清岡卓行『ミロのヴィーナス』(『手の変幻』)の要約 | 総合国語塾の徒然話

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要約トレーニング。高校の教科書に長く掲載されている定番作品、清岡卓行さんの『ミロのヴィーナス』(『手の変幻』)から。各形式段落をまとめる練習です。

<第一段>
問題 ①~③段落を要約せよ。

①ミロのヴィーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだと、僕は、ふと不思議な思いにとらわれたことがある。つまり、そこには、美術作品の運命という、制作者のあずかり知らぬ何物かも、微妙な協力をしているように思われてならなかったのである。
 
②パロス産の大理石でできている彼女は、十九世紀の初めごろ、メロス島でそこの農民により、思いがけなく発掘され、フランス人に買い取られて、パリのルーブル美術館に運ばれたと言われている。そのとき彼女は、その両腕を、故郷であるギリシアの海か陸のどこか、いわば生臭い秘密の場所にうまく忘れてきたのであった。いや、もっと的確に言うならば、彼女はその両腕を、自分の美しさのために、無意識的に隠してきたのであった。よりよく国境を渡ってゆくために、そしてまた、よりよく時代を超えてゆくために。このことは、僕に、特殊から普遍への巧まざる跳躍であるようにも思われるし、また、部分的な具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉薄であるようにも思われる。  

③僕はここで、逆説を弄しようとしているのではない。これは、僕の実感なのだ。ミロのビーナスは、言うまでもなく、高雅と豊満の驚くべき合致を示しているところの、いわば美というものの一つの典型であり、その顔にしろ、その胸から腹にかけてのうねりにしろ、あるいはその背中の広がりにしろ、どこを見つめていても、ほとんど飽きさせることのない均整の魔が、そこにはたたえられている。しかも、それらに比較して、ふと気づくならば、失われた両腕は、あるとらえがたい神秘的な雰囲気、いわば生命の多様な可能性の夢を、深々とたたえているのである。つまり、そこでは、大理石でできた二本の美しい腕が失われた代わりに、存在すべき無数の美しい腕への暗示という、不思議に心象的な表現が、思いがけなくもたらされたのである。それは、たしかに、半ばは偶然の生み出したものであろうが、なんという微妙な全体性への羽ばたきであることだろうか。その雰囲気に、一度でも引きずり込まれたことがある人間は、そこに具体的な二本の腕が復活することを、ひそかに恐れるにちがいない。たとえ、それがどんなにみごとな二本の腕であるとしても。  

解説
では、大事な部分に線引きを行いましょう。評論ではありますが、随筆や詩のように、筆者の気持ち(心情)を追いかけていくとわかりやすいかもしれません。清岡さんのミロのヴィーナスに対する美への思いに着目します。

ミロのヴィーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだと、僕は、ふと不思議な思いにとらわれたことがある。つまり、そこには、美術作品の運命という、制作者のあずかり知らぬ何物かも、微妙な協力をしているように思われてならなかったのである
 
②パロス産の大理石でできている彼女は、十九世紀の初めごろ、メロス島でそこの農民により、思いがけなく発掘され、フランス人に買い取られて、パリのルーブル美術館に運ばれたと言われている。そのとき彼女は、その両腕を、故郷であるギリシアの海か陸のどこか、いわば生臭い秘密の場所にうまく忘れてきたのであった。いや、もっと的確に言うならば、彼女はその両腕を、自分の美しさのために、無意識的に隠してきたのであった。よりよく国境を渡ってゆくために、そしてまた、よりよく時代を超えてゆくために。このことは、僕に、特殊から普遍への巧まざる跳躍であるようにも思われるし、また、部分的な具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉薄であるようにも思われる。  

要するに、筆者の清岡さんは、ミロのヴィーナスは両腕を失ったから魅惑的と言いたいのですね。

③僕はここで、逆説を弄しようとしているのではない。これは、僕の実感なのだ。ミロのビーナスは、言うまでもなく、高雅と豊満の驚くべき合致を示しているところの、いわば美というものの一つの典型であり、その顔にしろ、その胸から腹にかけてのうねりにしろ、あるいはその背中の広がりにしろ、どこを見つめていても、ほとんど飽きさせることのない均整の魔が、そこにはたたえられている。しかも、それらに比較して、ふと気づくならば、失われた両腕は、あるとらえがたい神秘的な雰囲気、いわば生命の多様な可能性の夢を、深々とたたえているのである。つまり、そこでは、大理石でできた二本の美しい腕が失われた代わりに、存在すべき無数の美しい腕への暗示という、不思議に心象的な表現が、思いがけなくもたらされたのである。それは、たしかに、半ばは偶然の生み出したものであろうが、なんという微妙な全体性への羽ばたきであることだろうか。その雰囲気に、一度でも引きずり込まれたことがある人間は、そこに具体的な二本の腕が復活することを、ひそかに恐れるにちがいない。たとえ、それがどんなにみごとな二本の腕であるとしても。

