茶事を行う場合、客組みについては大切な要素となります。

これまでの間、亭主として茶事を催した時、また、お招きを受けた時の客組みには、お互いに親しい先生同士が客組みとなる場合、親先生を中心としてその社中の方々で構成される場合、親しい友人で客組みが構成される場合、茶事を依頼された方に客組みを委ねる場合、また、客同士が初対面で同席する場合もありました。

私の亭主としてのデビューは、やはり最初の経験でもあり、日頃からお世話になっていた先生方を中心としての客組みでした。(祖母の指導の下、客への依頼が成され、私の友人も同席しましたが)

客としての初お招きは、他の客との面識が始めての方ばかりの茶事でした。(学生時代、自身満々で怖いもの知らずの時でした)

茶室という狭い空間でひと時を共に過ごすわけですから、正客を中心とした客同士の「和」も重要となりますね。正客は亭主とのやり取りを中心とした力量と連客への気配りが求められ、詰めは正客や連客へのアシスト、他の客は正客の意向を汲み取る動きをとる事、決して正客より出すぎた話などは慎むべきでしょうね。

話が茶事から少しそれますが、大寄せ茶会においては、中々正客が決まらず苦慮することもよく見かけます。一旦正客が決まり席が始れば、正客を差し置き横から話をされるケースも多くなっているようです。
いくら亭主と親しくとも、正客に座らなかった限りはおとなしく、亭主とのやり取りは正客に委ねていただきたいと常々思っております。

最近、茶事のお招きを受け、連客が初対面の方ばかりで、正客を努めさせていただいたことがありました。亭主とは親しい間でしたが、連客が私の正客としての運びで楽しんでいただけたのか、気にかかった思いがあります。
やはり、正客の責任は大きいですね。

今はもう私が世話になった先生方は他界されていますので、茶事を催す折には茶友が中心となりますが、若い頃には自分より先輩に当たる先生方にお越しいただけるようにしなさいと言われたものです。
茶事を通して、様々な教えを受けることになるとのことでした。

そして、今当時のことで心に残っていることは、祖母(私の茶の師匠でもある)が健在の折は、私を茶事に招いていただく折には、必ず先に祖母に了承を得てからお誘いいただいておりました。

今、社中を持つ身となってそのような礼を尽くす大切さはつくづく感じるところです。
親先生に了解も取らず、その方のお弟子を自らの催しに参画させることは、慎むべきことでしょう。
そこまで筋を通される先生方は少なくなっているでしょうが、そのような先生にめぐり合えた折には嬉しくもあり、信頼してお付き合いさせていただくことができます。

茶道人口が減少する要因として、昔ながらの堅苦しさが弊害となっていることもあるでしょうが、残すべき良さは守りながら、学びやすい制度に変革することも必要なのでしょうか。

これから、若い世代の人々に茶道を学んでいただける取り組みはやはり暗中模索でしょうね。
今回は、話にまとまりが無かったかな?