門前町日記 | 悠志のブログ

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ぷくぷくぷくぷくぷくぷく。

 その一

 少し臨時収入が這入ったので、何か旨いものでも食べようと出かけた。ちょうどお昼時で空はからからに晴れており、日本晴れと言っていい好天だったが、いつもより裏町は静かに感じた。小学校からも賑やかそうな声はしなかったし、往来を誰かとすれ違うこともなかった。ただ肌を刺すような、鋭いというのか、この季節にしては冷たい風が吹いていた。

 横丁を少し這入ったところから獣の唸るような、そうでなければごうごうという低い轟音のような、通奏低音のようなものが聞こえたが、普段聞きなれない音でもあり、それが何なのかはいくら考えても判断のしようがなかった。

 しばらくして誰もいるはずのない路地裏から、ゴルフボールが表に転がり出て、高らかに跳ねながら坂を転がって行くのが見えた。誰が転がしたのか、まったく人の気配のしないところから、飛び出したので、一瞬ぎょっとしたが、それが通りから見えなくなるかならないかのうちに、はるか先の路地を曲がったと思われるあたりから、何の事だかわからないが、げらげら笑う声が聞こえた。

 その声が止むか止まないうちに、信号機のある交差点から軽トラックがぬっと現われ、突進してきた。それは気が違ったかのように、小刻みに蛇行しながら走ってきた。トラックのエンジンがすさまじい唸りを上げているのが、歩いている私にも判った。どうしてこの細い道をそんなに物凄い速度で走らなければならないのか。まるで人を轢き殺すのが目的のように蛇行しているので、私は慌てて石垣の上に駈けのぼった。トラックには誰かが乗っているはずだと思って、運転席を見ようとしたが、凄まじい速さで蛇行しているので最初はわからなかったけれど、ハンドルの後ろに人影らしきものがない。そんなはずはないと、よく見てみたら、ハンドルの下あたりで野球帽が左右に揺れていた。それは年端もいかぬ幼児だったのか。確認する暇もなく、トラックはひっきりなしにクラクションを鳴らしながら、電柱をすれすれにかすめて通りすぎていった。しばらくして、それが通りから見えなくなるころ、はるか先の路地を曲がったと思われるあたりから、げらげら笑う声がまた聞こえた。道ばたのポケット・ティッシュの包みらしきものが、風に吹かれて飛ばされてゆくのが見えた。

 

 その二

 少し臨時収入が這入ったので、何か旨いものでも食べようと出かけた。ちょうどお昼時で空はからっと晴れており、日本晴れと言っていい好天だったが、いつもより裏町は静かに感じた。小学校からも賑やかそうな声はしなかったし、往来を誰かとすれ違うこともなかった。ただ肌を刺すような、鋭いというのか、この季節にしては冷たい風が吹いていた。それにしても腹が減ったので、早くどこかで何か食べたかった。

 この界隈には不思議と飲食店はないので、この路地を折れて大通りへ出、その辺りの定食屋に這入るつもりであった。

 太陽が少し翳りだした。何だか雲の影に這入ったにしては妙に暗いな、と思っていると、陽射しは眩しくて正視はできないが、太陽が欠けはじめたように思えてきた。今日は日蝕だったのか。だんだん裏町全体が暗くなってきたので、何だか嫌な気になった。不審に思っていたけれど、確かニュースでも今日が日蝕だとは言っていなかったと朝のことを思い出していた。

 暗くなりはじめるのとほぼ同時に、裏通りのこの近辺から、静かな、包丁を砥ぐような音が聞こえだした。このあたりには食べもの屋はないし、いまどき砥石で包丁を砥ぐ家なんてあるのだろうか。と、変に思っていたけれど、その音は人を鬱然とした気分にさせずにはおかない、聞いていてもただごとではない音のような気がした。そして、すぐそこの雑貨店から電話への受け答えのような声が聞こえてきた。

 「ええ、そうなんです。亡くなったんです」

 「いや、そうではなく、事故死だそうです」

 「ええ、そうなんですよ。まだ、五歳でした」

 「通夜なんですが、母親が刃物を振り回して」

 「ええ、それでお一方、お気の毒に」

 あとは、聞こえなくなった。包丁を砥ぐ音がそこでぴたりと止んだ。

 しばらく裏町には何の音も聞こえなかった。ひどく電話の話が気になった。刃物を振り回した母親がどうなったのか。お一方お気の毒にどうなったのか。そんなことが気になって仕方なかった。

