「般若心経」は数あるお経の中でも一番短いものだとされており、本文僅か262文字、題号を入れて272字しか有りません。比較的仏教の各宗派において読まれているお経です。

「般若心経」は、私の中学生時代から両親が毎日祭壇に向かい唱えておりましたので、馴染みがあるお経ではありました。

大学生時代だったでしょうか?。祖母の兄に当たる人が70歳は超えていたでしょうか、日々「般若心経」の写経を初め、見せて頂く度に毛筆の字が上達されていたことに引かれました。

その方から手本を頂き、毛筆(中筆)の稽古のつもりで始めたのが写経の切っ掛けでした。

以後、意味するところを理解するわけでも無く、また、お経を暗記し唱えることも無かったですが、ただ、手本を見ながら書くだけのことでした。

後、一枚の半紙に272字が写せる手本に代えて、写経(小筆)は思いに任せ続けておりました。

40歳代で茶道を学ぶ者として、幸せなことに大徳寺で得度を受ける機会を得ました。その折り「三帰十戒」を和尚様に誓いながらも守れていない身として、せめて「般若心経」の写経を今まで以上に行うことで得度を受けたことに対する身の処し方とし、また、お経も覚えました。

私の目標とする日課は、朝に薄茶を点て祖母の遺影に供えること。仏壇の両親には般若心経を唱えてから朝食を取ることとしております。このところ、写経は週に1~2回程度になってしまっています。

市役所退職後に、習字を学び始めましたが、年1回の先生門下の発表会には「般若心経」を作品として出品しております。毎回様式を代えての作品ですが。

今回も、発表会が近づき、今回は1枚の半紙に行書で15字を書き、全19枚となる少し大きめの作品。荒が目立つことにもなりますが、現在先生の指導を頂きながら頑張っております。

茶室で静かにお茶をしておれば雑念が無くなるでしょうと言われますが、家元の稽古場に座している時やお茶に対する取り組み姿勢が同じ思いの先輩先生と話をしている時は、確かに心が洗われる思いが致します。
でも、朱で書いて頂いた習字の先生の手本を見ながら写経をする折りも、雑念無く心静かに時を過ごせています。

茶道と書道(写経)は、(これからの人生において、飲むこと以上に)楽しく、充実感を持って生活できる対象となってくれれば良いのですが・・・