自分だけの時間を過ごした時に見えたもの | 転倒から始まった親の介護日記

転倒から始まった親の介護日記

父の転倒から介護が始まりました。
その数年後、母も転倒し大腿骨を骨折。
そして次々と起こる家族の病気と死。
ジェットコースター人生を歩んでます。

 

 

~HIKARIと母の介護日記~

 

父と姉がこの世を去りました

父 肺 炎(2019年10月) 

姉 乳がん(2020年4月)

現在は母と二人暮らし

再婚の旦那氏とは別居婚

 

毎週月曜日は介護以外のブログ

「HIKARIライフ」を綴ります

 

ご訪問、お待ちしていますクローバー

 

 

 

先週から月曜日のブログは

「HIKARIライフ」の日キラキラ

沢山ご訪問いただき^^

お母さん 「ありがとうございましたキラキラ

 

こんな感じで綴っていけたらと思ってます。

よろしくお願いいたします(⌒∇⌒)

 

 

桜

 

 

 

GWの前半、テレビを見ると皆さん色んな所へお出かけしていますね。

私も主人も同じ地元生まれなので、どこかへ里帰りという事は無く、いつもの休日と変わりありません笑

 

変わらない日常はこの年になると有難かったりします。

それは。。。疲れる事が無いからです(;´∀`)

いつも通りの生活ですが、変わり映えしない生活がそんなに退屈だとも思わなくなりました。

そんな年齢と体になったという事でしょうか。

お母さん 「老化現象かあせる

 

自分の体に合った生活が一番かなと、やせ我慢が5%ほど入る(笑)そんなGW。

 

 

桜

 

 

 

先日、ユーチューブを見ていると同じ世代の方が写経を書いている動画を偶然、見ました。

私は長年、書道やペン字をしていますが写経は書いたことが無いんですよね。

その方は以前書道をしていたわけではなかったようです。

 

 

”頭も心も無になって健康になる”

 

 

そのような事を語られ、1時間ほどかけて書きあげていました。

書く事でなくても、自分の好きな事をやっている時は”無”まではならなくても、自分にとっては大切な時間になりますよね。

 

でも50代以降は、子供の進学や結婚、親の介護や自分の病気もあったり。

したくても、やりたくても諦めざる負えない年代でもあるなと、今更ながら感じています。

 

無になれる時間は、沢山でなくとも今まであったはず。

初めてそんな時間が取れなくなった時、その大切さに気付くという・・・

 

大切な時間は沢山あればいいかもしれないけれど、有れば無限にあるように思いがち。

でも決して”有限”ではない。

自分でそんな時間を作る事が大切だったんだな、と今までの生活で感じた私です。