仰向けになって横になる恐怖
私には8年ほど前に無呼吸で死にかかったせいで、仰向けに横になる恐怖心があります。例えば、何気にCTの検査をし始めると、突然パニックになります。その時、助けを叫び出すのですから、基本的に呼吸は出来ているのでしょうが、心の中では呼吸が出来なくなるという近未来が大きく私を押しつぶします。パニックです。この入院では、CTの検査は不可欠なのですが、私の恐怖心がそれを許しません。それで、顕在意識から意識下を書き換えるトレーニングを始めました。…不言流の心理トレーニングです。①安心して仰向けになって、安心してCT検査を、安心して受けられる。・・・これを出来るだけリアルなイメージで多数回念ずるんです。②CT検査は将来の私を幸せにします。…これも同様に、念じます。③CT検査をどうか受けさせてください。…これも、同様です。これらの3段階を数日間行程で行うと、CT検査…恐怖・パニックと云うイメージが反対方向に書き換えられてきます。今日は、CT検査は19日以降なら何時でも宜しいですと担当の先生にお伝えしました。先生には、喜んで貰えたみたいです。私たちは言葉によってイメージを浮かべます。つまり、言葉によってある種の感覚を得るのですから、言葉を解するというのは感覚器の働きとほぼ同様なのです。そして、記憶された言葉には、それぞれに異なる強度の快や不快が付与されています。例えば、花と云えば何を思い浮かぶかと尋ねられた時、私の場合は「チューリップ」が思い浮かびます。それは、多くの花の中で最も強い快感と共に記憶されているのがチューリップだからです。私は、宇宙や世界、そして色んな事態や状況の中で生きていますが、私が「世界」と名付けたものは私の認識であり、私の心象でしかありません。その証拠に各人の世界観がバラバラです。「世界」と云う言葉が指し示そうとするものは、私の認識する「世界」とは別物です。つまり、世界も事態も状況も、私たちがリアルに認識しているものは、私の外に存在しているのではなく、むしろ私を成り立たせている要素自身であると、考えられます。長くなりましたが、こうした考えを元に、ある言葉に感情を付与しながら多数回念ずることによって、自分が生きている世界や自分の状況などを書き換える事が出来るのです。