 日蝕と思われる太陽は、まだ欠けたままだった。一陣の風が、裏通りにひとしきり吹いて、道ばたのポケット・ティッシュの包みらしきものが、飛ばされてゆくのが見えた。雑貨店の自動販売機の脇にある、溢れかえった空き缶入れから、珈琲の缶が一つ転がり落ちた。転がり出すと、この長いなだらかな坂を何処までもからからと高い音を立てて転がっていった。私は片づかない思いのまま、それを茫然と眺めていたが、さっきまで空腹で仕方なかったのに、今はもう何も食べたくなくなっていた。路地に若い女が現われたのはその時だった。三十前くらいのちょっと見た目の美しい女であった。その女は髪を振りみだし、腕をぶらんと垂らしたまま、私の方を向いた。そして気味の悪い笑いを浮かべた。

 

 その三

 夕べの雲が紫になりかかっていた。北窓を開けてみると、外はもうほとんど暗いのに、表通りの向うの喫茶店の方の空が、そこだけくくったように、次第に紅く染まってゆくのが見えた。やけに低い音でサイレンが表通りを通りすぎたようなので、気にしてはいたが、路地は静かなままだったし、とくに大きな音も聞こえないので、私は窓を閉めたのだった。

 最初は音楽をかけていたから、よく聞こえなかったのだけれど、広報無線が何か言っているようだった。曲を止めてみて耳を澄ましたが、広報のアナウンスはもぐもぐと口籠ったように話しており、何を言っているのか、さっぱりわからなかった。

 父からも電話がかかって来たが、声が遠くて何も聞きとれず、そうこうしているうちに切れてしまった。同じ市内に暮らしているが、滅多に電話をかけて来ない父なので、妙だなと私は思った。

 夕餉時でもあったけれど、私は夕食の食材を、まだ買っていなかったから、近所のスーパーへ買い物に出かけた。外へ出ても、別におかしなことはなかったようだが、空は一面に曇っていて今にも雨が降りそうだった。表通りへ出ようとするとき、不意に木の焦げるような臭いがしたように思えた。そこの信号の向うの時計屋の前にパトカーが一台、回転灯を廻しながら停まっていた。そして縦道は通れないらしく、バリケードで塞がっており、警官が交通整理をしていた。

 何だろうと思いながら製紙会社の社宅の前を通らせてもらった。というのは横道がほとんど車で埋まっており、幅員の狭く歩道のない道でもあって、道のわきは蓋のない側溝なので通れないのである。

 二十分ほどかけて、買い物を済ませると、横道の渋滞は収まっていたけれど、道路はものすごい速さで車が行き交っており、とても人が通れそうになかったので、また社宅の前を通らせてもらったが、そこで社宅の主婦と思しき人たちが二三人立ち話をしていた。近くをそれとなく通ってみると、はっきりとはわからなかったけれど、外の明りの下の顔が心なしか暗く、すれちがいざま、「お気の毒に。逃げ遅れたのね」という言葉だけが耳に這入った。

 ちょっと気になったので、時計屋の近くで通りがかりの人に訊いてみると、やはり火事だったらしく、その人の顔は、暖色の明りがあたっているのに何故か青ざめて見えた。話を聞いていて感じたのは、話の内容もさることながら、その声が微妙に震えていることだった。現場は角を曲がって二三軒先だという。

 角を曲がってみると、そこはもう鎮火していたが、一棟まるまる全焼して、細い柱が小鹿の脚のように立っているだけであった。けれど、それもたった今、見ている間に崩れ落ち、細かな灰が埃のように舞い上がって、その場から悲鳴交じりの叫び声が上がった。そのあとしばらく現場は崩れた残骸が静かに燻ぶっているだけだったので、少し騒ぎが収まってから、私はそこで話を聞いた。五歳の娘と父親の行方がわからなくなっているという。父親は娘を助けようと、頭から水をかぶり火の中へ飛び込んでいったらしい。母親と思われる人が数名の人に支えられ、喫茶店の方へ歩いてゆくのが見えた。

 街灯の下の火事見物の人たちは、みな一様に深刻な顔をしていたが、その中にひとり、無表情なのに口元だけほころばせている男がいた。眼を見るとその男のそれは、小さくきらきら光っていてどこか蜥蜴を思わせた。薄い唇が笑いをこらえているようで、その辺りに寄ってみたが、気のせいか生臭い匂いが漂っていた。

