みなのです


この宇宙の真理を知ったならば、愛で乗り越える覚悟を持つことなのです


ただここで誤って捉えていけないのは


因果応報の巡りは 決して 成した事に対する罰ではないという事


人に苦難といった痛みとして巡る出来事は、真の自分に戻る為に起こっている愛の出来事だという事なのです


調和から離れた自分や周りを苦しめ抱く必要のない頑なな思いを手放し 


心が軽く 楽にとなり 幸せになる為にあり


愛という大調和の心をとり戻す為に起こっていると気付かねば 


人生の困難 苦難は ただ苦しみや悲しみを積む罰のような出来事となってしまいます


決して罰ではなく、愛の出来事であることを覚えていて下さい


また善良な人々は 過去になしたカルマや 自分の過ち 掛け違えが何であるかは分からないが


何かある事には違いないと 罪滅ぼしの思いにて徳積みや善行をなすお方もおられます


確かに 徳積みや善行は尊き姿にはございます


されど、それだけでは 自らのカルマの精算はゼロとはならないのです


分かりやすく言えば


自身のカルマの中枢の愛から離れた想いに気付かない限り 


ある水準以下には、カルマを減らす事は出来ず


カルマの真髄 自身の愛から離れた心に気付かそうとする仕組みが 


因果応報の仕組みでなのです


その心に気づかない限り〝徳積みや善行でカルマをゼロにする〟という事をなすわけにはいかぬのです


だからと言って真髄に繋がらない 徳積みや善行が無駄というわけでは もちろんありません


その尊い行いは ちゃんと別なる次元にて貯金され いつか 自らに巡るものとなります


今世に於いて 自身の真の幸せを阻む心や姿に気付いてこそ徳積みや善行による 


嬉しい因果応報の巡りも 喜びとして受けとめられるというものなのです


これから強まる 因果応報の巡りの風を

ただ苦しみとうけとめる事なく


先ずはカルマとして受け入れ 改めや気づきに活かす心が持てますように


ただ余裕のない心では、真我の心にて自らの過ちに気づく事は叶いませんから


日頃から無理をしたり 〇〇しなければならないなどの強めた思いは どうか緩め


素直な自分の心に添って生きることを許可し ゆとりと 楽しむ心で過ごしていてください


何事も 加減やバランスを大切に調和であることを心がけていてください


その素直で心地よき心の波動が カルマやトラウマの昇華へ より早く繋ぎましょう


どうか安心と信頼の心にて その風を抗うことなく受けとめ 自らのエゴに気づき 


心の解放へと導きなすこと叶いますよう


1人でも多くの魂が 自らの力にて 自らを救いの道へ導くことが叶いますよう祈り見守っています


それでは、またお会いできることを楽しみにしています』


神『弥勒菩薩様の語りは ここまでだけど、どうだった?』


私『今までの神様のカルマや因果応報、徳積みのことが、より深く理解 出来た気がするわ 


今日は、ありがとうございました!』


神『それは良かった 宇宙の真理には、まだまだ学ぶべきことがあるよ


これから また一緒に学んで行こうね!』



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