一億二千万目線の自己陶酔



 「不知の自覚」「唯我独尊」「離見の見」の教え

 それらに触れておられる北村氏のブログを発見

 日常の出来事に

 さり気なくアチコチにステキな教えを散見

 ソレに触発されての今日の私のブログ~


 人の数だけ手前勝手な自負の想いがあり

 それらが一気に爆発したら〜❗️

 しかもソレが…

 交通道路であったとしたら…!?

 もうソレは地獄絵図❢

 そんな警鐘をを鳴らしてくださっているのが

 北村氏「行住坐臥」の八月十日のブログ記事



 私もかつて

 同じ想いを経験していた…

 交通事故で顔半分折れ畳まれ

 右足も半分に折れていた…

 この事は以前ブログに描いているので

 ここでは深くは触れない


 何とか生還して

 保険とベット数の関係か

 抜糸も済まない

 遺せた歯も

 歯茎にぶら下がったままの状態で

 退院の日を迎えた私

 当然口から食べることも能わず

 ソレでも

 折れた両顎を元の位置に戻し

 折れた右足を何とか繋ぎ合わせての退院❗


 帰りに

 当然冷蔵庫はからであろうからと

 病院そばのスーパーに立ち寄った

 その時の出来事である


 このお店は品揃えの良さとその利便性から

 狭いながらもかなり流行っているお店であった…

 退院後初めての外出、人の群れに戸惑った

 ソコで思い知らされたのが

 北村氏の「離見の見」である❢


 世阿弥の“花伝書“の中に書かれてある

 客観的な目線の大切さを説かれたもので

 北村氏は自身の言葉で

 距離を保ちながら

 客観的な目線を忘れないようにと仰ってる

 しかし現実には

 ホント天上天下唯我独尊の坩堝に

 押し込まれたほどに戸惑ったのであった


 退院直後の私は

 まるで別世界をみるエトランゼように

 ギブスをはめた足でカートを引きながら

 店内を歩いていた…

 ソコで第一に思ったのは

 売り場であっても買い物客ばかりではなく

 ほとんどの人が 自分勝手で


 前を向かず歩いていた事❢


 立ち止まって立ち話してたり

 商品にとらわれ通路塞いでいる人の群れ~❗️

 一度立ち止まると…次が踏み出せなかったり

 よろけたり~ 顔と顔がぶつかりそうな恐怖

 当たり前に歩くこと 

 転ぶことがこんなに不安で怖いものだとは…


 私が困った顔をしていると

 アチラも

 話中断された思いがあるものか

 ひどくふてくされた表情で睨見返した


 そんな格好で買い物などしないで

 人に頼んだら!?

 皆自分のことで精一杯!


 こんな感じで私は

 カートにかじりつき

 せいぜい十分程度が限界だった…


 視界が天井と足元にあり、

 こんな床だったか~❗️

 壁にはこんな表示があったとは…

 視点が変わると

 違ったお店に来ているようであった

 これまで足元などに注目して

 しっかりと見たことはなかった…

 それで日頃の目線にも気づく

 私は何時も真ん中ばかり見ていたと…


 お魚の鮮度 大きさ プライスと…

 どれだけ買ったら残らないかとか…

 一方、夫は 

 どうして昼間のスーパーは

 小さい子はうるさく走り回るし

 年寄ばかりなんだ!と

 手前勝手に喚いてる

 それがどうして悪いのよ! と思うのだが

 付き合ってやってるという男目線に

 いつものことと諦める


 このように皆自分の小さな価値観で

 一つの空間でさざめき合っているのである

 怪我をしてみて

 不自由な中での目線の違い 

 人の想いの違いの渦の中にいることを

 あらためて

 気付かされた


 不幸も過ぎてしまえば

 悪いことばかりでもない

 不便な他人の大変さを知らされ

 私に

 大切な気づきの一つがあたえられ

 一歩前進の喜びが知れたから 


 今は遠き日の熱き思い出である