寒くなると
柄にもなくエルメスのマフラーをしています
このマフラーは 今から14年前のクリスマスパーティーの景品です
当時、私が所属していた金融機関は 外資と手を組んで
プライベートバンキングの専門会社を立ち上げていました。
一応 50:50の出資比率でしたが
外資が優先株を持っていて圧倒的に優位な提携
もちろん 日本の金融機関に
欧米式のプライベートバンキングのノウハウなし
なので、外資のオフィスに外資のインフラそのままで
運営手法も外資のまま
人も圧倒的に外資が多く
そこに 私をはじめ数十人が送り込まれていました。
まあ 外資にしてみれば邦銀の持つ圧倒的な顧客基盤が狙い
要するに顧客を紹介してくれさえすればいいという感じ
なので 合弁会社に送り込まれた我々は
ものすごいアウェイ感のなか 本当にマイノリティ・・・
そんな感じでした。
もちろん社長 セールスのトップ 管理部門のトップ
すべて外資の人
邦銀サイドからは
副社長とマーケティングオフィサーのポストだけでしたね
こちらから出向させられる「銀行員」は
外資のプライベートバンカー養成のプログラムを受けさせられ
そのレベルの高いこと
市場知識、金融商品知識(ヘッジファンドや仕組債含む)
コンプライアンスの知識、プレゼンのノウハウ
それらを数カ月かけて叩き込まれ
最終的にパスしなければ
なんと銀行に帰任させられるという恐ろし仕組み
ここに来た銀行員は 「人事異動」の一環として来ています
希望してきたわけではない
しかし パスしなければ「落第」のレッテルを張られ
銀行に帰任させられる
帰任させられた銀行員、何人もいましたが
流石にかわいそうでした
彼らに、銀行に戻ってから
人事的にいいことが待っているわけはないですからね
9月に私は赴任して やっとプログラムをパスしたばかり
そんなタイミングでのクリスマスパーティー
どこか忘れましたが すげーホテルだったことだけは覚えています
その景品も凄いものでした
確かトップ景品はハワイペア旅行券だったと思います
その時に確か7等??あたりで 私の番号が当たったのが
エルメスのマフラー
10万くらいするよと言われた覚えが・・・
外資というのはこんな派手なものなのかと思ったパーティーでした。
なんとなく そのマフラーをつけるのが嫌で
そのプライベートバンクにいた8年間は着けませんでしたね
6年前に 個人向け信託の世界に入ってからですね
身に着けるようになったのは
着けてみると流石に暖かい やっぱりエルメスだ (笑)
そのプライベートバンクで、銀行出身の副社長に呼ばれ
こう言われました
「お前、この会社で出向している銀行員を奴らが何と呼んでいるか
知っているか? 「コスト」と呼ばれているんだぞ 俺らは」
そして
「お前は 市場部門のプロフェッショナルだっただろう、
そのスキルを活かして 稼げ! そして奴らを見返してやれ」
なんとも 過激な指令
「わかりました」 と答えました。
マーケットの知識に関しては 外資の人間とは言え
所詮セールス プロの相場師であった私の知識、経験の
足元にも及びません。
そして、営業のセンスに関しても自信あり!
よく、商品知識の内部勉強会が、商品提供の運用会社から
講師を招いて開催されていましたが
最初は出ていましたが・・・そのうちでなくなりました
なぜなら 説明する人のレベルが私に及ばないから
まあ 当たり前ですよね 彼らはあくまでマーケター
年金の一任勘定の運用マネージャーとして
株 債券 為替の相場を読み
株式のグロースかバリューのスタイルミックスの判断をして
外国株式のカントリーアロケーションの調整も
そんなものを一人でやっていた相場のプロ
運用会社のマーケターの説明など不要
そのファンドの運用報告書を見るだけで十分です。
ということで、導入プログラムをパスした後は
運用商品やプレゼンテーション等の勉強会はすべて欠席
要は、稼げばいいのだろう
そうして 銀行からの顧客紹介をどう実績に結び付けるか
私独自のやり方を通しました。
嫌な存在だったでしょうね
外資のマネージャーには
1年後 年に一度の全体ミーティングであるタウンホール
個人名は出ませんが ファーストクインタイルに入っているのは
どんな属性の人物か という分析が発表されたとき
そこに銀行からの出向者を表す「BFA] が一人
その時の、会場のざわめきは 忘れられません
私です
銀行出身者でも稼げるんだぞ
それを証明した瞬間でした。
その後 外資の人達とも仲良くやりました
実力主義のいいところですね
できる奴は認められる 笑
と エルメスのマフラーを見て
昔を想い出しています。
芸能人、芸術家、企業オーナー 様々な名のある富裕層の方々との
8年間は 楽しい時間でした。
以上
天