消える戦争の記憶 | 相場残日録(元相場師天の日記)

相場残日録(元相場師天の日記)

プロの相場師「天」の引退後のブログ、残日録として記していきます。

8月9日 75年前
二発目の原子爆弾が長崎に落とされました。
8月6日と8月9日は 必ず空を見上げて
祈ります・・・・
核兵器が二度と使われることがないようにと
一般的には 原子爆弾といえば ヒロシマ
人類に向けて落とされた最初の原爆
しかし、九州人の私には
身近に感じたのは ナガサキの原爆
小学生の修学旅行で行った
長崎原爆祈念館の衝撃は
未だにトラウマです・・・・
広島はアメリカの計画段階から
標的地だったそうですが
最初は広島と 京都と小倉だったという説があります。
日本人の心のよりどころである古都を
原爆で破壊することで
日本人の精神的な部分も完膚なきまでに破壊する
そういう意図だったらしいですが
それを実行すると
日本人が戦後ソ連になびいてしまうという
政治的な意図で京都は回避されたとか・・・
そして、当日天候が良くなかった小倉の代わりとして
長崎が悲劇に・・・・・
 
75年前9歳だった私の母は
長崎を有明海の向こうに臨む
熊本市の西の方に住んでいました
母の家にはその時
長崎の叔母や従兄が疎開していたそうです
その日の出来事を私は繰り返し母から聞かされました。
この世のものとは思えぬ赤黒いキノコ雲に
怖くて震えたこと
熊本からも見えたのですね・・・・
そして 従兄に長崎にいなくて良かったね
と話しかけたこと
戦後18年たった昭和38年生まれの私は
当然戦後世代ですが
父と母は戦前生まれで戦争の経験があります。
だから、
戦争を経験した父母から直接
戦争の体験を聞かされた世代です。
父からは、米軍戦闘機から機銃掃射を受けて
死ぬ思いで逃げた経験を聞かされました。
 
しかし、親が戦争の経験も記憶もない
世代が世の中のほとんどになる時代が
もうすぐそこまで来ています。
 
戦争が
本当に遠い昔の出来事になってしまったのですね・・・・
怖い・・・
影の総理と言われた自民党の剛腕幹事長だった
野中広務さんは
戦争を知らない政治家ばかりになったときが
怖い と言っていました。
徹底的な平和主義者だった自民党の幹事長
戦後体制を忌嫌い
戦前の体制を見直そうとする
歴史修正主義者が跋扈する今の自民党
野中さんはきっとなさけなくて泣いているでしょうね・・・
 
こんな平和な静かな夕陽を
いつまでも見ていたい
孫が二人もできると
本当にこの子たちの未来の平和が心配になる
今日このころです。
以上