集団ストーカーはターゲットごとに個別に様々な設定をしていますので、状況は人によって異なります。

集団ストーカーの目的が分からない人も多いでしょうし、逆にはっきりと示されている場合もあるでしょう。

いずれにしても、全被害者に共通する目的のようなものは見出せません。
被害者によって逆になるような認識が多いのです。

はっきりと言えば、集団ストーカーがこのような地味な嫌がらせを続けるメリットは何もありません。
集団ストーカーは存在自体が矛盾するのです。
一般の人々が主張するのは、何のために集団ストーカーはそのようなことをしているのかということです。
これは一見まともな意見のように思えます。
これには本来であれば答えることが出来なければなりません。

集団ストーカーの鉄壁さは、この防御線を突破できないことからも分かります。
この壁が強固な精神病工作となります。

集団ストーカーが組織であれば、このような鉄壁さは極めて不可解なものです。
組織の人数が増えれば増えるほど鉄壁さは人間的な脆さに浸食されるはずだからです。

ところが集団ストーカーにはそのような綻びがまるで感じられません。
全世界が鉄壁なまでに集団ストーカーという存在の可能性すら否定するのです。

それに近いものは陰謀論ですが、これも全世界はほぼ否定します。

全世界には国家の諜報機関なども含まれますから、被害者とは比較にならない情報網を持っていますが、それでも集団ストーカー、陰謀論ともにほぼ完全否定しています。

この世界の動きが何を意味するかは重要です。

集団ストーカーは全世界にそれほど影響を与えないままに、特に特徴があるわけではない一般人に対して執拗で地味な嫌がらせを続けているわけです。
そのようなことを実行する理由が見つかりません。
集団ストーカーにとって、そのような嫌がらせを続けても何のメリットもないのです。

これは集団ストーカーという行為は社会的には特に意味を持っていないことを意味します。
社会的な目的があるのであれば、いくらでも要人を狙えるにも関わらず、それを行っていないのです。

血筋によってターゲットが決められているのではないかという考えもありますが、世界中に被害者が分散していることから、それも考えにくいものです。

そうなると集団ストーカーは単なる悪戯、加害者にとっての娯楽やゲームであるという可能性も濃くなってきます。
なぜそのような考えに至るのかというと、集団ストーカー現象の一部に、種明かしというものがあるからです。
これは嫌がらせを実行された後に、それが嫌がらせであったことや、その仕組みなどをそれとなく示されて教えられるものです。

これはそれが嫌がらせであることをターゲットに明確に示さなければ、嫌がらせとして成立しなかったり、効果が薄くなったりする対策であるとも考えられますが、それだけでは超常現象などをわざわざ見せつける意味が分からなくなります。

私の場合は超常現象的なものを見せつけられて、敵の持つ強力な科学力に怯えるといったことは特にありませんでした。
それは敵のレベルが想定からかけ離れすぎていて、最初の段階であきらめてしまったということもありますが、それだけではなく、徹底的に恐怖で追い詰めるという嫌がらせを敵は仕掛けてこないのです。

中にはかなりひどい追い詰められ方をしている被害者もいますが、全員がひどく追い詰められた状況ではないというのは、集団ストーカーは攻撃しているというよりは、本当にただ嫌がらせをしているだけだということを示しています。
これは被害者が単純に消えればいいと思っているわけではないことを示します。

私はこれを、被害者にもある程度の対策を取らせる猶予を与えているのではないかと捉えました。
被害者がどこまでこの嫌がらせに対処できるかを我々に仕掛けたゲームである可能性です。

私は確実に追い詰められ、確実に全てを操作されていると感じていますが、対処する行動はまだかなりの広範囲で残されています。
これは難しい考え方です。
すべての運命が操作されているにも関わらず、我々は様々な対策を講じて戦い続けています。

集団ストーカーはなぜこのような猶予を残しているのでしょうか。

そしてこの世界はなぜ不自然に不完全な状態に留まり続けているのでしょうか。

その答えは、本当の世界は不完全ではなく、集団ストーカーも不完全ではないからではないでしょうか。

つまり本当の世界は完成された世界であり、何一つ落ち度のない世界であり、それはつまらない世界だからあえて不完全な状態を作り出し、我々にそれを見せているという考え方です。
そうでなければあまりに不完全すぎる矛盾だらけのこの世界を説明することができません。

我々は不完全さを集中的に体験しているということになります。

そうなると不完全さを指摘して完全を構築できれば、社会的なこれらの事象は解決する可能性もあります。

社会的な不完全さはあまりに不自然なもので、全人類に対する嫌がらせと言えるほどのものです。

おそらく集団ストーカーの目的は社会的なものではなく、ターゲット個人の操作が中心でしょう。
社会は操作されていることを認知しないままに進行しています。

社会は集団ストーカーがいないという前提で動いています。

まだ抽象的にしか分かりませんが、集団ストーカーの目的は拡大ではなく、多様化でしょう。