換言の接続詞「つまり」を見逃してはいけません。

解答例
①ミロのヴィーナスは、両腕を失うという制作者の意図しない運命により魅惑的になった。(40字)

②彼女が両腕を隠して発掘されたことは、特殊から普遍への跳躍、または部分的な具象の放棄による、ある全体性への肉薄にも思える。(60字)

③均整のとれた美の典型であるミロのヴィーナスは、偶然にも両腕を失うことで、存在すべき無数の美しい腕への暗示という、不思議に心象的な表現がもたらされ、全体性への羽ばたきが生み出された。(90字)

「全体性への羽ばたき」とは、②段落に書かれていた「特殊から普遍への巧まざる跳躍」のこと。ミロのヴィーナスは、両腕を失うことで、時代や空間を越えた普遍的な美の存在へと昇華したということです。

<第二段>
問題 ④、⑤段落を要約せよ。

④したがって、僕にとっては、ミロのビーナスの失われた両腕の復元案というものが、すべて、興ざめたもの、滑稽でグロテスクなものに思われてしかたがない。もちろん、そこには、失われた原形というものが客観的に推定されるはずであるから、すべての復元のための試みは正当であり、僕の困惑は勝手なものであることだろう。しかし、失われていることにひとたび心から感動した場合、もはや、それ以前の失われていない昔に感動することは、ほとんどできないのである。なぜなら、ここで問題となっていることは、表現における量の変化ではなくて、質の変化であるからだ。表現の次元そのものがすでに異なってしまっているとき、対象への愛と呼んでもいい感動が、どうして他の対象へさかのぼったりすることができるだろうか? 一方にあるのは、おびただしい夢をはらんでいる無であり、もう一方にあるのは、たとえそれがどんなにすばらしいものであろうとも、限定されてあるところのなんらかの有である。

⑤たとえば、彼女の左手はりんごを手のひらの上に載せていたかもしれない。そして、人柱像に支えられていたかもしれない。あるいは、盾を持っていただろうか? それとも、笏(しゃく)を? いや、そうした場合とは全く異なって、入浴前か入浴後のなんらかの羞恥の姿態を示すものであるのかもしれない。さらには、こういうふうにも考えられる。実は彼女は単身像ではなくて、群像の一つであり、その左手は恋人の肩の上にでも置かれていたのではないか、と。――復元案は、実証的に、また想像的に、さまざまに試みられているようである。僕は、そうした関係の書物を読み、その中の説明図を眺めたりしながら、恐ろしくむなしい気持ちに襲われるのだ。選ばれたどんなイメージも、すでに述べたように、失われていること以上の美しさを生み出すことができないのである。もし、真の原形が発見され、そのことが、疑いようもなく僕に納得されたとしたら、僕は一種の怒りをもって、その真の原形を否認したいと思うだろう。まさに、芸術というものの名において。  

解説
筆者の「両腕のない」ミロのヴィーナスへの想いを追いかけて線引きしましょう。

④したがって、僕にとっては、ミロのビーナスの失われた両腕の復元案というものが、すべて、興ざめたもの、滑稽でグロテスクなものに思われてしかたがない。もちろん、そこには、失われた原形というものが客観的に推定されるはずであるから、すべての復元のための試みは正当であり、僕の困惑は勝手なものであることだろう。しかし、失われていることにひとたび心から感動した場合、もはや、それ以前の失われていない昔に感動することは、ほとんどできないのである。なぜなら、ここで問題となっていることは、表現における量の変化ではなくて、質の変化であるからだ。表現の次元そのものがすでに異なってしまっているとき、対象への愛と呼んでもいい感動が、どうして他の対象へさかのぼったりすることができるだろうか? 一方にあるのは、おびただしい夢をはらんでいる無であり、もう一方にあるのは、たとえそれがどんなにすばらしいものであろうとも、限定されてあるところのなんらかの有である。

⑤たとえば、彼女の左手はりんごを手のひらの上に載せていたかもしれない。そして、人柱像に支えられていたかもしれない。あるいは、盾を持っていただろうか? それとも、笏(しゃく)を? いや、そうした場合とは全く異なって、入浴前か入浴後のなんらかの羞恥の姿態を示すものであるのかもしれない。さらには、こういうふうにも考えられる。実は彼女は単身像ではなくて、群像の一つであり、その左手は恋人の肩の上にでも置かれていたのではないか、と。――復元案は、実証的に、また想像的に、さまざまに試みられているようである。僕は、そうした関係の書物を読み、その中の説明図を眺めたりしながら、恐ろしくむなしい気持ちに襲われるのだ。選ばれたどんなイメージも、すでに述べたように、失われていること以上の美しさを生み出すことができないのである。もし、真の原形が発見され、そのことが、疑いようもなく僕に納得されたとしたら、僕は一種の怒りをもって、その真の原形を否認したいと思うだろう。まさに、芸術というものの名において。  

