黒い手帖

創価学会「日本占領計画」の全記録

元公明党委員長 矢野絢也

 

【転載】

 

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今、距離を置いて振り返ってみると、恥ずかしながら、当時の私はマインドコントロールにかかっており、創価学会によって操られていたと思わずにいられない。池田大作名誉会長の野望ー学会の「日本占領計画」を成就させるため、その計画のど真ん中で働いていたのではないか、との思いが日増しに強くなっているのだ。

 

 

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 私の場合がまさにこれに当てはまる。学会全組織は連携し、公明党OB議員は呼応して、綿密なシナリオのもと、私に政治評論家活動を中止させ、手帖を奪い、寄付を強要したのだ。

 事は宗教法人法の規定した宗教法人の適格性の問題にかかわる。宗教法人法では第八一条で、<法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと><宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと>があれば、解散命令を出すことができると規定している。私に対して学会が行った不法行為は、明らかにこの条項に該当する。

 創価学会、公明党による理不尽な人権蹂躙で、とりわけ強調したいことは、これらの事柄が、個人の偶発的、単発的なことではなく、学会本部によりあらかじめ十分に計画された点だ。各部門と連動しながら、スケジュールを組んでの連続的な組織的犯罪だったのである。また、攻撃範囲は本人のみならず、家族・親族に及ぶものであり、精神的威嚇、社会的地位の抹殺、または生活の基盤を奪い取ろうとする、包括的なものであった。

 

 

25

自分も政教一致を犯した当事者

 

 

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学会が経験した三つの曲がり角

 

(前略)

 

 最初の山場は、一九七〇(昭和四五)年の言論出版妨害事件である。これによって学会と公明党は世間から激しい非難を浴び、当時、会長だった池田先生は事件に対する謝罪を表明、政教分離を誓約した。

 二度目の曲がり角は、一九七九(昭和五四)年と一九九一(平成三)年の二度にわたる宗門との紛争である。日蓮正宗の総本山大石寺との間で確執が生じ、宗門から破門された。これによて日蓮正宗の在家集団だった創価学会は、その立場を失い、いってみれば新たな宗教団体として独立せざるを得なくなった。こうして、カネは力なりと、財務(寄付)の強化・拡大路線に踏み込んでいく。

 そして、一九九〇年代の半ば、次の曲がり角がやってくる。一九九四(平成六)年に導入が決定し、一九九六(平成六)年の総選挙から実施された小選挙区比例代表並立制である。宮沢政権の後半、相次ぐ政界汚職を受け、政治改革の必要性が叫ばれ、小選挙区比例代表並立制が導入された。

 当時、比例代表という逃げ道があったとしても、小選挙区制は、公明党にとってデメリットばかりだと考えられていたが、政治改革の波には抗し難く、公明党も賛成した。ところが、蓋を開けてみると、学会には予想外の大きなメリットがあった。一言でいえば、学会票が学会直営の政治支配を実現したのだ。

 

(中略)

 

私の現役の頃は、公明党は児童手当しか知らないと、他党からよく冷やかされたものである。

 

 

39

小選挙区制のおかげで、学会票という強力な武器が力を発揮し、自民党を、ひいては政権を支配するという道が開けてきたのだ。

 

 

40

 私の見る限り、学会は明らかに宗教法人の枠組みを外れ、反社会的な集団への道を辿っている。このまま、進路を修正せずに進んでいけば、行き着く先は「亡」ではないか。そんな危惧が私のなかで日増しに大きくなっている。

 

 

77

 対立が表面化した頃から、本山周辺の監視、僧侶への尾行、さらには盗聴をしかけ、郵便物の監視などを行った

 いうまでもなく、これらの非合法的行為は、学会内部では極秘に行われており、一部の幹部しか知らない。私は、当時、公明党の最高幹部で、学会との連絡役を務めていたことから、このような事実を知り得た。

 

 

140

 私はかつて、学会内のハイテクを担当する部屋を案内されたことがあった。コンピューターなどのハイテク機器にはあまり詳しくない私でも、ずらっと並んでいるのが最新設備だとわかった。これが一〇年以上も前の話だ。今は、学会のハイテク技術は、当時よりはるかに進歩しているはずでえある。

 創価学会がハイテク強化に注力しているのは、ひとつには敵対者や敵対組織の情報収集の大きな武器となるからだ。これまでも、学会は盗聴事件など数多くの非合法活動を行い、世間から非難を浴びた。古い事件では、一九七〇(昭和四五)年、学会がしかけた宮本顕治(当時は共産党委員長)邸など共産党関係者への盗聴がある。

 

 

