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(同日の小田急電鉄の記事から続く)

 

6月16日日曜日、前の週に木、金で広島まで往復した上に土曜も仕事だったため、日曜日は午前中のみ箱根登山鉄道で撮影を行い午後は自宅近辺でゆっくり過ごすこととした。午前中に効率的に撮るために朝7時新宿発のロマンスカーに乗って…なんて考えていたら結局朝4時半起きになって全くゆっくりした休日ではなくなったわけであるが(笑)。

箱根登山鉄道を訪れた理由はいかにも単純、最後の吊り掛け車である103-107号が7月に引退するからである。これまで実は箱根登山鉄道を紫陽花の時期に撮影したことはなく(観光客のあまりの多さに敬遠したというのが正直なところだが)、今更ではあるが引退前に紫陽花と吊り掛け電車を撮らねばという思いで馳せ参じたのである。


朝7時ちょうどに新宿を出た小田急の特急ロマンスカーはこね1号で箱根湯本に着くのが8時20分。お隣の登山電車ホームで出迎えてくれたのは1984年に導入された1000形第二編成、「ベルニナⅡ」。厳密には2000系「サン・モリッツ号」の中間車を組み込んでいるので純粋な1000形編成ではないのだが、冷房化の過程で1000形は2編成とも2000系中間車を組み込んだ3連になっており、むしろ2000系の3編成中2編成が中間車を失って一旦2連となり3000形アレグラ号を連結して合計3連で運用されるという複雑な状況になっている。

1000形は第一編成が1981年、第二編成のこちらが1984年にデビューしたが、小田急ロマンスカーのホワイト、グレー、オレンジバーミリオンを踏襲しながらもホワイトの部分を広く採った塗装は当時はとても洗練されて見えたものだ。前面の窓割は今は亡き小田急9000形の「ガイコツ面」にも通ずるところがあり、新しい時代の登山電車という香りに満ち溢れていた。

 

そんな1000形も第二編成すら車齢35年を迎え、2020年度までにモハ1,2形が全廃されると間もなく箱根登山最古の車両になる。どういう思いで日々箱根の山道に向かっているのだろうか…。



 

原色の1000形に乗車して大平台まで来ると、モハ1/2形の109+107+103編成と離合。良かった!来月引退する103+107編成が運用に入っている!!この日の成果としてはそれだけでも十分である。あとは彼らが車庫に入らずにきちんと箱根湯本から折り返して来てくれれば、だが…。

昨年秋に来た時にはオレンジバーミリオン、グレー、ホワイトのロマンスカーSE/NSE/LSE色であった109号はこの間に昭和初期の緑色一色塗装に戻されていた。個人的にはSE色の方が好きなのだが…しかも109号が鋼体化改造されて現在の姿になった時点では箱根登山鉄道鉄道線の標準色は青と黄色になっているため、109号がこの車体で緑色をまとったことはないはずなのだが…(一方今は亡き111,112号は登場当時から鋼体化車体で緑色時代を経験している)。



 

この日最初の駅外撮影は大平台駅近く、大平台を出てすぐ出山信号場側の踏切にて。すでに先客が2名ほどいらっしゃる中、前の方の肩越しに構えて東京よりやや遅い新緑の中、紫陽花咲く山道を登って来る列車を狙った。こちらは1000形ベルニナ号の第一編成。先程の第二編成は行先表示が三色LEDに換装されているが、こちらはフルカラーLEDへ乾燥されており紫陽花のシーズンには行先表示にも紫陽花のイラストが!!



 

大平台を出た3000形3001号が紫陽花群れ咲く急カーブを下って来た。高さのある屋根に大きな運転台窓。箱根登山鉄道の歴代車両は常に小田急の車両デザインを追いかけ模倣して来た節があるが、VSEやMSE、GSEと同じデザイナーの手になる3000形はさすがにどこから見ても新世代ロマンスカー3兄弟とはよく似ている。

 

 

しばらく待っていると、本命の103-107+109が箱根の険しい山道を登って来た。線路脇には紫陽花…ももちろんだが、それより気になるのが「80.00‰」の標識。かつての信越本線碓氷峠66.7‰を軽く超え、大井川鐵道井川線のアプト式90.00‰に肉薄する摩擦式鉄道としては驚異の急勾配。新緑のまばゆい箱根路に、オレンジバーミリオンの吊り掛け車が鈍重なモーター音を唸らせる。



 

振替って最後尾の109号を紫陽花とともに。鋼体化後の109号が緑色塗色をまとっていた時代はないはずで、いわゆる「似非復活色」なのだが、これはこれで悪くない。

 

 

先程の踏切、すぐ駅側に戻るともう一つ小さな踏切があり大平台から上大平台信号場に向かう線路を渡るため、下り列車を撮影してすぐにお隣の踏切に上がれば、更に大平台から上大平台に向かう列車を撮れるのだ。追っかけの如くにこちらに来るとすでに多数の人だかり…。手前の紫陽花を大きく入れる構図は同業者さんたちの頭が入ってしまうため断念したが、新緑の道に登山電車のオレンジバーミリオンが美しく映えていた。

 

 

さて今度は民家の間の小径を上がり、上大平台信号場すぐ上(宮ノ下側)のカーブへ移動。こちらもビデオ映像などで見ると昔は紫陽花が咲いていたような気がするのだが、今回はさっぱり。その代わり一人ゆっくりと撮影することができた。写真は3000形3002号だが、後ろの2000系は3000形に合わせた色に塗装変更されている。

 

 

と、今度は坂下の上大平台信号場から、3000形を最後尾に従えた2000系第一編成が上がって来た。おっとこちらの2000系は小田急10000形HiSEを模倣した2000系登場当時の色になっているではないか!?

