2000年4月15日(土曜日)
後から振り返れば、ITバブルの頂点だった時、
但し、その時は大多数の市場関係者が
ITバブルはまだ続くと信じていた時の出来事です。
以下
日経平均株価(ウィキペディア)からの抜粋
「オールド・エコノミーの銘柄が多くを占め続けたために、
日経平均株価は、市場全体との体感がずれていった。
2000年4月24日(発表は4月15日土曜日)に、
この問題を正すため、採用銘柄を30銘柄入れ替えた。
銘柄の入れ替えで比率が高まった、
いわゆるハイテク株の値動きに左右されやすい
「ハイテク株指数」ともなっている。
抜粋以上
昨日のNY オールド銘柄のダウは上昇、ハイテク銘柄のナスダック指数は下落
その動きを受け
ハイテク銘柄の日経平均はマイナス
但し、東証一部全体を反映するTOPIXはプラスでした。
2000年4月当時、私は某信託銀行で
年金の一任勘定ポートフォリオマネージャーをしていました。
ITバブルに全然ついていかなかったオールド日経平均の
記憶は鮮明です。
実は、私は、この日経平均の銘柄入れ替えの発表のあった
翌週月曜日4月17日に
自分の管理する一任勘定の株式のポートフォリオを
周りの人間がびっくりするほど落としました。
すこし、注釈を入れると・・・・
大きな信託銀行の年金運用は基本「組織運用」です
しかし、私がいた信託銀行は、完璧に個人裁量
一人一人のポートフォリオマネージャーが
国内債券、国内株式、外債、外国株式のアセットアロケーション
内外株式の中のグロース、バリュー 大型、小型のスタイルミックス
外国株のカントリーアロケーション
外債の為替ヘッジの有無とヘッジのパーセント
すべて一人で決めていました。
個別銘柄の選択のみがポートフォリオマネージャーではなく
「ファンドマネージャー」の仕事でした。
その時の会話をはっきり今でも覚えています。
周りすべてが日本株を買いに回っているとき
一人だけびっくりするほど売却した私に
みんなは聞きました 「何故??」
私は、「直観」 と答えました。
実は、何の「直観」だったかといえば
ITバブルに乗り遅れ さんざん日経平均株価は
時代遅れだとたたかれまくっていた「日経新聞社」が
ついに動いた
でもそれは、
相場の「最終バス」に日経新聞が乗ったと直観的に考えたのです。
要するに、弱気派の一番最後の「損切り」だと
直観は当たりました。
それを境に、ITバブルは崩壊・・・・
私のプロの相場師としての「ベストトレード」となりました。
ふと、ハイテク指数日経平均株価という
奇しくも今日の日経新聞の解説記事で、
2000年4月
後から振り返ればITバブルの頂点の時
を思い出しました。
以上
天