創価学会名誉会長の池田大作氏が今年2023年11月15日に逝去すると、メディアにはいくつもの論評が載った。数多く言及されているのが彼のカリスマ性である。 創価学会を急成長させた池田大作氏をカリスマと捉える風潮への体験的異論  池田氏は32歳で創価学会の会長に就任。組織を幾倍にも伸長させた。その理由を、皆が彼のカリスマ性に求めている。だが、創価学会の元理事長・正木正明を父に持つ家の出で池田氏と直接会う機会に恵まれてきた私は、それらと見解を異にする。  ここでは、池田氏が組織拡大をなし得、また信仰熱心な学会員に愛されてきた要因の一つを記していく。

 池田氏の恩師・戸田城聖の願いは、創価学会員「75万世帯」を達成することだった。戸田はそれを成し遂げ、1958年に世を去る。その2年後に会長職に就いた池田氏が掲げたのが「戸田先生の7回忌までに300万世帯」という目標だった。池田氏はそれを1962年に達成。そして会長就任から10年弱にして学会は750万世帯に急拡大した。  だが、急激に拡大する教団に対し世間は反創価学会キャンペーンを張った。当時も、現在と同じように池田氏はカリスマだと揶揄された。しかし、カリスマ性がすべて池田氏の個性に帰着するかというと、私はそこに疑問を抱いている。

■一人ひとりの学会員と「原点」を作る  幼い頃から私が見てきた池田氏は豪放磊落、茶目っ気があり、子どもを喜ばせることにも長けたパーソナリティの持ち主だった。生来の人たらしといった感じは政治家・田中角栄を彷彿させる。その意味で、池田氏の個性にカリスマの源泉がまったくないとは言えない。  ただその一方で、池田氏がアジテーションや集団心理の掌握に特段秀でていたかといえば、私自身そう感じたことはあまりない。  では、なぜ池田氏は学会員に愛され、強固な組織を作ることができたのか。私の結論は、池田氏が「学会員一人ひとりと、それぞれに合った絆を結ぶこと」を徹底してきたからである。

集団ではなく個人。マスではなく一人。あなたと私(=池田氏)。その間で信頼を構築することに池田氏はこだわった。それは、私が創価学会の本部職員になって以降、池田氏から何度も聞いてきたこのフレーズによく表れている。「一人を大切にしてきたから今日の創価学会がある」――。  私が創価中学に通っていた時のこと。当時の私は学校になじめずにいた。たとえば創価学園の入学式。スピーチをする池田氏が「この中で親孝行をしている人?」と呼びかけると、生徒全員が「ハイ!」と手をあげる。その情景は、私にとって「ハイル・ヒトラー」を連想させるものだった。私は集団の中で気分が悪くなった。創価学園の文化が合わない。同級生とノリが合わない。私は、学園を辞めたいと思うようになっていった。

 そんな折、池田氏から書籍の贈り物をもらった。驚き慌てた私だが、周囲に促されて表紙の裏を見ると、池田氏の直筆で「伸城君、断固頑張れ」と書かれていた。瞬間、私は「池田先生って、僕の悩みを知っているの?」と思った。だが、池田氏に確認するわけにもいかない。私はうやうやしく本を部屋に飾った。すると「僕は僕のままでいいのかもしれない」と思えた。以降、私にとっての学園生活の色合いが徐々に変わっていった。  こういった出来事が人生の転回点となることが人にはある。それを学会員は「原点」と呼ぶ。池田氏は、私はもとより学会員一人ひとりと自身の間の「原点作り」を丁寧に行ってきた。

■一人の顔色の悪さを見逃さない  ある集会で、池田氏と参加者の記念撮影会が行われた。記念撮影といっても、一緒に写る人数は膨大だ。多くの学会員が池田氏と接する機会を待つ中、同氏が突然、幹部をしていた私の父に話しかけた。「あの列の一番左に顔色が悪い人がいるだろう。心配だ」。その場の責任者を務めていた父は戸惑った。大勢がいる中で、そんなことにまるで気がつかなかったからだ。さらに池田氏は「私が心配していたとは絶対に言うなよ。お前(=私の父)が彼に体調のことを聞くんだ」と付言した。

その命のままに父は青年のもとへ。すると、確かに男性の顔色は悪かった。遠目でよく判別できたなと驚く父。しかも、その青年に聞けば、仕事の関係で一睡もできず、食事をする間もなく駆けつけてきたのだという。それを知った瞬間、父は「これが『一人を大切にする』ということか」と驚嘆したという。  実は、学会員と池田氏の間でのこういった話題は枚挙にいとまがない。もちろん読者の中には「池田氏のカリスマ性を強化するための誇大話だろう」と想像する人もいると思う。だが、現在、創価学会の信仰や活動から完全に離れている私が池田氏の誇大ストーリーを発信するメリットは何もない。

