近年、茶道具の値段は下落の一途を辿っています。
供給(道具を手放される方)が、需要(道具を求められる方)を上回り、茶道人口の減少や経済不況の要因にもよるのでしょうが、地価と同じように本来の価値を大きく上回り売買されていたことが、値崩れの原因なのでしょうか?

と、申し上げた茶道具とは、日頃私たちが茶会に使用するような道具についてですが。

平成21年の秋に安土桃山時代の茶壺「千種」がアメリカの競売で予定価格をはるかに上回り約6千万円で落札された報道がありました。
明治45年に病床にあった藤田傳三郎が、9万円で「大亀香合」を落札した逸話も有名です。
明治45年の9万円、今の貨幣価値に直せば・・・。一度推計してみます。

室町時代の唐物偏重の時代から、戦国武将や江戸時代の大名家を経て明治以降は財閥へと名だたる茶道具が高価に引き継がれてきました。現在では、その大半は、美術館に納まっているのでしょうね。

そのような茶道具は棚の上へ置かせて頂き、話は私どもが茶会で目に出来る範囲の道具に戻します。

高値の時代に記憶している値として、即中齋の箱書きのあった覚入作黒平茶碗が600万円、大西淨中作の丸釜が450万円、吸江齋作の茶杓が400万円等記憶しております。すべて筋が通った作ばかりでしたが、
それらは今日如何程になっているのでしょうか。

ある窯元で楽茶碗についての話を聞いたことがありました。昔(その方がご健在ならば100歳ぐらいです)は大卒の初任給で買えましたが・・との事でしたが。

茶道具の値段が下がったと言っても、サラリーマンが茶道を学びながら書付道具の購入をするとなれば、やはり困難を極めます。一つ手にしたからと言って、それだけで茶会は持てません。

親しい友人等を招いての茶事ならば、稽古道具に思い入れの道具を取り合わせ楽しむことは可能でしょうが、やはり、大寄せ茶会となればそれでは済まされないでしょうね。

やはり茶道はお金持ちの遊芸なのでしょうか・・・

大学でお世話になった先生に、「茶道界はなぜ華道界のように家元が乱立しないと思う・・・それは、利休の血筋と伝えられてきた茶道具があるからだよ」と教えられました。
血筋は、家元制度において連綿と受け継がれております。

茶道を今日まで伝統文化として支えてきた要因に茶道具の存在があるのなら、茶道を学ぶものは茶道具を否定は出来ないでしょうね。

私は茶事を催す場合や寄せて頂く場合は、茶事の中での道具のウエイトは4割程度に見ております。
道具に大きなウエイトを置かれる方の茶事には寄せて頂くことがあっても、自宅への茶事にはお運び頂くことは避けたいです。

茶事は4時間の間、少人数を対象として催されますので不十分な取り合わせの茶道具でも、客へのもてなしの気持ちでカバー出来ることもありますが、大寄せ茶会では限られた30~40分間に大勢を対象とするわけですから、客全員に対して行き届いたもてなしの気持ちを表すことは困難となり、やはり道具組で楽しんで頂く部分に自然とウエイトがかかるのでは、私も大寄せでは6割以上が道具組に重きを置くかな・・・

茶道を学び楽しむ方は、敢えて道具を求めなくとも良いでしょうが、師匠として弟子の指導に当たる方は、身にあった道具を整える努力(苦しみの中に喜びも生まれます)も必要かな、道具の扱いや取り合わせについて目が向くこととなります。

道具を求め出せば切りが無いですが、求めた手元にある道具を上手に組み合わせ会を催すことも勉強になるでしょうか・・・

道具は欲しいが金は無し、道具の夢は宝くじに託すしか無いのでしょうか・・・グリーンジャンボ連番で買いました。しばらくの間は、夢を見られます。