集団ストーカーという現象をガスライティングと言ってしまうと、それは人為的なものというイメージになります。集団ストーカーと呼んでも同じです。
しかし実際に起きていることで最も驚くべきことは、ガスライティングが起きた後の収束という現象です。
収束があるからこそ周知も進まず、被害者同士の認識の違いなどその収束は被害者にも及びます。
収束こそが最も恐るべきもので、それは世界規模で作用しています。
集団ストーカー被害者の主張を、世界中の誰一人として完全には認めないのもこの収束の力のためでしょう。
まず集団ストーカー現象が起きます。これはテクノロジー犯罪として起こることもあればガスライティング犯罪として起こることもあります。
その後被害者はその被害を訴えますが、おそらく被害者の周囲の人間でさえが、そして世界のすべての人間がそれを精神病の症状だと認識したり場合によっては押し付けてくるでしょう。これが収束です。
収束はもっと凄まじい力であり、ターゲットがどのような行動を取っても驚くように事態が収束することがあります。
例えばターゲットが集団ストーカーに襲われていることを周囲の人間に周知したとします。
本来であればその後ターゲットは精神病を疑われるはずですが、それがなかったことにされることがあります。つまり「そのような話は誰も聞いていない夢でも見ていたのではないか」としらを切られるのです。それで日常を強制的に続行させられることになります。
これは精神病工作の逆の工作と言えます。
本来ガスライティングはターゲットを精神病として貶めるものですが、逆に精神病のふりをしたとしてもそれがなかったことにされるのです。
これは集団ストーカーのことに限らず、様々な現実の経験でも起こります。
まるで芝居に付き合わされているような奇妙な感覚を覚えるでしょう。
そして冷静に考えれば、それは世界規模で常にそのように収束しているのです。
私が世界そのものが集団ストーカーというシステムであると言っているのはこういった収束という経験に基づくものです。
世界は常に奇妙な論理で動いています。
この収束という力は、その原理から考えてその証拠を残すことが困難な力です。
なぜなら収束という力はターゲットにも働いているからです。
私が集団ストーカーを解決する一つの方法として、日常を逸脱する方法を挙げましたが、それがこの収束の力から脱するということです。しかしそれで解決するわけではありません。個人が収束から逃れることが出来たとしても周囲は収束を続けますから、かえって厳しい状況になることも十分に考えられます。
集団ストーカーという事象で実は最も重要である「収束という力」が見落とされるのもおそらく収束という法則のためでしょう。
収束という現象を運命と捉える人もいるだろうと思いますが、それはその力の根源を考えた場合、おそらく間違いではないかもしれません。
集団ストーカーという事象は、言い換えれば常に自分の都合の悪い結果に収束すると表現することも出来ます。収束は世界的な現象ですから、世界的な動きもやはり不自然なほどにもやもやとした結果に収束します。
集団ストーカーという事象を「集団にストーカーされている事象」と捉えると、その説明はすぐに破綻します。
「誰が何のために」という理由がないのです。それで被害者は自分なりに納得のいく答えを見つけるのですが、これが被害者によってバラバラの答えになります。この時点でガスライティングという罠に陥っています。
一般人は表面上はともかく、心の底から集団ストーカーという事象を信じることはありません。これは被害者自身がそれを身をもって経験しているはずです。被害者同士でさえ他の被害者の発言を信じられないわけですから、一般人が集団ストーカーという事象を信じることは不可能です。
明らかに経験していないことを信じることは宗教でもない限り難しいでしょう。
しかも集団ストーカーという事象はことごとく危険な思想に似た出来事ですからなおさら信じることは危険であるように演出されています。
説明するまでもなく精神病によく似た事象ではありますが、それはガスライティングということで説明可能です。
おそらく集団ストーカーの被害者のほとんどはそれが妄想とは全く別のものであるということを説明する努力をしたと思いますが、その際に不自然な収束の仕方を目撃した被害者も多いかもしれません。
それが人為的な悪意ある収束なのか、人為的なものを超えた収束であるかは被害者によって変わるでしょう。
しかし収束というものは、最終的にすべてをなかったことにすることも可能ですから、現象としてはそのものが不自然です。
その収束が連続で起きていることから、人為的な操作ではなく「極めて精度の高い世界的な操作」であると表現しています。
ガスライティングは単に精神病に見えるという工作を超えて、世界を反転させる技術と捉えるとより理解しやすくなります。これは映画などでも多用されているテクニックであり、最も有名なものは「マトリックス」です。これはバーチャルの世界という設定ですがそれが現実のまま境界線なく起きるものが強いガスライティングです。
トリックとしては簡単なもので、例えば脳内に自分の思考ではない声が聞こえた場合、それまでそのような経験はしていないわけですから世界観は反転します。
「脳内に音声を送信する技術などあるはずがない」という世界観から「脳内に音声を送信することは可能である」という世界観に強制的に転換されます。そうなると陰謀論で言われている世界観などを使わなければそのような世界は説明できなくなるため、陰謀論に傾倒していくように見えることになります。事実陰謀論に傾倒する被害者は多いでしょう。
ただ現段階で陰謀論が真実である可能性は排除できませんから、傾倒という認識は正しいかどうかは分からないのです。それはあくまで「脳内に音声を送信する技術などあるはずがない」という世界観を持った人から見た表現になります。
ここまでは普通のガスライティングの説明になりますが、ここからは世界観そのものを構築するガスライティングの話になります。
私が経験しているこの世界では、常に収束という現象が起きています。私はシミュレーテッドリアリティという世界観のモデルを重要と考えていますがそれはその収束という現象の答えを出すにはそのモデルが今のところ最適だからです。
「収束」という現象はいわゆる強制的なリアリティとも言える現実への引き戻しと、ガスライティングを現実化させる証拠隠滅・証拠を無効化するテクニック・現象です。
またターゲットの人生を破綻させずに継続させるテクニックでもあります。
一般人のすべてが集団ストーカーは統合失調症の妄想と思い込むのは、自然であるか収束であるかのどちらかです。
ガスライティングや集団ストーカーを人間による人為的な嫌がらせと考えると世界の実情と乖離します。
そのような闇組織が存在するはずがないと世界の人々は考えているからです。
収束という力がこの現象の根底に介在しているため、この問題の解決は極めて難しいものになっています。
その力を今まで運命操作や、全操作、全人類操作と言ってきましたが、それが存在するのは確実であるにも関わらず、極めて現実に近い演出になる時も多く、その証拠を掴めないように操作されています。
また、そのようなことを考えることが出来ないように操作されることもあるでしょう。
それが収束という力です。
ターゲットの思考さえも操作しているかもしれない力ですから、それがどれほど恐ろしいものか、集団ストーカーがどれほど優位にいるのかは説明するまでもないかもしれません。
全世界操作という表現が決して大袈裟ではないことを、この収束という現象を通して一部の被害者は感じています。
それは集団ストーカーの法則というよりも世界の法則です。