小論文の文末で「思う」より「考える」を使う理由(まとめ) | 総合国語塾の徒然話

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生徒に「小論文の書き方を学校で習ったとき、『~と思う』はよくない。『~と考える』にしなさいと言われました。何ででしょうか?」と質問を受けました。

 

答えを書くのは簡単ですが、せっかくですから寄り道をしながら「考える」と「思う」について説明しましょう。

 

このふたつの言葉、実はとても古くからあります。大野晋氏(日本語研究において多大な功績を残した国語学者です)によると、「考える」の一番古い例は「日本書紀」(720年完成。奈良時代に成立した日本の歴史書)にあるそうです。「思う」の最も古い例はわかりませんが、「考える」以上に日本人が昔から使っていた言葉のようです。

 

「考える」はもとの形を「かむかへる」といいます。「か」は事とか所とかいうこと、「むかへる」は「向き合わせる」こと。合わせて「物事を向き合わせる」という意味です。かつては、罪人の刑罰を決めるときや戸籍帳の調査に使っていました。つまり「様々な物事を、違った角度から調べる」というニュアンスがあります。

 

「思う」は、顔を表す「面(おも)」を向ける意で、情的なニュアンスがあります。古典文学によく見かける「思ふ」も、大本の意味は現在とさほど変わっていません。古語辞典にも「心に浮かび、思うこと」とあります。つまり「心の中にあるひとつのこと」を意味します。考えると違って角度もひとつ。物事もひとつです。

 

ですから、比較検討する事柄には「考える」の方が向いています。

 

・式典の段取りを考える。

・競合他社に差をつけるプレゼン方法を考える。

・あれこれと考えすぎて、結局行動にうつせなかった。

 

上記の例を「思う」に置きかえるとどうもしっくりきませんし、意味合いが変わってきます。逆に、心の中に浮かんだひとつの事柄には「思う」が向いています。

 

・彼の成功を嬉しく思う。

・ふっと子どもの頃を思い出した。

・遠く離れた母の病状を思う。

 

「考える」に置きかえると違和感がありますね。情緒的な表現としては「思う」は便利で、

 

・ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの(室生犀星)

・思い込んだら試練の道を 行くが男のど根性(巨人の星OP)

 

と感情に訴えかけてきます。好きな人を「思い人」と言いますが、これは心の中にいる好きな人はひとりだ、という美しさが伝わります。「考え人」と置き換えたら、ずいぶんしらけた感じになります。

 

まとめましょう。

・「考える」は、心の中で物事を比較検討しつくして導き出された客観的要素が強い言葉。

・「思う」は心の中にあるひとつの物事を、そのまま出した主観的要素が強い言葉。

と言えます。

 

小論文は客観的視点を持った論理展開を土台とし、その上に主張が求められます。感想文なら、熱く主観的な内容で押し通しても良いですが、小論文は客観性を伴っていないと評価されません。ですから「思う」より「考える」の方が好ましいのです。

 

・・・と私なりに解釈してみましたが、皆様の意見も聞いてみたいものです。