ある稽古場で、家元の宗匠により指導された内容について紹介させて頂きます。
その日は、茶カブキの指導が中心となりました。
宗匠は執筆をされながらの指導となり、余り細かい点については指摘もされず、点前も正客も連客もそれぞれの思いで進められておりました。

茶カブキは、まず茶名を明らかにされた2服の濃茶(試茶)を頂き、その味を覚えておきます。
次に、先の2服と新たに1服の茶を追加し、計3服の濃茶(本茶)が順不同に練られます。
客はその3服の濃茶を味わい、出された順番を当てることになります。その方法は3枚の紙札(名のり紙)に書かれた3種の茶名と客の氏名を一服ごとに回ってくる3つの折据に順次入れ、訂正はききません。
執筆とは、その入れ札の結果を記載する役割の人です。

室町時代に、形態は違っていますが景品を賭けて行われた「闘茶」が原型であると言えます。
「茶カブキ」としては、利休時代に整われたとのこと・・・・

その折、心に残った指導内容としては、5服の濃茶を練ることになりますので、「注ぐお湯の量は同じようにされないと味が変わりますよ」との点前への注意。

折据の扱いには、事前に注意されませんでしたが、宗匠が折据を扱われて後は、間違った扱いをされていた客に対しては、「あなたは、なぜ、私が折据を扱う折の開き方、閉じ方を見なかったのですか」と。

名のり紙についても、一定の決まりが有り、執筆が開けやすいように4つ折りにして一回ひねるのですが、折りすぎては破れもし、開けにくいことにもなります。この点も注意されました。

この稽古を通して、一番肝要に思えることは、中々宗匠の道具の扱い方や動作を見れる機会は少ないだけに、心して注意を払い(折据の扱い方等)見逃さないことでしょうね。

私は若い頃、煙草盆の火入れの灰の押さえ方のコツを知りたかった時期がありました。自分で押してみても中々美しくはなりませんでした。

ある時、家元で修行されていた宗匠が灰を押さられるところを見る機会に巡り会えました。私は、その手さばきを盗む思いで見逃すとはしませんでした。

美しくできあがった火入れの灰は、家元で目に出来ますが、灰を押さえるところを拝見できたのは、後にも先にもその時だけでした。

楽しく和やかな稽古も必要ですが、時には気を抜くこと無く厳しい稽古場で身を引き締めた稽古も味わい深いものです。

自分が点前や客として稽古することは自然な所作を身につけるために必要なことですが、師匠から指導を受けることだけが稽古では無く、他の人が指導を受けている内容や、師匠等、先輩の手さばきを学ぶ(盗む)ことも稽古の一環であることを知ることも重要でしょうね、