 その時、空がかっと光ったかと思うと、雷が四五軒向うの電柱に落ちた。辺りは真っ暗になり、一瞬、近くで何人かの女の悲鳴が聞こえた。その中に、下卑た笑い声が混じっているのを、私は空耳かと思って佇みながら聞いていたけれど、笑い声はいつまでも消えなかった。

 

 その四

 駅前に吹く風は、だんだん強まって来たようであって、何か落ちつかなげに、駐輪場の傍らの桜並木の梢を、時に激しく揺らすこともあり、その辺りを行く人影を見ていると、みな一様に物に慄いているような顔をして、足早にここを立ち去ろうとしているらしかった。私は急ぎの用で、人穴の清野さんのところへ行くために、駅前のバスターミナルでバスを待っていた。気象情報では台風がゆっくりと接近中ということであったが、その前にどうしても清野さんに逢っておかなければならないのである。

 清野さんは私の高校時代の先輩で、東京の国立大学を出た後、都内の商社に勤めたが、四十を過ぎてから脱サラして帰郷し、家業の酪農を継いだ。彼の父親が脳梗塞に倒れたので止むを得ない選択であるように私は思っていたが、彼自身の心中はそうではなく、商社マンの生活に嫌気がさしていたらしい。

 実際には家業は弟さんが継いでいたが、清野さんは高給取りであったので財産を資産運用で増やし、多くの不動産を所有していたから、その資本を家業に投資し、共同経営者としての生活を始めていた。

 彼は地元の不動産も手に入れ、アパートも幾棟か所有していた。私の用件というのはそれで、近々引っ越そうと思っていたから、引っ越し先の相談をしに、今日は行くつもりであった。

 これが何故急ぎの用かと言うと、部屋はもう別件に決めかかっていたのだけれど、そこは、先日亡くなった人が出て、それも人の噂では自死と聞いていたので、引っ越しの話はなかったことにしてもらったのである。けれど、今住んでいる部屋は今月じゅうに出なければならなかったから、それまでに住処を決めておかないと、私は住む家が無くなってしまう。

 バスターミナルの東西はがらんどうの更地である。もとは大型スーパーやボウリング場のあった土地だが、どちらも負債を抱えて廃業したという。いまはその更地に強い風だけが吹いている。

 駅前のバスターミナルに着いてもう三十分は経つのに、まだバスが来ない。時刻表を見ると、予定時刻を二十分も過ぎている。窓口に問い合わせてみたら、この台風の影響で便数が減っていて、件のバスは運休になったという。

 もう正午を廻っていたが、私は朝から何も食べていなかったので、さっきコンビニで買ってきておいたサンドイッチを、ベンチに腰掛け、鞄から出して食べた。

 ここのベンチは三人掛けが二脚あって、それが直角になるように並べてある。私はそのベンチの東向きになる方の隅に坐っていた。

 その時、左頬の辺りに何やらただならぬ視線を感じ、ひどい悪寒がした。そちらを見ると、いつの間にか私の坐っているベンチの端に男が坐っており、顔だけをこちらへ向け、私を見つめていた。その顔には見覚えがあるような気がした。最初は誰かわからなかったが、一瞬閃くものがあって不意に思い出した。

 それは、私が以前身体を悪くして入院していた時の同じ部屋の人で、名前を幣原さんと言ったか、私の左隣のベッドの人であった。変わった苗字なので覚えていた。

 けれど、何だか変である。幣原さんは私の入院中に肝炎が悪化して亡くなったはずだ。それと、幣原さんには左顎のところに、五ミリほどもある大きな黒子があった。が、私を見つめているこの男の顎にはそれがない。

 幣原さんは兄弟が居なかったと聞いているので、この男が双子の兄弟の片割れと言うことはありえない。弟ということもないので、他人の空似だろうと思ったから、会釈もしなかった。

 が、男はじっと私を見つめている。見つめるというより凝視と言った方がいい。その顔は険しく、じっと監視するようなまなざしであったから、サンドイッチを食べ終えた私は、本を取り出して読みはじめたが、男が本を覗き見ているように感じられ、ひどく不愉快に感じた。張りつくような視線なのである。それゆえちゃんと活字を追って読んでいるのに、本の内容はちっとも頭の中に這入ってこなかった。