線引きした箇所を繋げ、たまには前後を入れかえたり、言い回しも多少変えたりしながら要約文として再構築しましょう。

解答例
④ミロのヴィーナスの、失われた両腕を復元する試みは正当であるが、その「限定された有」は表現の質の変化であり、「おびただしい夢をはらんでいる無」に心から感動したものにとっては興ざめだ。(90字)

⑤どの復元案も、失われていること以上の美しさは生み出せないため、むなしい気持ちに襲われる。もし、真の原形が発見されたとしても、僕は芸術の名において否認するだろう。(80字)

無限の夢を打ち砕く復元案は、感動を奪う芸術的でない行為ということで、筆者は強く反対の意を示していますね。こうした詩的な評論は清岡さんの持ち味です。

<第三段>
問題 形式段落⑥、⑦を要約せよ。

⑥ここで、別の意味で興味があることは、失われているものが、両腕以外の何ものかであってはならないということである。両腕でなく他の肉体の部分が失われていたとしたら、僕がここで述べている感動は、おそらく生じなかったにちがいない。たとえば、目がつぶれていたり、鼻が欠けていたり、あるいは、乳房がもぎ取られていたりして、しかも両腕が、損なわれずにきちんとついていたとしたら、そこには、生命の変幻自在な輝きなど、たぶんあり得なかったのである。

⑦なぜ、失われたものが両腕でなければならないのか? 僕はここで、彫刻におけるトルソの美学などに近づこうとしているのではない。腕というもの、もっと切り詰めて言えば、手というものの、人間存在における象徴的な意味について、注目しておきたいのである。それが最も深く、最も根源的に暗示しているものはなんだろうか? ここには、実体と象徴のある程度の合致がもちろんあるわけであるが、それは、世界との、他人との、あるいは自己との、千変万化する交渉の手段なのである。言い換えるなら、そうした関係を媒介するもの、あるいは、その原則的な方式そのものなのである。だから、機械とは手の延長であるという、ある哲学者が用いた比喩は、まことに美しく聞こえるし、また、恋人の手を初めて握る幸福をこよなくたたえた、ある文学者の述懐は、不思議に厳粛な響きを持っているのである。どちらの場合も、きわめて自然で、人間的である。そして、たとえばこれらの言葉に対して、美術品であるという運命を担ったミロのビーナスの失われた両腕は、不思議なアイロニーを呈示するのだ。ほかならぬその欠落によって、逆に、可能なあらゆる手への夢を奏でるのである。

解説
抽象部を中心に線引きしましょう。⑦は最後の段落ですので、それまでをまとめた内容になっています。

⑥ここで、別の意味で興味があることは、失われているものが、両腕以外の何ものかであってはならないということである。両腕でなく他の肉体の部分が失われていたとしたら、僕がここで述べている感動は、おそらく生じなかったにちがいない。たとえば、目がつぶれていたり、鼻が欠けていたり、あるいは、乳房がもぎ取られていたりして、しかも両腕が、損なわれずにきちんとついていたとしたら、そこには、生命の変幻自在な輝きなど、たぶんあり得なかったのである。

⑦なぜ、失われたものが両腕でなければならないのか? 僕はここで、彫刻におけるトルソの美学などに近づこうとしているのではない。腕というもの、もっと切り詰めて言えば、手というものの、人間存在における象徴的な意味について、注目しておきたいのである。それが最も深く、最も根源的に暗示しているものはなんだろうか? ここには、実体と象徴のある程度の合致がもちろんあるわけであるが、それは、世界との、他人との、あるいは自己との、千変万化する交渉の手段なのである。言い換えるなら、そうした関係を媒介するもの、あるいは、その原則的な方式そのものなのである。だから、機械とは手の延長であるという、ある哲学者が用いた比喩は、まことに美しく聞こえるし、また、恋人の手を初めて握る幸福をこよなくたたえた、ある文学者の述懐は、不思議に厳粛な響きを持っているのである。どちらの場合も、きわめて自然で、人間的である。そして、たとえばこれらの言葉に対して、美術品であるという運命を担ったミロのビーナスの失われた両腕は、不思議なアイロニーを呈示するのだ。ほかならぬその欠落によって、逆に、可能なあらゆる手への夢を奏でるのである

解答例
⑥失われているものが両腕だったからこそ、生命の変幻自在な輝きがあり、感動が生じた。(40字)

⑦手は、人間存在において、千変万化する交渉の手段という象徴的な意味を持つ。ミロのヴィーナスの失われた両腕は、その欠落によって、逆に、可能なあらゆる手への夢を奏でるという不思議なアイロニーを呈示するのだ。(100字)

本文全てを200字程度で要約するのも、いいトレーニングにもなります。文学的で美しい評論でしたね。

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