東日本大震災から幾日たったのだろう。冒頭は震災直後の荒れはてた街の残骸のあいだをさ迷う、幼い鈴芽の姿。繰り返し観て思うのは、このファースト・シーンは運命を感じさせるものであるようだ。
ぼくは、新海誠作品は「君の名は。」「天気の子」とこの映画しか知らない。彼の作品を観て思うのは、とにかく絵がよく描けていること。最近TVの映画番組で、日本の近年のアニメ映画を立て続けに観たが、「サイダーのように言葉が湧き上がる」と「猫の恩返し」。どちらも作画がひどすぎて、呆れた。「サイダー……」では、美術と色彩が悲惨すぎる。派手過ぎて目がちかちかする。歩いているのに足がちっとも前へ進んでいない、同じところを踏んでいるように見える。動画ももうこれでは笑う外はない。100点満点なら1ケタか、あるいはせいぜい10点か15点。ABCDE評価ならE評価の☆1つだ。そこへゆくと新海誠作品は作画、殊に背景・つまり美術がよく描けている。また、新海監督は自然現象にも造詣が深いので、逃げ水のような風景描写もやりすぎに陥らず、さりげなく描けていた。海の波の描写もCGを上手く使ったのだと思うが、驚いた。ファーストシーンの後の登校の自転車シーンも、現地へロケハンに言った所為なのか、地方都市の田舎の荒れた舗装道路もよく描けている。
毎回彼は、注目対象を接写で描く。今回は鍵だ。自転車のキー、車のキー、そしてあの、〈後ろ戸〉の鍵。そういうものを接写することで対象の描きこみのスイッチを入れる。こういうところも彼らしくておもしろい。
ただ、前から感じていたことだが、以前から鼻についていたのは、クライマックスになると殊に多くなる〈大袈裟なセリフ〉や〈臭いセリフ〉である。それを声優のオーバーアクトで殊更に強調している。大袈裟もここまでくると、興ざめというほかない。声優はこの派手な演技が映画を盛り上げていると思いこんでいるようだが、勘違いもほどほどにしてほしい。これだけは何とかしないと、一流の監督とは呼べない。(ただ、日常の場面はセリフも情景の作り方もとてもいい。コミカルな場面も、生活描写もそつなく描けている。声優の演技も日常風景を描いた場面の方がずっといい。)
疑問。廃虚と化した門波町上之浦の温泉街の水たまりに、鈴芽は何故靴も靴下も脱がずに入ったのだろう。濡れるし、濡れた後が不快じゃないか。靴も傷むし。
〈ミミズ〉なる怪異な現象が鈴芽の行く先々で起こる。思ったのは、最初の舞台である宮崎県が、天孫降臨の地である高千穂に近い町であること。新海監督はこういう〈聖域〉のような世界が、好きなようにお見受けするので、ここを選んだのではと思った。鈴芽の苗字が〈岩戸〉というのも、何か関係あるのではと勘ぐって見たくなった。
ミミズが立ち上がると、鴉の大群が現れる。禍々しいものを呼びよせているように思われる。むかし多数の死者が出た災害には、死肉を食らう鴉がたむろするのが常だったろうと思う。
食事のシーンもおもしろい。白身魚の煮つけ。鱈か、鯥か、他の深海魚か、魚の種類がわからないが、光り物の魚だろう。美味しそうに描けている。新海流料理。ポテサラを混ぜた焼うどんもおもしろかった。
夕立のさなかのヒッチハイクで拾ってもらった鈴芽。このシングルマザーのルミさんの声を担当した伊藤沙莉。この映画で最も印象に残っている。彼女のハスキーボイスは、この映画でも絶大なる威力を発揮している。殊に「めっちゃ見とう……」のセリフは物凄くよかった。
ダイジンが鈴芽の「大嫌い!」の叫びにも拘わらずそばを離れなかったのは、ダイジンほどの能力者だ。ひとの心を読むことぐらい簡単なはずだと思った。最後に現れたドアの向こうの炎の世界。あれは、地獄だったのか。後ろ戸を閉ざした後に降った雨は、まるで甦りを意味する雨のように思った。だとすれば、あの大震災で亡くなった2万有余の犠牲者への鎮魂と、冥福を祈る雨のように感じられてならなかった。あの震災で地獄へ堕ちてしまった御霊を天へ救い出す雨だ。
「君の名は。」では彗星の落下。「天気の子」では豪雨。そして今作は大地震。すべて自然災害。地球があげている悲鳴に、耳を傾けていた所為で、彼にはこういう景色が見えたのだろう。
いろいろ不満な点はあるが、彼のこの、映画を構築する力が並々ならぬこと。そして新しい作品を、作品ごとに見るたびに、〈進化〉が感じられること。だから彼の作品は、見ていてある種の〈快さ〉を感ずるし、ある程度安心して見ていられる。それは作品を創るうえで、映画作家に必要なある種の資質だと思う。
5段階評価を書いておくのを忘れていた。失礼。
評価:Bプラス(☆☆☆☆)