元学会員の方のブログの記事より、集団ストーカー被害者が置かれている状況に酷似した内容が報告されています。
参考資料として転載させていただきます。

 

・私は創価学会員でした

私は創価学会を絶対に許さないでしょう。年末の財務で、全財産を持っていかれました。婦人部の幹部が「お金に困っている時程、財務を頑張りましょう!今は困っていてもすぐに何倍にも返ってくるから。今、家にあるお金は全部財務として使いなさい。」勧められるままに、母はすべてのお金を創価学会に寄付しました。もう住む場所もありません。あと数ヶ月で家を出なければいけません。兄弟の大学の入学金、学費、当面の生活費もすべて寄付しました。財務の後、学会員は訪ねて来なくなりました。座談会でも母は無視されています。財務を勧めた幹部とは連絡も取れないそうです。そして母は病気になりました。もう永くはないと思います。これが、家族を犠牲にしてまで活動していた人の結果です。母が憎い。それ以上に創価学会が憎い。

死ぬ前に気付いても遅いんです。一家和楽を装っていても、もっともっと前から私たちはバラバラだったんです。もう疲れました。私は争いごとは嫌いです。学会員の家に生まれて、いつも「勝負」だの「戦い」だの「常勝」…もう、うんざりです。どうしてみんな仲良くできないんでしょう。「学会のことを悪く言われたから、ぶちのめす!」どうしてこんな発想が出てくるんでしょうか。
学会に対して嫌な思い出がある人が、「学会って嫌いなんですよ。」って。普通です。嫌な思いをさせられたら、嫌いです。消えて欲しいです。でも、学会員は全員死ね。と思っている人はいません。それなのに…組織のことを悪く言われたから、攻撃するって。正しい団体だと言い切るのであれば、どっしり構えてたら良いじゃないですか。崇高な団体なんでしょ?じゃあ、自分より下の立場にいる虫けら共から攻撃されても、痛くも痒くもないはずですよ。結局は自信がないんですよ。
聖教新聞のような人権を無視した汚い言葉で、罵る事で勝った気になってるだけです。ま、あの新聞のせいで学会嫌いが増えているのですが。学会員がよく言う言葉に
「学会に入らなければいけなくなるように、祈っていきましょう。」これは、祈伏の対象者がどん底にまで落ちて不幸になれば、学会に入る気になるから、不幸になるように祈っていきましょう。という意味です。はぁ?それって呪ってるってことですよ。最後は学会によって救われるから、不幸になってもいいじゃん♪ってことですか…。自分勝手です。いい人そうに見えても、スイッチが入ると豹変し不幸になるように呪いをかけて、忙しいですね。