お父さんゴメンね!と言いたい理由 | 転倒から始まった親の介護日記

転倒から始まった親の介護日記

父の転倒から介護が始まりました。
その数年後、母も転倒し大腿骨を骨折。
そして次々と起こる家族の病気と死。
ジェットコースター人生を歩んでます。

 

 

~HIKARIと母の介護日記~

 

父の死去により母と二人暮らしになった私

 

主人とは再婚同士

別居婚スタイルで互いに実親と同居中

 

介護はいつか自分も通る道

無知だった世界を与えてくれた両親に感謝キラキラ

 

 

 

今日も快晴ですが、風が冷たく、まだエアコンはOFF(;´∀`)

1年で一番いい季節な北海道ですくま

 

 

晴れ

 

 

 

 

昨日、叔父夫婦がリホーム後に家へ来ました。

2カ月くらい会っていなかったかも?

そして、この間入所した叔父(母のすぐ下の弟)の所へ、初めて母を連れて行ってくれました。

 

叔父が入所する前に家に来てミンナで最後の晩餐(笑)もどきをしましたが、会えないことも無くあせる

面会の連絡を入れておけば大丈夫な施設なので、行ってきたようです。

(ワタシは所用があり、行けませんでした)

 

母は初めて訪れた施設の部屋を見て、広かった!と言っていましたが、多少広くても一人でずっと部屋に居るだけを考えると”嫌だねぇ~”...

 

ワタシもあれだけ父の面会に行っていましたが、そんな所へ目が行く思いやり、余裕はありませんでした。

でも冷静に考えると、10畳前後程の部屋で入居者との交流も殆どなく、自室に居るだけの生活ってどうなんだろうか?

施設に入居できただけでも有難い事で衣食住の心配はないけれど、そうなったらなったで新たな問題や悩み事も発生します。

 

 

くもり

 

 

 

 

生きていると晴天もあれば曇天もあって、土砂降りにもたまに当たり...

解決したと思ったら、それはそれでまた新たな問題が発生したり。


人によって辛く苦しい出来事に違いはありますが、良くも悪くもずっと同じ状態のままではなく。

そんな事を親の介護を通して経験することが出来ましたが何をしても、結果、状況が変わらなければ意味がないって、以前のワタシの考えはいつもそうでした。

 

でも、それは違ってましたね。

してきた通りの結果を出したいがために、が根底にあり、当事者の為に、がいつに間にか抜けて自分の思い通りの結果を求めて頑張っていただけだったと思います。

 

父の為に母の為に、と思ってしてきた事に違いはないけれど、”本当の意味で本人の為”だったのか?

本人が求めていない事をいつの間にか気づかない内に、ジブンの求めていることに変わった、と言わざる負えない部分が沢山あると思っています。

 

だから、いつか父に逢う時が来た時に”ゴメンね、お父さん”と言いたいんだな...

 

本当は”ありがとう”と感謝を伝えたいけれど

(;´Д`)マジゴメン!