 こんなに睨みつけられると、何だか不可解でもあり、いらいらして、「あの、私に何か」とほんとうなら言いたくもなるところだろうが、その凝視による威圧感は明らかに尋常ではなく、私はわけもわからぬまま、恐ろしい気分になり、何も言えなくなってしまったのだった。

 風はますます強まり、やがて空は一体に暗くなって、雨が降りだした。そうして雨は十分もしないうちに凄まじい吹き降りになった。横殴りの雨が荒びに荒ぶので、私は慌てて近くの公衆トイレの中に避難した。

 私にはまだ例の男のことが気にかかっていたが、これほどの豪雨にもかかわらず、ここに避難しないところを見ると、あれは一体何者であろうかということがしきりに思われ、いくら考えても、その普通でなさが薄気味悪く感じられてならなかった。

 しばらくして構内にアナウンスがあり、午後の便はすべて運休になるということであった。私は仕方がないので、タクシーを捉まえようと、雨が少し弱まってからタクシー乗り場へ移動したが、さっきの男は例のところにはおらず、何処へ行ったのかもわからなかった。あの壮絶な風雨の中をどこへ行くにしても、ずぶ濡れ覚悟で行かねばならず、常識で考えれば考えるほど、いよいよ不可解にしか思われなかった。私は男のいないうちに逃げるような気持ちで、停まっていたタクシーに乗り込んだ。

 「人穴の清野牧場へお願いします」

 「清野牧場? どこですか」

 「ご存知ないなら私が道案内します」

 「それにしても凄い雨でしたなあ。お客さん」

 「ほんとうですね」

 車が走り出すと、雨はまた激しく降り出した。対向車の大型トラックがすれ違いざま凄まじい飛沫をタクシーのフロントガラスに浴びせかけ、そのたびに前方の視界はゼロになった。運転手は、「こんな日がいちばん嫌ですなあ」とぼやきながら、ラジオのスイッチを入れた。台風情報が流れてきた。台風は遠州地方に上陸しようとしているということだった。

 運転手はそれきり口を利かず、私も特に話すこともないので黙って本を読んでいると、車は北山から上井出を抜け四叉路を人穴方面へ向かった。途上潤井川に架かった橋を渡ったが、川の増水はかなりのもので、ウィンドウを開けられないから判らなかったが、川底の大石ですら、ごろごろと大袈裟な音を立てて、押し流されてゆくような激しい濁流に磧は飲み込まれていた。この先の道路状況が危ぶまれたが、実際に行ってみると、今のところ幸い寸断されている箇所はないけれど、こちらの風も凄かったようで、交差点のところのコンビニの入口の傍らに、クリーニング店の大きな看板が落ちており、さらには角のところの大樟が薙ぎ倒されて、井之頭へ行く道路を塞いでいた。

 人穴の道はさほど込み合っているわけではないのに、一様にどの車ものろのろと走っており、それは雨が小降りになって来ても同様で、後部座席から見える豪雨の傷痕は台風慣れした地方に住む私にとっても、驚愕させるに十分の惨状を露呈していた。

 ようやく道路に冠水していた水が引きはじめたが、車は慎重に舗道の路面を捉えながら、路肩の崩れたところを避けて、ひたすら道なりに走った。豊茂へ行く道と井之頭へ行く道とに分かれる丁字路を直進すると、間もなく清野牧場が見えてきた。その手前で降ろしてくれと告げてから、少し待っていてほしいと運転手に言いおいて、車から降りると、もう雨は止んでいたが、豪雨のために舗装のされていない道は、ところどころ土砂が流れたためにひどくえぐられており、舗装されているところですら、未だ土砂が泥水となって流れている箇所もあった。

 清野牧場の敷地内に這入ったが、水を打ったようにいやに静まり返っている。それに常時誰かしら働いている、牧童や従業員の姿が見当たらない。牛の声もまったく聞こえない。いつもは愛犬のゴールデンレトリバーが納屋の方から飛び出してくるのだが、今日はそれもない。人や家畜らの生きて暮らしている気配がまったくない。ただ、遠くに小綬鶏が時折落ちつかない声を立てているばかりであった。

 私は念のため、おそるおそる牛舎を覗き込んでみたが、どういうわけか牛は一頭もいなかった。文字通りのがらんどうである。

 これは何かの間違いではないだろうか。私自身、清野牧場が廃業した、なんて話は聞いていない。それに清野さんとは、昨日の昼も電話で話したばかりである。元気そうな大きな声で吃驚したほどであった。

