公称827万世帯は厚化粧が過ぎるとはいえ、創価学会が日本最大規模の巨大教団であることは疑いない。その数をバックに公明党を通じて国政を牛耳らんとしたのが池田大作名誉会長である。しかしそのカリスマの素顔は俗物で、訃報記事には載らなかった意外な“黒歴史”もある……。

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 女優の杉田かおる(59)が熱心な学会員だった時のこと。池田名誉会長が、彼女を含めた芸能人20人ほどと会食の席を設けたという。

「私はその時の話を杉田から直接聞きました」

 とは、『「人間革命」の黄昏 創価学会に踊った男の人生』などの著書を持つ、ジャーナリストの段勲氏である。

「デザートにメロンが出た。池田さんは“これは天皇陛下しか食べられないすごく高いメロンである。これを少しずつ皆さんに与えましょう”と自分が一口、口を付けて皿を回したと」

 超高級メロンを好み、それを人に振る舞える己を誇示する。そしてまず自分がかじってから他に下げ渡す――。高潔で清貧を尊ぶ宗教家というより、成り上がりの俗物というのが、池田名誉会長の実像か。

「杉田は嫌で嫌で仕方なかったが目をつむって飲み込んだそうです」

 

 

末端の信者を直接激励

 池田名誉会長は1928年、10人きょうだいの五男として、現在の東京・大田区で生まれた。生家は4代続いたのり屋。19歳の時に友人の誘いで座談会に出席し、創価学会の教えに感銘を受け、入信。以来、学会の組織活動にまい進し、2代会長・戸田城聖の死後の1960年、会長に就任した。64年には公明党を設立。本格的に政界に進出する。会長就任時、140万だった会員世帯は公称ベースでは今や6倍弱。公明党も政権与党となって四半世紀を迎える――。

 組織の拡大、発展という点だけを見れば、戦後日本の歴史でも稀有(けう)な“成功例”である。

「それは池田氏本人の人格に由来するところが少なくないと思います」

 とは「宗教問題」編集長の小川寛大氏だ。

「70~80代の信者は皆言いますが、池田氏は奥の院にいて命令を飛ばすだけのタイプではなく、自ら現場の最前線に行き、末端の信者さんの手を取って直接激励するタイプ。入信間もない信者が“君は早稲田だったな。頑張ってくれ”と肩をバンバンたたかれて感動したとか、2度目に会った時に自分のことを覚えてくれていたなどのエピソードも少なくない。こうしたカリスマ性が組織を強化していったのでしょう」

田中角栄のような人心掌握術

 政界でいえば、田中角栄のような人心掌握術に長けていた、というのである。

「身内に対しては下っ端であっても顔を覚えて手を取る一方、敵だと見なした人間は決して許さず、徹底的に潰す戦闘的な性格で、アメとムチを使い分け、人間掌握がうまかった。実は、戸田会長の後継には石田次男という参議院議員がふさわしいという声もありましたが、池田氏はそうしたライバルたちを見事に潰し、トップの椅子を手に入れたんですね」(同)

 前出の段氏は、その石田氏にインタビューしたことがあるという。

「池田さんとはどういう人ですか、と聞いてみたんです。そうしたら“あの人は頭は良くないけど、人事面にものすごく長けていた”と。池田さんは自分に敬意を表する人物は重用するが、そうでない人物は徹底的に排除するというのです。自身の体験を念頭にそう捉えていたのでしょう」

 

 

会場を盛り上げる特異な演説

 先に池田名誉会長と田中角栄の類似性について述べたが、演説を武器にしたという点も共通項だ。

 池田氏の演説にはほとんど学会員しか接する機会がなかったが、流出したその記録を聞くと確かに特異な内容である。

 1993年1月、アメリカ・ロサンゼルスで行われた会合では、

〈ようこそ、ようこそ。あ、クリントン、元気かしら。あのように口をうまくに、うんうんと人を誤魔化してね、警察に捕まんないように、クリントン以上に口をうまく、折伏戦をやってください〉

 とご当地ネタで入り、

〈悩みのある人は真剣に願いなさい。仏法は真剣勝負です。弓を何本射ったって、当たらなければ何もならない。ご本尊にピシュッと願いが届くような真剣勝負のお題目です! 寝ながら南無妙法蓮華経、何回やったって当たらない〉

 と言った後、頭を振りながら酔っぱらいのような口調で、「なんみょ~ほう~れんげ~きょ~」と唱えてみせたり、体を大きく使って弓を射るポーズを取り、「バーン」と声に出したりして会場をおおいに沸かせている。

「承認欲求が強い人に夢を見させる能力が」

「アジテーターとしての才能は抜群でしたね」

 と述べるのは、創価学会に詳しい、ジャーナリストの乙骨正生氏。

「とかくお説教に終始しがちな宗教者と違い、“世界を変えるんだ”といった言葉で人々を熱狂させる力があった。私も創価中学校時代、“お前らが戦力になって目標を達成するのだ”というような演説を聞いて熱くなってしまったことがあります。今思うと大風呂敷を広げたような話ですが、自己実現をしたい人や、承認欲求が強い人に夢を見させることができる、稀有な能力を持った人でした」

 2007年5月の本部幹部会での演説を聞くと、その大言壮語ぶりが垣間見える。

〈『池田大作全集』は今月、101巻が出版されます。150巻が完成の暁には……、ガンジー全集が100巻です。世界一といわれるゲーテ全集、143巻。私はそれらを優々と超えた、世界最大の個人全集家となるでしょう〉

