こんにちは! ちゃん です!
前回、前々回に引き続き、今回は受験格闘記後編(高3時代)について紹介していきます!
それでは行きましょう!
後編(高3時代)
葛藤、決断の高3時代
高2時代の勢いそのまま、志望校は東京医科歯科大学に設定し勉強を続けていきました。順調すぎたこれまででしたが、高3の夏、初めてといっていいほどの挫折を味わいます。
「過去問が全く解けない…。」
通っていた塾の方針もあり、僕は高3の夏の段階で過去問を10年分やる計画を立てていました。もしかしたらご存じの方がいるかもしれませんが東京医科歯科大学の問題はくせ者揃い。数学は計算量が多く、発想力を要しながらも90分3問のスピード勝負。英語は2000字近くの長文1題の出題のみで最後には400字の要約問題。理科は2科目120分のスピード勝負で特に化学は大学範囲の問題が大問一門分出題されるなど、単科医大特有の癖問で構成される問題でした。
僕は完全に怖くなりました。「この問題で都内の超進学校の人に勝てるのか。情報が少ない中で勝負できるのか。。。」そんなことで頭がいっぱいになっていた時、塾で共通テスト模試が行われました。結果はまさかの600点台。得意だったはずの数学も1A,2B ともに70点前後。医科歯科はもちろんE判定。完全に心が折れました。。
夏休み後、塾の塾長、医科歯科を勧めてくれた担任の先生にこう告げました。「医科歯科諦めます。。」最終的には学年主任の先生も含めて相談した全員が「本当にいいのか…」と反対しましたが、すでに心が折れていた僕は「はい、大丈夫です。」ときっぱり答えました。
変更後の志望校は名古屋大学医学部。言わずもがな超難関校でしたが「とにかく医科歯科でないところで戦いたい」という逃げたい気持ちが勝った結果でした。。。
名大の特徴は何といっても数学。150分で4問。一問あたりに費やせる時間が長い分、思考力を要し、難易度が非常に高い。さらに共通テストの割合も比較的高く、医学科に合格するには共通テストで9割、2次試験全体では7割とる必要がありました。
しかし、医科歯科から名大医学部に志望校を変えた後、どこか勉強の強度が弱くなり始めた感じがしました。これまで必死でこなしていた計画も崩れることが多くなり、日ごろの問題演習でもケアレスミスが多くなり始めました。
そんな中迎えた秋の冠模試。自分の中で本番だと思い込んで準備をし、全力を出した名大オープンと名大実践。
結果は名大オープンC判定。名大実践E判定。。
この時期の模試は共通テスト模試の結果も含めた判定だったため、まさに仮想本番と位置付けて受験したものの厳しい判定。特に名大実践では得意だったはずの数学で平均以下。。流石にへこみました。。。「今までの自分の努力は何だったのか。本当の実力はこんなもんで今まではたまたま調子が良かっただけだったのではないか。。」と今まで自分が勉強してきたことのすべてが否定されているような気持ちになりました。
高3の秋は、今思えばただただ苦しかった。。
模試の学校内順位も徐々に下がり始め、ある共通テスト模試では多くの人が自己ベストをたたき出している中、自分は過去最低の得点をとり、多くの人にごぼう抜きされました。。
自分の意志で変更した志望校。何も後悔はない。そう思いたかった。。ただ現実は厳しく、成績は伸びるどころか下がり続ける一方。何より、思考力を要する名大の問題は自分に向いていないかもしれない。。そう感じ始めていた時期でもありました。
「正直自分に合っていない。。でも今更引き返すわけにもいかない。。。」
そんな思いを持ったまま、何とか名大医学部に合格するために勉強を続けていきました。
不安なまま挑んだ防衛医大受験
10月下旬、僕は防衛医科大学校医学科の受験会場に足を運びました。防衛医大は毎年約5000人が受験して合格者は約300人。
倍率は約18倍。自分の力を試すつもりで出願した今回の受験でしたが、秋以降の調子を思うと、自分の実力には不安がありました。だからこそ、「自分は挑戦者。やれるだけのことをやろう」と割り切り、試験に臨みました。
12月上旬の合格発表
結果は、合格。
ただただ驚きました。。本当に信じられないような気持ちでした。。勉強しても成果が出ず、精神的にもつらかったこの時期でしたが、だからこそ防衛医大の合格は、自分に戦う勇気をもたらしてくれるものでした!
運命の共通テスト。そして2次試験へ。
防衛医大の合格発表後の12月中旬ごろから、共通テストの勉強を本格的に始めました。
何とかして9割(810点)とり、名大医学部受験に向けて弾みをつけたいところでした。
結果は、735点 81.6%。
例年であれば地方の医学部でさえも厳しい点数。
しかし、今年の共通テストは激難化した年で、医学部も含め軒並みボーダーは下がり、何とか地方の医学部のボーダーは超えていました。それでも、名大医学部を受験するには厳しい点数であることには変わりありませんでした。
共通テストの結果を受け、一度冷静になって考えてみました。
「本当の目標は医者になること。医者になるのであれば地方の医学部でもいいんじゃないか」
当たり前です。医学部に入ってしまえばどこの大学に入ろうと同じことを学びます。医学を学ぶ上で、大学ごとの違いはほとんどありません。
しかし、僕は思いました。
「これまで上を目指してきた自分を裏切ることはできない。
名大は2次試験の相性を考えても正直厳しい。だけどだからといって下げることはしない。
目指す場所は違えど、上をむいて挑戦を続ける」
僕は共通テスト結果や2次試験の相性を考え、名大医学部ではなく、2次試験の配点が高い東北大学医学部に出願することを決めました。偶然にも、3年間僕を見てきた担任の先生も同じ考えを持っており、「蹴散らしてこい!」と、後押ししてくれました。
東北大学医学部の受験を決めてから2次試験本番までの約1か月間、15年分の東北大学の過去問を解き、これまで受けてきた模試をもう一度解き、自分がこれまで使ってきた参考書、問題集のうち不安な問題は全部解きなおし、夏ごろから記録し続けていた間違いノートを毎日見返すなど、やれることは全部やり、受験当日を迎えました。
2月25日、26日 二次試験本番
英語、理科(物理、化学)、数学、面接の順で受験しました。
受験後の手ごたえは好感触。
特に数学は、6問中5完半。この一か月でこれまでのミスをすべて復習した成果を、本番で発揮することができた結果でした!
3月9日 15:00 合格発表
結果は、合格。
本当に嬉しかったと同時に、安心した気持ちでいっぱいでした!!
医者になるという目標を持った中学生時代。上を目指して必死に勉強した高校生時代。
やっと報われた!医者になれる!!
そして、中高時代、僕とともに戦ってくれた戦友であり、親友である友人たち。
塾からの帰り道、バカみたいな話で気持ちを明るくさせてくれた友人たち。
上をめざすきっかけを与えてくださり、僕を後押ししてくださった担任の先生。
そんな寒い格好しないで。と心配してくださった3年間数学の指導をしてくれた先生。
医科歯科から志望校を変える時も、共通テストで失敗した時も声をかけてくださった学年主任の先生。
最後に、僕の決断を最後まで尊重し、見守ってくれた両親。
本当に力になりました!
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました!
こうして、僕の受験は終わりを告げました。
受験格闘記 終
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