1月1日の能登半島地震発災以来,自分の日記をつけるような感じで書いてきたこのブログ。
わたしの備忘録だけならば,日記ソフトにでも書き込めば済むことなんですが,少しでも知り合いの方,仮説の研究会仲間,そして地震災害に興味のある方々のためになればと,ブログという公開の場で発言をしてきました。
当初から,「自宅が通水したら,震災後の生活について毎日書くことはやめよう」と決めていたので,水道が来た5月の中旬以降からは,震災関連じゃないものも書いています。
しかし中には,直接地震には関係ないものの,「震災があったからこそ巡り会った仕事?」なんかもあるので,それもまた震災の影響といえるかもしれません。
震災後,わたしが引き受けた大きな仕事の一つが,お寺の門徒総代(責任役員)の仕事です。これまで長い間お寺の門徒をまとめてくださっていた方が,自宅が被災して,しばらく加賀の方に避難することになったことをきっかけに,役を交代しよう,できるなら一気に若返らせよう…という話になって,わたしにその役目が回ってきたわけです。
そんな中,昨日(6月1日)。なんと,1ヶ月前から入院していた前住職さんがお亡くなりになり,浄土へと旅立たれました。
早速,わたしは,何も分からない中,前住職を見送るためのお世話をすることになったんです。
昨日の葬儀の日取りの相談などからわたしも参加しました。
お寺さんのお葬式というのは,どうもわれわれ門徒衆のお葬式といってもいいようです。門徒があっての住職…ということなのでしょうね。
まさに,わたしには当事者意識が求められたわけです。
今日は,集まったメンバーで,住職方の控え室から本堂のある建物までの渡り廊下を作りました。門徒に大工さんがいるので,はやいやはい…。