「ヒトラーやムッソリーニが持っていた特徴」

“仏敵”への攻撃も忘れない。創価学会は1991年、日蓮正宗から破門になったが、08年9月の演説では、

〈(日蓮正宗の)大石寺にどれだけのご供養をしたか。終戦後、大石寺は5万坪でした。戸田先生は17万坪ですよ。私は117万坪への大拡大をしております。あいつら(大石寺の僧侶)威張ってて、何も感じないけど〉

〈学会が総本山に供養した金額は2800億!〉

「仮想敵を作り、壮大な夢を語る。ヒトラーやムッソリーニ、毛沢東が持っていた特徴と同じでしょうね」(乙骨氏)

角栄からの電話

 かくして未曾有の大教団を育て上げた池田氏だが、光があるところまた影も。おくやみ記事では詳しく書かれなかった“闇”がある。

 その最たるものが「言論出版妨害事件」だ。

 創価学会が拡大の途上にあった1969年、政治評論家・藤原弘達氏が著書『創価学会を斬る』を刊行。池田氏を「天皇」と呼び、創価学会の政界進出を厳しく批判する内容だった。出版計画を知るや、創価学会は対抗した。

 同書で著者が述べたところによれば、

〈十月始めのある朝早く、まだベッドにいた私は突然の電話に起こされた。電話口に出てみると、政府与党のある有名な政治家からの電話だった。なぜ、そんな電話をかけてきたのか、といってきいてみると、私がここに出版しようとする『“創価学会を斬る”という本を出さないようにしてくれ、という公明党竹入委員長からの強い要請・依頼を受けての早朝電話である』ということであった。趣旨は、『ひとつなんとか執筆をおもいとどまってもらえないものであろうか』ということである〉

 ここでは明かされていないが、この政治家とは当時の自民党幹事長・田中角栄のことだ。今の構図で言えば、山口那津男代表の依頼で、茂木敏充幹事長が出版妨害を企んだということだから、その異様さは明らかであろう。

 その他にも、

〈公明党の都議会議員やまた多くの創価学会員は、予告広告したにすぎない『創価学会を斬る』を出させまいとする圧力をさまざまな形で私や出版社にかけてきた〉

政教分離に追い込まれた

 が、脅しや懐柔にも屈せず、同書は出版され、100万部以上のベストセラーになった。

 創価学会とそのトップである池田会長への批判は高まり、翌年、池田氏は、「言論妨害というような陰湿な意図は全くなかった」「関係者に圧力を感じさせ、世間に迷惑をかけた」「率直におわび申し上げ」たいと述べ、創価学会と公明党の「政教分離」に追い込まれたのである。

 ちなみに同書で藤原氏は、

〈創価学会・公明党が目下ねらっているものは、自民党との連立政権ではないか〉

 としているが、その30年後、見事に氏の予測は的中した。

国税サイドに対する工作

 また、「共産党・宮本委員長宅盗聴事件」も黒歴史の一つだ。もともと創価学会と共産党は不倶戴天の敵同士。言論出版妨害事件当時、共産党は学会批判の急先鋒だったが、同党の宮本顕治委員長宅を創価学会幹部が盗聴していたことが、1980年に発覚したのである。

「こうした行為に池田氏による直接的な指示があったとは考えにくいです」

 と述べるのは、『創価学会秘史』の著書がある、ジャーナリストの高橋篤史氏だ。

「池田氏は取り巻きの幹部たちにおおよその指導を行い、大幹部たちは“池田先生に傷をつけてはいけない”と自らの裁量で過激な行動に走った。ただ、そうした体質の組織を作り、部下の行動を黙認したという罪はあったと思います」

 が、

「私もNTTドコモ関連会社の学会員によって、携帯電話の通話記録に不正にアクセスされる被害に遭った経験があります」

 とは、前出の乙骨氏。

「池田さんの罪といえば、あれだけ巨大になった創価学会を利用し、己の私利私欲も満たしてしまったこと。学会が生んだ莫大な金や権力の一部が、池田さんを守るために使われてしまった側面は否定できません。その最たる例が税務調査についての疑惑です」

 これは、公明党の元委員長、矢野絢也氏(91)が後に著書で明らかにしたものだ。

「当時、国税が創価学会や池田さん自身の税務調査をしていた。池田さんの私的な金と学会の金が混同されている疑いがあり、そこにメスを入れようとしたのです。これに震え上がった池田さんは矢野さんに命令し、国税サイドに対する工作を行わせたのです」(同)

「己を神格化することに余念がなかった」

 これでは公明党設立も、後の政権与党入りも、学会や池田氏個人の利益を守るためと批判されても仕方ない。

『池田大作「権力者」の構造』の著書がある、ジャーナリストの溝口敦氏は言う。

「池田は世界各国から名誉学術称号を何百個も受けています。自分を飾り立て、信者に崇拝させ、己を神格化することに余念がありませんでした。また“財務”と呼ばれる寄付で学会に巨額の財産を渡し、苦しみを味わわされた信者も多かった」

 宗教という聖なる世界の住人だった池田氏だが、実態はまことに俗なる人物で、時に邪の道にも足を踏み入れた。聖・俗・邪を一身にあわせ持つ“怪物”というのが「池田大作」の本質だったのか。

「池田氏は最期まで宗教の本質である“死”についての解を提示できなかった」

 と、『創価学会』(新潮新書)の著書がある、宗教学者の島田裕巳氏が言う。

「池田氏の人生は“生きる”ことに大きな比重を置き、『現世利益』を徹底。信心によって勝利の人生を切り開くことができると説いた。その反面、死について掘り下げることがないまま、表舞台から去っていった。そこに宗教者としての限界があったのではないでしょうか」

 人間・池田の真の評価は、死してなお定まりそうにない。

週刊新潮 2023年11月30日号掲載

特集「カリスマか俗物か 国政を牛耳ろうとしたドン 『池田大作』野望の果て」より