最高の6年間の終わり | 相場残日録(元相場師天の日記)

相場残日録(元相場師天の日記)

プロの相場師「天」の引退後のブログ、残日録として記していきます。

今日は、私のビジネスマンキャリアの中で

最高に楽しかった6年間の信託銀行時代のお話

1998年5月~2004年4月の 昔話です。

 

年金の一任勘定の運用マネージャーは最高でした。

仕事は、まず

年金のスポンサーとガイドラインを決定する。

具体的には、例として

国内債券30% 国内株式35% 外国債券10% 

外国株式20% キャッシュ5%

これをポートフォリオの中心値として

プラスマイナスのアローワンスを付ける

ガイドラインはこれだけ 

あとは任されたポートフォリオマネージャーの自由裁量

やるべきことは、

相場の方向性を読み各資産の比率を相場の先回りで調整

株が落ちると思えば、先に株の比率を落とす

円安に行くと思えば、外債の比率を高めておく

所謂、アセットアロケーション戦略の決定

そして、次が、各資産クラスのスタイルミックス決定

日本株でグロース相場になると思えば

バリュー株のファンドを売りグロースのファンドに乗り換える

アジア株が来ると思えば

外国株式の中でグローバル株ファンドから

アジア株ファンドに乗り換える

円高に行きそうだと感じたら、外債のファンドに為替ヘッジをかける

等々・・・

信託銀行の内部には、

各資産ごとに各スタイルごとの社内ファンドが何本もあります。

例えば、日本株のグローススタイルのファンドとか

その個別ファンドの運用=銘柄選定を担当するのは

専門のファンドマネージャーの仕事

 

運用でポートフォリオマネージャーがかかわらないのは

各ファンドの銘柄選択だけです。

その意味では、ポートフォリオマネージャーは

運用に関しては絶対的な権限と責任を持っていました。

それは、もうたまらなく楽しかったですね・・・・

今思いだしてもワクワクします。

但し、運用成績が悪いと容赦なく首になる

その厳しさはありましたけどね。

 

私が銀行から出向で赴任したN信託は、

バブル期に不動産に経営資源を突っ込みすぎて破綻・・・

それを、私の本籍地の都市銀行が救済

その運用部門の再建に為替ディーラーだった私は

志願して飛び込んだということです。

この経緯はこちら

 

 

 

破綻した小さな信託銀行が大手信託と勝負する

その為に運用部門の再建チームが選んだ手法が

できる相場師に、全権限を与えて自由にやらせること

私は、そういう世界にいました。

このめぐりあわせは本当に幸せでしたね。

 

自分で言うのも何ですが・・・・

私の一任勘定の運用マネージャーだった6年間

運用成績は、凄かったですよ

唯一、ITバブルの後半

日本株のグロース相場から降りるのが早すぎての失敗

これだけでしたね下手を打ったのは・・・

最高のトレードがこれ

 

 

そんなN信託が 突然 M信託に吸収合併されることに

私たちは慌てました

合併されたら 個人のマネージャーに絶大な権限を与える

N信託のやり方が消えてなくなると・・・・

 

通常、大手信託銀行は、ポートフォリオマネージャー個人に

ここまでの権限は与えません。

M信託は、各ファンドの銘柄選択は

各ファンドマネージャーに権限を与えていましたが

各資産の配分の決定=ポートフォリオ戦略

各資産ごとのスタイルミックスの決定

為替ヘッジの比率 等々

N信託が個人の権限としていたことは

全て、運用企画部という部署が策定し

各資産のファンドマネージャーを束ねる部長達

ポートフォリオマネージャーを束ねる部長達が参加

最高決定権者の常務取締役の御前会議で決定

そういうプロセスでした。

 

運用方針は、相場師個人が決めるのではなく

「会議」で決まる。

 

これが、信託銀行という巨大な機関投資家の実情です。

 

しかし、私たちN信託の心配は杞憂でした。

合併後もN信託の運用部門は部内室という組織で

その運用スタイルを継続することができました。

なんとM信託の度量は大きいことかと感じました。

ただし、私のように銀行から運用部門に出向していた連中

所謂再建メンバーの役割は終わりということで

私以外の銀行からの出向者はあっという間にいなくなり、

私は銀行の出向者としてただ一人

M信託の運用部門にポツンと残ることになりました。

実績が物を言ったということですね

帰任させたくともできなかったということでしょう。

 

しかし、楽しかった時も終わりが来ます。

遂に、1か月後銀行帰任の内示・・・・

当時、私の本籍地の銀行とM信託は金融グループを作っていました。

銀行の法人の顧客だが信託業務でM信託と取引がない

あるいは取引が薄い先に信託業務のアプローチをする

銀行・信託の協働組織が立ち上がるので、

信託銀行に人脈があるのでそこに行くようにとの人事

正直、相場師でなくなることのショックで呆然・・・・

 

そのタイミングで、M信託の常務取締役から呼び出し

運用部門の最高責任者から呼び出し?

それも銀行に帰任が決まっていて運用を離れる私が?

今まで、お話したこともない雲の上の人・・・

そして、役員室で私が言われたことは

 

「お前、信託営業やるんだって? なんてもったいない人事だ!

面白くないだろうが、会社辞めるなよ」

意外な言葉に「・・・・・」の私に、常務は続けて

「俺は、もうすぐ信託の常務は退任して、

グループの運用会社の社長になるが、そこにお前を引きぬく

人事権は銀行にあって俺にないが、銀行の人事部にねじ込むから

それまで我慢して絶対に会社辞めるな」

「お前の運用実績は凄かったもんな」 とも言われました。

 

嬉しかったですね・・・・

その言葉を支えに、信託の法人営業の仕事に勤しみました。

15年ぶりの普通の金融マン もう戸惑いしかなかったですね・・・

 

しかし、1年後

運用会社の社長になったその人から言われました。

「銀行の人事にねじ込んだんだけど、

お前のとこの部長が、余人をもって代えがたしと

応じてくれなかった」 とのこと・・・・

 

「まじですか!」

心の中で、しまった 新しいところで働き過ぎた・・・・

 

こうして、私の最高の6年間が

本当に終わりました・・・・

 

しかし、実はその時には私の心境にも変化が・・・

ライバルを出し抜き、難しい案件を落とす快感

その楽しさにも目覚めつつある私でした。

この話は、またおいおいと・・・

 

以上