148

 元学会員の陳述書によると、「特殊部隊」の役割は「広宣部」が担っているという。以下、元学会員の陳述書に基づいて、「広宣部」なる組織の活動を述べてみよう。

「 広宣部」は一九八八(昭和六三)年頃、男子部の秘密組織として誕生したという。

 当初、東京都の北区・板橋区を統括する創価学会東京第九総合本部の男子部創価班から、選りすぐられたメンバーで編成された。

 

(中略)

 

「広宣部」結成の目的は、顕正会の実態把握だったという。

 

(中略)

 

 陳述書によれば、当時、広宣部は顕正会の実態を暴くために、次のような諜報活動を行っていたという。

 

・構成員宅の郵便物などの抜き取り

・構成員の盗聴

・交友関係の調査

・構成員への尾行

・怪文書による攻撃

・構成員の出したゴミなどを持ち帰り、そのなかから情報を収集

 

 

153

 監視、尾行、嫌がらせ、ゆえなき誹謗中傷などの違法行為は学会のお家芸ともいえるほど、常套手段化している。

 

158

私の知る編集者も、公明党・創価学会がらみの書籍を担当した途端、正体不明のグループによって尾行や嫌がらせを受けたという。

 

 

174

 この報告書は一九九五年十二月、下院で採択され、報告書を取りまとめたジャック・ギヤール議員の名をとって「ギヤール報告」とも呼ばれている。

 報告書では、カルト(セクト)の本質を「新しい形の全体主義」と定義づけ、次の一〇項目のいずれかにあてはまる場合はカルト(セクト)と認定し、警戒を促がすとしている。

 

1精神の不安定化

2法外な金銭要求

3以前の生活環境からの隔絶

4肉体的損傷

5子供を勧誘し、教化する

6大なり小なり反社会的な教えを説く

7公共の秩序に対する攪乱

8裁判沙汰の多さ

9目的遂行のための財産確保を伝統的な経済活動から逸脱した方法で行う

10公権力への浸透を企てる

 

このうちひとつでも満たすなら、それはカルト(セクト)だというわけである。

 

 

190

『FORUM21』の座談会記事に対する提訴もこの一連の訴訟のひとつで、司法解剖に基づき、他殺の疑いがあると指摘した朝木市議の遺族、朝木直子市議、矢野穂積市議を名誉毀損で訴えるとともに、同誌に対して謝罪広告を求めた。この訴訟は、一審の東京地裁判決では学会側の主張が認められたが、被告側の東京高裁に控訴、二〇〇七(平成一九)年九月、逆転勝訴となり、学会側は最高裁に上告したものの棄却され、判決が確定している。

 

(略)

 

 言論に対して言論では応じず、誹謗中傷で相手をなじる。これが学会の常套手段であることがおわかりいただけるだろう。

 さらに、既に述べた日蓮正宗妙観講に対する誹謗中傷のビラ作成と配布に関する判決も有罪が確定している。

 

(略)

 

 こうした裁判沙汰の多さ、認定された犯行の数々を踏まえれば、創価学会の宗教法人としての適性に疑問符がつく。今後、国会で論議されるべきだろう。

 

 

212

 二〇〇八年一〇月七日、民主党の官直人氏、国民新党の亀井静香氏の代表代行が、政教分離問題を衆議院予算委員会でとりあげ、公明党の創価学会施設を利用した選挙活動は、信教の自由と存立のために非課税になっている宗教法人法の趣旨に違背し、政教分離の原則に反するのではないか、と指摘した。

 このとき、亀井氏が「矢野氏は、免税措置を受けている宗教施設で創価学会が選挙活動をしているといっている」と迫ると、麻生首相は「私は公明党の推薦を受けたことがないので、ピンとこないと」とトボけてみせた。

 さらに一〇月一五日の参院予算委でも、民主等の石井一副代表が再び政教分離問題を取り上げ、池田大作名誉会長の国会招致に言及して、公明党議員と激しくやりあい、審議が紛糾した。

 

 

290

一九八一(昭和五六)年秋に『週刊宝石』誌上で連載された、学会、公明党を離反した古株の元議員たちの座談会記事がある。

 このなかで、元議員のひとりが「昭和四九年か五〇年頃、合法的で綿密な日本占領計画が練られており、その段階的なプログラムができていた」と暴露し、別の元議員が、その内容を明らかにしている。

 

 

297

クーデターを立案していた青年部

一九七一(昭和四六)年頃、青年部の最高幹部の間で過激なクーデター計画が話し合われていたという証言もある。学会の人材を密かに送り込んで、自衛隊と放送局、電波を全部押さえ、クーデターを決行するという内容だったらしい。

 学会員で大型トラックを所有する者を都市部に集結させ、トラックを路上に倒して交通を遮断する。たくさん消火器を買い込んでおき、向かってくる警察官にぶっかけ、動けないようにする、といった具体的な作戦まで練られたという。

 

【転載了】