 母屋の呼び鈴を鳴らしてみた。応答がない。玄関の引き戸を開けると、がらがらと重い音がした。留守だとしたらいまどきずいぶん不用心だなと思った。「ごめんください」と大声で言ってみたが、応答はもとより、人の気配もないのが分かった。テラスが前にある休憩所を覗いてみたが、ここも無人だった。しかし、気になることがあった。

 そこには飲みかけの湯のみが四つ置かれてあり、バウムクーヘンがナイフで切り分けてあるのだった。湯のみに触れてみたら、もう冷たくなっていたが、バウムクーヘンには黴など生えてはいなかった。まるでおやつの最中に神隠しに遭ったようだった。

 外へ出ると、一瞬天がぎらりと光った。そして次の瞬間、私は人影を見た。それは駅前のベンチに見かけた、あの男であった。男は何か言ったようだったが、それは唸るような声で、言葉には聞こえなかった。しかし、そのあと男ははっきりとした恐ろしく低い声でこう言った。

 「神の不在の月に怒らせてはならないものがある」

 私は驚いて訊き返した。

 「あなたは誰です」

 「人間はもはや神の僕ではない。ただの敵だ」

 そう言うなり、男の影は薄れて仕舞いには消えてしまった。気がつくと日が暮れかかっていて、足許はもう真っ暗だった。さっき正午だったはずなのに、時計はいつの間にか六時を廻っていた。風はおさまったけれど、その時不意に耳慣れない声がした。日本にはもはやいるはずのない狼の遠吠えであった。それは群を呼び合っているようであり、向うの森の方に、物々しい獣の夥しい群が蠢いている気配がしはじめていた。

 

 その五

 粒あんの鯛焼きなら出来あがるまでに、少し待たねばならない、と言われた。元城町のその鯛焼き屋は夜までやっていて、ショット・バーも兼ねているが、閉店は店主の裁量で変動があり、どっちにしても平日は八時ごろになるとそろそろ閉店なので、焼きたての現物がなく、新たに焼かねばならないから、止むを得ないかも知れない。というのは、仕事帰りに立ち寄ったので、すでに閉店予定時刻の八時を廻っていたのである。

 この町はいつしか中心部の過疎化が進んでいて、夜もこの時間帯になると、人通りがほとんどない。であるから、こんな場所に鯛焼き屋なんぞあっても、誰も顧みはしない。そう思うが、店主によると、閑古鳥の鳴いた日に限って、さて、店を閉めようということになると、ばたばたと客が来たりするのだそうで、たちまちてんてこ舞いの忙しさになる。

 私の来たのはそんな一番間の悪い時間帯であり、その日も閉店間際に、鯛焼きの大量注文が這入っていた。それでただ待っているのもなんだから、少し飲んで待とうと思ったのであるが、私の飲めそうな酒があるかどうかはわからなかったから、とりあえず麦酒を頼んだ。店主の話だと、ドイツの麦酒しか置いていないという、仕方がないのでそれを頼んだ。

 狭い店内であって、カウンターが五脚ほどに小さなテーブルが二つしかない。客は一人もおらず、注文の先客は斜向かいのスーパーで買い物中らしかった。

 カウンターの向うは結構な暑さらしく、晩秋にも関わらず店主は半袖のTシャツ姿で、もう八時を廻っていて外は結構な寒さなのに、と呟くと、店主は、

 「お客さん、調理場ってもんは暑いんですよ」

 と真剣なまなざしで言う。

 夕べの月が昇る頃やっと、先客の鯛焼きが焼けたらしい。続いて私の鯛焼きを焼いてもらう段になった。夜風が立ってきたらしく、店の嵌め殺しの硝子窓の立てつけが悪いせいか、時々落ちつかなげな音を立てた。

 麦酒はすでに一本飲み終えている。間が持たないので二本目を頼んだが、それをグラスに注いで飲んでいると、玄関の扉が、どん、と大きな音を立てた。風ではない。何者かが扉を叩いているようだった。

