絶対評価と相対評価と田中角栄の精神

(未来に羽ばたく子どもたちの幸せを願って!)

 デモシカ先生と
 かっては呼ばれた時代が在った!
 大学でても まともに職にありつけず
 やること無いから取り敢えず
 先生でも…仕方ないやってみるか?
 そんな生きる糧としての
 余りやる気ない教師の横行に
 デモシカ先生
 そう呼ばれていた
 安給料でも一応安定している職業だからと

 ソレが田中角栄総理が誕生して
 私が今在るのは
 小学校の恩師のおかげ!
 社会的にも評価為れるべき職業デアル!!
 もっと、教員の”質”を上げるべく
 いわゆる”人材獲得法案“成立させた
 一般公務員より教員当別手当がつき
 教師の待遇改善を図った
 
 折悪しく私は ソレが施工される年に
 当たったため…正直大苦戦強いられ
 いい迷惑であったのだから~
 このことは再三書いてきたし
 マア硬いお話しはこの位に

 今日は
 見上げるちっちゃなお目々がくりくりと
 色浅黒く小柄なおかっぱ頭の女の子
 日頃は無表情だが、笑うと上唇がめくれて
 大きな二本の前歯が印象的だった 
 カンニング竹山子チャンの
 お話しの続き!
 
 何故!あの子が私を慕って?!くれたのかの
 謎解きのお話しデアル

 頻繁に席替えする私を見て
 クラスの子どもたちは
 当然 
 竹山子チャンのカンニング事件は
 バレバレ~
 普通の感性の子なら
 私を恨み憎んだはず…

 私は成績のよい子の近くに
 あの子の席を配置した
 わからないとろを教えて貰えるかと~
 ソレが仇となった
 期末テストの
 カンニングに繋がったのだから

 アレは頭の中に在るものをささっと
 書いたものではなかった
 一字一句 丁寧に書き写した字
 符号や番号に丸で囲むのも
 そつくりそのままだ…
 迂闊だった…
 一瞬見て
 全てを書き写す能力は
 あの子には無かったから
 然し
 ヒトには想わぬ能力があるものだ…
 清書したようなキレイな字だった

 試行錯誤の末
 独り離して最後尾の席
 しかも後ろ向きに…
 屈辱的デアルにもかかわらず
 あの子は私を慕ってきた?

 推理してみるに
 常識では捉えられないあの子の頭の中の 
 三つばかし理由を考えられた

 一つ 
 どう見ても成長の余地無しと…?!
 コレまでは
 どの先生も自分には目もくれなかった

 タシカニそうとも言えるのだが…
 どんな子にも 
 何処かに伸びしろはあるはず…
 成績優秀児より 
 愚鈍と?想えるような子がかえって
 感性が豊かで 計算できない反面
 正解を出すことも
 時としてあったりもするが
 まぁ…
 五十人近いクラスでは全員には
 目が行き届かない…
 結局落ちこぼれる

 注目を浴びることがイヤな人も居る中で
 かっての男女共同参画の仲間の一人に
 例え殺されても目立てるのは嬉しいと
 叫んだ仲間が居たが
 竹山子ちやんも
 話題の中心でみんなの視線が嬉しく
 存在にスポットライトが当たり
 嬉しく 感じていた~?!
 二つ
 怒り?差別化?!されながらも 
 一緒に遊んでふれ合った経験が
 孤独から解放され嬉しかったのだろうか…
  三つ
 成績の評価が嬉しく 初めてのことに
 家族で喜んだ?

 
 この三つ目の推理を、…深掘りしたい

 
 そもそもあの子には
 カンニングが悪いこと?!
 という考え 苛めがどう言うものか
 一般常識では測れないところが…?!

 お母さんから 
 白紙で出すのは いけないこと!
 ちゃんと お勉強した事を
 テスト用紙に書かないと…
 ソレがあの子には出来なかったから?!
 カンニング竹山子ちやんに…?!

 怒られるより 
 それまで教室クラス内ではお客様
  誰からも注目もされなかった…

 成績表 
 ”よい子のあゆみ“には
 一のオンパレ-ドだつたのが
 幾つか二の評価がついていたこと
 初めてのことで
 ソレが余程嬉しかったのかも~

 成績表には相対評価で
 割合が決められていた!
 クラス内で
 「五」が何人まで
 「一」は必ず一人は 付けること!
 必ず誰か一人は犠牲者?!
   一を付けなくては成らなくて
 あの子がいるお陰で
 コレまでの教師は
 罪悪感もなく迷いも無くて
 助けられていたと思う

 先生方が クラス評価上げようと
 最高ランク五を増発していないか?!
 内容に不備は無いか
 毎回検閲された
 
 そもそも
 相対評価と 絶対評価の違いは?!
 それぞれによい点と悪い点とが…
 相対評価は 客観性が保たれ
 統制がとれている
 会社組織では管理しやすい
 然し
 個人の成長の度合いが測れない
 反対に
 絶対評価は 
 個人の成長がシッカリト捉えられる
 が、全体像が正しく捉えられない
 客観性、正確性も問われたりする点等

 管理するがわとしては
 多くは
 相対評価せざるを得ないのであるが
 私はあの子には 
 成長の足跡を評価してあげたかった
 此れから 社会に出てどんな人生を
 歩んでいくのだろう
 何もしてあげられないが
 せめて
 少しでも光が当たり
 幸せになってほしいと 願いを込めて

 あの一つのイチゴパックには
 余り豊かでは無い家庭の子の
 精一杯の 表現ではなかったかと…
 今ごろになって
 胸を熱くしている私である