思い出の中だけの姉と共に生きる | 転倒から始まった親の介護日記

転倒から始まった親の介護日記

父の転倒から介護が始まりました。
その数年後、母も転倒し大腿骨を骨折。
そして次々と起こる家族の病気と死。
ジェットコースター人生を歩んでます。

 

 

~HIKARIと母の介護日記~

 

父の死去により母と二人暮らしになった私

 

主人とは再婚同士

別居婚スタイルで互いに実親と同居中

 

介護はいつか自分も通る道

無知だった世界を与えてくれた両親に感謝キラキラ

 

 

 

今日は姉の月命日。

お母さん 「お姉ちゃん、気持ちいい天気だよ晴れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから4年と3カ月経つけど、コロナ、まだまだ猛威奮ってます。

11派だって!!

(姉)「( ゚Д゚)?ハッオバケ

  お母さん 「ビックリだよね!」

 

 

もし、お姉ちゃんが生きていたとしても...

未だに病院の面会は禁止状態だし、施設関係は制限付きでやっと出入りが出来る状態です。

 

 

”コロナが収まったら、お見舞いに来て(⌒∇⌒)”

 

 

そう最後に言ってからもう4年以上の今、まだその言葉通りの生活にはなってないなんてね泣

コロナをほとんど知らない内にこの世を去って良かったと、せめて思うしかない。

 

 

虹

 

 

 

 

お姉ちゃんがこの世を去ってから、実に色んな事がありました。

きっと、下界を(笑)お父さんと一緒に見下ろして分かっているかもしれないけど(;´∀`)

 

泣いてばかりの日々は、ダンダン少なくなり、その分沢山の思い出話が増えていきました。

考えても仕方がない事は、なるべく考えないようにもなりました。

毎日問いかけていた”どうして?なぜ?”は、永遠に分からない答えを求める事も、区切りをつけようと思いやっとここまで来ました。

 

家もリホームして1階だけだけど生まれ変わり、ミンナ、いいねキラキラって訪問してくれます。

お母さんも見違えるほど歩けるようになって、ガンの再発もなく、昔のように図書館で本を借りて毎日好きな事が出来てます。

 

 

 

今ここに居なくても

お父さんやお姉ちゃんのお陰で成り立っているこの生活

その二人が一番居なきゃいけなかったのに、と思うけど、”良かったね、嬉しいよ”と安心して二人がユックリと休んでいられるよう、これからは生きていくねお母さん

 

 

 

今までは毎月来る月命日が、苦しくて仕方がなかったけど

それは今でもあまり変わることは無いけれど

 

思い出の中のお姉ちゃんにしか、もう会えないから...

沢山掘り起こして(笑)これからのジブンの未来にお姉ちゃんを連れて行きます。

 

妹の人生の旅のお供、よろしくね(⌒∇⌒)