 店主が行って開けると、そこにみすぼらしい風体の男が立っていた。ぼろぼろのジャンパーのようなものを着て、素足に藁草履のようなものを履いているのが分かった。

 「サキの代理の者です」

 「さきほどの方は」

 「キブが悪くナテ帰りました」

 「2600円です」

 「1マエン札でおネゲします」

 「はい。では7400円のお返し」

 サキ、というのは先のことだろうと最初は思ったが、どうも「さっき」を言い違えたものらしいことが、あとの会話を聞いている内にわかって来た。

 お釣りを受け取るなり、男はまた戸口にぶつかった。「大丈夫?」と奥から声がかかったが、男はそれには答えず、外へ出て行った。

 それからしばらくは、店内には私と店主しかいないものだから、物音もしなかったし、特に話題にすることもなかったので、二人とも黙ったままであった。私が二本目の麦酒を飲み終える頃、鯛焼きが焼きあがった。代金を支払って、外に出ると、少し寒いくらいの夜風が街路樹の梢を揺らしていた。外は街中だと言うのに不思議なほど暗く、街灯もさっきまで明々と灯っていたのに、外に出るとみな消えていた。そこいらは信号もないので、灯りと言えるのは満月をとうに過ぎた頃の月だけであって、それも雲に隠れると気味の悪い完全な闇になった。そこいらは、車もよく通る騒がしい道なのだが今夜は一台として通りかかる車はなかった。まるでいつの間にか夜半を廻ってしまったかのようであった。私は時折の月明かりに腕時計を見ようとしたが、暗過ぎて長針と短針の区別すらつかなかった。

 私の家は目の前の長い坂を上ってゆかなければならないが、そこいらはいつもは居酒屋が何軒か立ち並んでいて賑やかなのに、その夜はどこもやっていないらしく真っ暗であった。

 そのうち坂をまたうっすらとした半月が照らしだしたので、迷うこともなく歩くことができたが、若の宮の神社のところを通りすぎるところで、ある声を聞いた。それは最初、何だかわからなかったが、こう言っているらしかった。

 「ダナさん、鯛焼き置いてけ」

 その声は最初一人の声だったのだが、声がする度に一人ずつ声数が増えてゆくようであった。

 「ダナさん、鯛焼き置いてけ」

 「ダナさん、鯛焼き置いてけ」

 そのうち、後ろからへたへたと、誰かが裸足で歩いているような足音が重なりだした。私は気味が悪くなって、早く歩こうとしたが、脚はのろのろとしか動かず、まるで何かの呪縛にあったような気持ちがした。

 「ダナさん、鯛焼き置いてけ」

 「ダナさん、鯛焼き置いてけ」

 その声はだんだん大きくなっていって、森の上の方から、下卑た笑い声とともにぼたぼたと降って来るようであった。

 

 その六

 通院の日に必ず立ち寄るカレー屋がある。そこは年中無休で、どちらかと言えば、私の経済事情ではなかなか這入れない高い店なのだが、月に一度の贅沢のつもりで、いつも寄るのである。そこは日本へ来て十五年という、親日家のネパール人がやっている店であって、手製のタンドール窯で焼かれるナンが美味しいので、毎月楽しみにしている。

 今月もそのつもりであったが、今日は生憎の雨で、雨の日の通例としていつものように大きめの傘を差し、本降りの道をしばらく歩いて、やや遅く病院へ行き、診察と、薬を貰うのを遅くさせてもらって、お昼時に病院を出たのだが、例によってそのカレー屋の前を通ると、店の中は真っ暗で、入り口に「営業中」の札が出ていない。のみならず、準備中の札も出ていないので、妙だなと思った。

 朝から降り続いている雨は、カレー屋の、オレンジ色の日覆いから、雨の飛沫と軒からの滴をぼたぼたと零し、自動ドアの、いつもは小奇麗な玄関先の、大きな水たまりをさらに大きなものにしていた。

 しかし、日頃のこの店は、傍目から見ていても評判は上々で、客の入りはよく、遅く行くと行列ができているほどの店である。店の人とも話をしているが、儲からない話などはしていないし、「お蔭さまで」とオーナーはいつもにこにこ話していたのであるから、経営が傾くはずもない。もしかしたら身内に事情があっての、臨時休業かも知れないと思い、今日はやむなく、そこから少し離れた中華の店を覗いてみることにした。

 しばらく歩いている内に雨は小降りになって来て、十分ほどしてその店に着くころには、もうほとんど止みかかっていた。玄関には傘立てはなく、空っぽの植木鉢のようなものが置いてあったので、それが傘立てのつもりだろうと思い、立てかけた。まだ傘の客は一人もきていないらしかった。

