歩ける確率は五分と宣告された父の脊髄梗塞 | 転倒から始まった親の介護日記

転倒から始まった親の介護日記

父の転倒から介護が始まりました。
その数年後、母も転倒し大腿骨を骨折。
そして次々と起こる家族の病気と死。
ジェットコースター人生を歩んでます。

 

 

~HIKARIと母の介護日記~

 

父の死去により母と二人暮らしになった私

 

主人とは再婚同士

別居婚スタイルで互いに実親と同居中

 

介護はいつか自分も通る道

無知だった世界を与えてくれた両親に感謝キラキラ

 

 

 

今日は久々にいいお天気ですが、明日は雨予報との事(゚д゚lll)ショック!

爽やかな北海道の初夏は今日だけか?霧

 

 

黄色い花

 

 

 

先日、TVでも報道されていましたが”弘道お兄さんが脊髄梗塞"にというニュースを知り...

初めて父と同じ病名を聞きました。

 

父が脊髄梗塞になったのは、今から14年前。

卓球をしている時に尻もちをついたように転び、2週間前後くらい経ってからどうにもならなくなって救急車を呼んだんです。

病院に行かなかったんですよね。転んで痛いだけだったようなので、このような状態になると思ってなかったんだとダウン

 

足の先からダンダンと上半身に痺れや痛みが移動して(当時は一緒に住んでいなかったので状況は全く分からず)

胸のあたりまで症状が来た時点で救急車で運ばれ、医師から言われた第一声...

 

 

”お父さん!歩けなくなるかもしれないわ!”

 

 

おじいちゃんお母さん 「えっ?」

おじいちゃん 「脅かさないで下さいよ泣

(医師) 「五分五分、かな」

 

 

時計

 

 

 

ここから父の介護生活が始まり、その後色んな病気やケガもし...。

結局、市外の大きな病院へリハビリ入院し、最後まで足のしびれは残りましたが歩けなくなるまでは、なりませんでした。

杖をつけば歩けましたし、家の中では杖無しでも大丈夫なくらいまでに回復はしました。

 

今回の報道で改めて知ると、お父さん大変だったんだなと今更ながらですが思いました。

毎日痛いとか痺れるとか、でもどうにもならない事は医師から言われていたのですが、何とかならないのかと毎回受診の度に言ってました。

ペインクリニックにもしばらく通いましたが、効果は(多分)無かったかと。

 

当時は聞いたことも無い病気でしたし、イマイチよく分からないでいましたが....

もう少し遅かったら、生死を彷徨ってたかも状態だったので、間一髪でした。

 

 

 

14年前の年末、この日が今年最後の仕事納めだった病院側ドクロ

その時見てもらった医師が最後まで父の主治医でした。

 

 

 

あの時、もう少しお父さんの話、聞いてあげればよかったね(´;ω;`)ウゥゥ