 

 

 

箱根登山鉄道鉄道線は単線故一日を通して15分ヘッドの運転が限界であるが、それでも上下列車合わせると結構な本数がせわしなく行き交っているように感じる。スイス、レーティッシュ鉄道色に塗られた1000系が日本の四季にはやや冷たいか。



 

こちらは上大平台信号場を後にする2000系第三編成。スイスの氷河急行の塗色を採り入れている。箱根登山鉄道の色は本当に他社の真似ばかりだ…。

 

 

順光で緑が映える109号。後ろの107+103号がえぐみのあるモーター音を盛大に上げている。こうして緑色一色になるとなぜか昔の東急3000系を思い出すのだが、3枚窓の造形と言い、似ていないだろうか(もちろん車体幅は大きく異なるが)?



 

上大平台に降りていく103+107号。よく見るとすでにこの2両には引退を明記した特製行先板が…。



原色1000形が急坂、急カーブを登って来た。「あじさい電車」の大きなステッカーもこの時期ならでは?微妙に角度の異なる運転台窓の照り返しが美しい。

 

 

大きく採られたホワイトが清潔な印象の1000形原色塗装。旧態依然としたモハ1,2,3形ばかりが走っていた1980年代、1000形は本当に「現代」を感じさせてくれる車両だったのだ。

 

 

 

さて、再び山を下り、大平台~上大平台間の車は渡れぬ小さな踏切で、今度は線路脇にきれいな額アジサイが咲いていたのでこれを入れて撮影を続けた。2000系が来たので車両をぼかして花にピントを合わせようとしたのだが、うっかりオートフォーカスを切り忘れてしまい車両にピントが…まあ良いか(笑)。

 

 

と今度は後ろから列車が。この日モハ1,2形は103+107+109号の編成しか見ていなかったので、この編成が箱根湯本から折り返して来るには早いし、次は1000か2000か…と力を抜いて待っているとまさかの、まさかの108+106+104!!これは完全に準備不足だった!なんと!!途中から運用に入り出すなんて嬉しい反則だぞ!!



 

紫陽花のイラストを電光掲示で出した1000形第一編成が来たので、シャッター時間を長めにとって行先表示をきれいに撮ってみた。線路脇の紫陽花の色合いとも良い組み合わせ。

 

 

そして原色1000形とも…。

 

 

ついに撮った!この日の本命、103号と紫陽花の組み合わせ。103+107号は吊り掛け台車が残る最後の編成でもあり、その関係で側面ドア周りも原型を強く残している(カルダン化改造された車両は台車との干渉を避けるためドア下がカットされている)が、テールランプが塗装されているのもまたポイント。

 


 

続いて今度は箱根湯本に向かう104+106+108号。106号は複電圧化後の標準色であった青+黄色に塗り直されている。茂みの向こうの踏切でこちらにカメラを構えている同業者がいらっしゃるが、狙いは最後尾の108号、金太郎塗装か?



 

紫陽花とともに103、104と撮れて満足したため、最後は103号に乗るべく、大平台から宮ノ下まで3000+3100+3100の3連で移動した。時刻表を見ると私の乗った新型車両のみで組成された列車が宮ノ下で交換する上り列車の次の上り列車が103+107+109編成。15分間駅で待ち、宮ノ下に入線する列車を駅の紫陽花とともに撮った。先頭は緑色の109号だが、新緑とも紫陽花とも実によく合う。

 

 

最後尾の103号に乗車し、昼前の上り列車のまだまだ空いている車内、車掌さんが車内に出たすきに後尾運転室を拝見!宮ノ下~仙人台信号場間は急カーブが続き、上り列車(坂を下る列車)は区間によっては最高速度15km/hに制限される。

 

 

 

大平台まで坂を下りて列車交換となるが、なんとやって来たのは104号以下の旧型3連!自分にとって恐らく103+107に乗って撮れる最後の機会となるであろうこの日、最後にもう二度と撮れないであろうモハ1形二編成の離合を撮れたのはこれ以上ないプレゼントだった。

 

 

大平台から出山の信号場を経て、塔ノ沢で再び列車交換。座席モケットは最近交換されているようだが、厚く塗られた車内壁のとっくりした色合いも懐かしい。

 

 

 

103号の重苦しい吊り掛けモーター音に揺られて箱根湯本まで、至福の旅であった。車体にはすでに引退をテーマにした装飾がなされ、早くもお祭り?お葬式?ムード。一般にどの程度馴染みがあるかどうか不明な「ツリカケ」の表記も(笑)。



 

箱根湯本で並ぶモハ1,2形編成と1000形第一編成。時刻は12時24分。ここで撮影を終えてVSEのはこね16号で帰京。午前中だけとはいえ実に満足度の高い撮影行、箱根山の新緑に紫陽花にはやはり旧型電車が良く似合う。

 

7月に引退するのは103+107号だけであるが、3100形の増備によって今後モハ1,2形の残る4両も2020年度までに姿を消すという。まだモハ1,2形のいない箱根登山というのが想像できないが…。あるいは3000/3100形と小田急VSE、MSE、GSEの岡部デザイン4兄弟が新たな時代を作るのだろうか…。