 早めの時間帯で駐車場にも車がなかったので、これは空いているかと思った。中に這入ると照明は薄暗く、店内の席はほぼすべて赤いボックス席であって、それ以外は大きな座敷になっているのだけれど、そこも壁が赤く座布団も赤で、テーブルも血の色のように赤かった。そして意外なことに、どこのボックスもすでに客がいっぱいであった。辛うじて空いているボックスを見つけたので、そこへ行こうと歩くうちに、中にいたその大勢の客が、みな一様に、私の方を見ているような気配がして、嫌な気持ちになった。

 店内はかなりの広さであるので、相当たくさんの客がいるようであったが、にもかかわらずどういうわけか、水を打ったように静まり返っており、どこのボックスの客も、まだ食事はしていないようであって、客はみな生ビールのジョッキやら、アルコール類を昼間から飲んでいるらしく、ボックスを仕切っている玻璃越しに見る、各々の客たちの目はもう坐っていて、意地悪そうな目をしている者もおり、それらが、みなこちらを窺っているような気配であったので、私としてもあまりいい気分ではなかった。

 メニューのアルコールのところを見ると、大ジョッキが六百円とあって、さすがに安いなと思い、昼ではあったが、今日は仕事を休んだのでそれを飲むことにして、それから麻婆茄子定食を頼んだ。中華の店だが給仕は流暢な日本語を話す人のようであって、私の言う中国名の料理の名前も理解できたようなので、とりあえずほっとした。

 それはいいのだが、給仕が向うへ行ったきり、まだ水とおしぼりを持って来ない。手を挙げてもやって来ようとしないのでいらいらしていたが、席の傍らに呼び鈴があるのに気づいたので、それを鳴らしてみると、呼び鈴の音は静まり返った店内に大きく響き渡ったので、周りにいた客が一斉にこちらへ向き直った。それで私も一瞬身構えてしまったが、客はまた気を取り直したのか、正面を向いて飲みはじめたので、ほっと胸をなでおろした。

 一呼吸して、給仕がやってきたから、用件を告げたが、さっきの人とは違う給仕であって、言葉もよくわからないようだから、おしぼりを説明するのに随分骨が折れた。やっと理解して、しばらくすると持ってきたが、おしぼりはこの季節だというのに、氷のように冷たかった。

 しばらくして、大ジョッキが運ばれてきたから、さっそく飲んでみると、なかなか旨い。旨いからぐいぐい飲んでいると、周りの席の客もさらに酔って来たらしく、店内がだんだんざわつき出した。

 と、向うで食器が割れる大きな音がして、客が給仕を呼んでいる。どうも客の一人が気分を悪くしたらしく、抱えられて座敷の方の広いところに寝かされ、介抱されているようである。同伴の客が感情的になって大声をあげているから、店内が妙な空気になってきた。

 その客は何やら激昂しながら、私の方を指さして、叫んでいるようだったが、何を言っているのか聞きとれず、そのうちそれが飛び火して、あちらこちらでわけのわからない罵声が飛び交いだした。

 最初何を言っているのかわからなかったが、彼らはみな一様に私の方をちらちら見ながら、叫んでいるので、私も穏やかではなく、出来るだけそちらを見ないようにして静かに飲んでいると、給仕が来た。すると、それを合図にしたかのように、店内の客がみな一斉に声を上げるのをやめたので、却って私は吃驚した。給仕ははっきりとした静かな日本語で、私にこう言った。

 申し訳ございませんが、お引き取り下さい。代金はいただかなくて結構でございますから。

 どういうことかわからないので、彼に説明を求めると、向うは順序立てて話しているようであったが、日本語なのに何を言っているのか判らず、それは自分がおかしいのか、給仕がおかしいのか、どういうことか判断がつかなかった。大ジョッキを半分ほど飲んだだけだから私は大した酔いではないはずなのだ。

 ただ話しているうち、給仕の話し方はだんだん激してきて、なおかつ瞳が蒼くぎらぎらと光って来た。まるで蒼い火の玉のように思えてきた。恐ろしくなってきたので目を伏せると、向うから激しい笑い声が聞こえた。まるで猿のような高い声であった。吃驚してそちらを見ると、店の客たちはみな立ち上がって目を蒼く光らせ、私の方を向き、げらげらと笑い出した。店内は大きな笑い声に包まれていった。が、その光る目は誰一人として、ちっとも笑ってはいないのだった。