 このエピソードは私の父が体験した“事実”であり、私はそれを客観的に記述しただけである。人への気配りを形式的に勧める人はいる。口で言うのは簡単だ。しかし、口先だけの人間に上述のようなことができるだろうか。しかも、相手に変なプレッシャーを与えないために「私が心配していたとは絶対に言うな」とまで言付けするのである。  池田氏は可能な限り一人ひとりを見ようとしてきた。同氏は「一日の中で何人の学会員を一対一で直接激励するか。私はそれだけに努めてきたといっても過言ではない」とまで言っていた。そこにはカリスマ的なイメージとは異なる池田氏の人となりがある。繰り返しになるが、肝は「一対一」である。マスではない。集団ではないのだ。

 他方で、国税調査が入るという話が出たときや、国会に証人喚問されそうになったときなどに池田氏が周章狼狽したり、彼の尊大を思わせるエピソードを私もそれなりに読んだり聞いたりしてきた。人にさまざまな側面があることは当然だが、そういった面の紹介はここでは行わない。この記事の焦点はあくまでも「池田氏が組織拡大をなし得、また学会員に愛されてきた要因の一つ」を明らかにすることにあるからだ。  学会員一人ひとりには、池田氏との原点がある。創価学会は、だから強いのだ。皆が池田氏と「直」に、「一対一」で絆を結んでいるという感覚を持っている。決して、共通の命令を共有しているわけではない。それゆえに学会員は、個々別々の目的に向かって「自主的に」「内発的な動機で」頑張れる。

 この点を見ずして、池田氏のカリスマ性に惹かれた学会員が一糸乱れぬ形で命令に従っている状況を想像してしまうと、実像を誤って理解することになると私は思う。 ■「カリスマ」にさせられた面  だが、池田氏亡き後は同じようにいかない可能性が高い。生(なま)の池田氏と絆を結ぶ機会はもうない。そういった原点を持つ学会員の多くは高齢化している。青年層の人数は先細りしていくばかりである。  創価学会の体力が落ちていることは、公明党の国政選挙での得票数(比例選)が、2005年の898万票をピークに2022年には618万票まで急減したことからもうかがい知ることができる。衰退の流れは今後も続くだろう。

 とはいえ、創価学会は実はすでに「ポスト池田」体制、すなわち集団指導体制に移行している。そのため、マスコミでささやかれるような“クーデター”はまず起きないと私は考えている。巷間言われる“学閥争い”も実際には学会内に存在しない。創価学会は静かに衰退していく。当然、このまま何もしなければの話ではあるが。  学会員は(特に学会幹部は)良くも悪くも池田氏を頼りにしすぎてきた。そのツケがいま表れている。先に私は、池田氏の個性にもカリスマの源泉があると書いたが、同時に池田氏は学会幹部などにカリスマに「させられた」とも思っている。

 前述した「ハイル・ヒトラー」的な挙手の文化。それは創価学園をはじめ学会の各所で見られるものだが、元はと言えば、それは池田氏の「反応は元気よく」という指針に由来するらしい。池田氏を師と仰ぐ弟子(=学会幹部等)が忖度し、極端に振れ、一斉挙手という作法にまで結実したのだ。また、学会の女性は重要な集会などでパステルカラーのスーツを着る。遠くから見るとそれが花畑のように見えるのだが、この“伝統”も、元はある集会で池田氏が「女性の服装が地味だな」と語ったことに由来すると聞く。

 こういった「忖度」による弟子の言動や服装の「統一」的演出は、弟子の過剰反応によって生まれたと私は思っている。ただ一方で、池田氏がその“伝統”に乗っかってしまった(あるいは利用した? )という側面もある。そしてそれらの演出が、いつしか池田氏をカリスマ的に持ち上げる結果を生み出した。  統一的な集団行動は、それが形式的なものであれ、独特の快楽を参加者にもたらし、集団的熱狂に人々を巻き込んでいく。『ファシズムの教室』(田野大輔著、大月書店)という本では、「ファシズムの体験学習」という授業を通じて一斉挙手や制服をそろえるなどの集団行動を経験した受講生たちが次第に熱狂に流されていく「さま」が報告されている。

そのうえで著者の田野氏は、集団行動が権威と結びついたときの「変化」に注意を促す。すなわち「彼ら(=生徒たち)は個人としての判断を停止し、指導者の意思の『道具』として行動するようになる」と。こうなる危険が、創価学会の忖度文化にも潜んでいると私は思う。そしてその状態は、池田氏の「一人を大切に」という指針とは正反対のスタンスである。  私は、この相反する二つの要素を抱えた現・創価学会が「一人を大切にする」という視点を外さなければ、現状とは違う未来を迎えることができるのではないかと考えている。それが創価学会の強さの源泉だからだ。

 創価学会の動向は世間の注目するところである。池田氏逝去をエポックとした変化はあるのだろうか。これからもよくよく見ていきたい。

正木 伸城 :文筆家