近松の❝虚実皮膜論❞を読み解く



 世阿弥の「花伝書」“難波土産“の中に

 近松門左衛門の❝虚実皮膜論❞を論じたくだりが有る


 そもそも近松の 虚実皮膜 とは…

 フィクションと真実の、あわい(間)にあるものを

 描くという 一種の芸術論デアル


 わかりやすく言うと…ネ

 

 なぜ…ドラマのヒーローゃヒロインは

    美男美女 なのか!?


 私が高校国語の時間

 この虚実皮膜論なるものにいたく

 心に…刺さった

 その後、国文学の時間に教授は問うた


 なぜドラマのヒーローヒロインは

 美男美女なのか〜❗ 

 

 そこで一本に繋がった❢ のである 

 具体的に言えば


 織田信長は勇猛果敢に濃く太い眉

 キリリとした口元に描かれる 

 然し 

 実際の信長像は

 鼻こそでかいが…ネ口元小さく優しい眉に

 色白で穏やかな女性のような眼

 荒々しさは微塵もない❗


 源義経の実像は

 チビで小太り 髪の毛薄くガニ股で 出っ歯

 然し

 描かれる義経像は

 いずれの舞台ドラマにおいては 水も滴る美男子❗


 クレオパトラだって

 実際は そんなに美女ではなかった?!とか 

 現に

 クレオパトラの鼻がもう少し高かったら…❗

 歴史は もっと変わったものになったであろう

 と云われる逸話さえある


 なぜこぞってヒーローヒロインを

 美男美女に 仕立て上げるのか??

 そこに近松の芸術論が…罷り通るのである

 

 実際はヒゲは生やしてなかったのに

 なぜヒゲを付けさせるのか!


 いかにもそのような勇猛果敢に魅力を与え

 観客を引っ張り込む演出でもある

 実像をそのまま持ってきても

 真実は伝えられない

 本人でないと出せない魅力は

 扮装でカバーするしかないのである


 フィクションと真実の間にあるうすーい膜

 を張ることで 

 ソレらしく魅せる演出とも言える

 そのためには…

 ヒゲ~生やさせたり 少し手を加えることで

 ソレらしく信じ込ませる手法

 と言ったら良いのか~

 美しさで惹きつけたり

 内的魅力をカバーし

 観客を惹き付ける要素となるのである

 

 真実ありのままでは 

 観るものには伝わらないのだ

 だって

 当の本人ではないから❗…ネ


 中身を十分伝えたいのだが…

 観客には

 偉業成し遂げた

 歴史上の偉大な人物像は伝わらない


 

 視点を少し変えてみよう~

 私は ブログに本来は 

 使いたくはなかった

 イメージが限定されてくるから

 想像の視野が狭くなってくる

 具体物を提示されると…ネ


 写真は……イメージが固定限定 

 そこから一歩もはみ出せない


 かって

 美の化身の

 神話に出てくるような超イケメン君との

 ツーショット写真見られた時の感想に…ネ


 これって…イケメンかしら〜??


 そういった人がいた

 確かにその船上に居合わせた六人全員は

 ワオ〜❗って叫んで

 握手求めるために並んだほどだったのに……ネ


 私は実際のその場面を

 小説の中で

 次のように描写している……

 

 ブルーネットの美しい髪を

 エーゲ海の風に靡かせて佇む美の化身…

 その美しい巻き毛が…

 海風に揺れリズミカルに額の上で踊ってる。

 その美しい額に、シャープに伸びた眉、

 きりりと閉まった口元…

 その眉と青く澄んだ瞳が

 エーゲ海の海の色を写し撮ったかのような

 眼差しが

 絶妙なバランスで配置されている。

 ギリシャの彫像を思い浮かべた…



 言葉だけのほうが 

 それぞれ理想像を思いめぐらせられる

 然し

 写真は…イメージが限定されてしまうから

 かえって伝わらないこともありがちなのだ

 私が写真を多用しないのは

 そういった理由もあったりする…


 猪谷守一の絵画を載せなかったのも

 想像を膨らましてほしかったから

 資料として

 彼の肖像や作品を乗せてしまうと


 はい、実際はコレコレだょん〜…とネ

 説明的で表現を省く事で

 情報提供のみに終わってしまう

 ソレなら

 コピペで誰でも出来て……ネ

 同じものになり

 感興を呼ばない…


 ハァぃ ここにたっぷりと資料載せましたから

 あとは勝手に読んで解釈も自分でやって❢~

 とハネマカセテル そんな類多く目にする

 そういうありきたりの

 ただの紹介では 誰でもちゃちゃっと出来る

 載せる意味もナイデハナイカ❗


 読まされる方も

 情報を流され続け ソレに慣れ

 おんぶに抱っこの習性から

 深堀りもせず それで解ったかのように

 通り過ぎ 満足し?!

 深くは追求しないまま

 イツマデモ 身につくこともない❗

 そう 警告を発したくなる…ネ 


 浅い感性の 

 底の浅い人間を造成し続ける…


 薄っぺらさにも 哀しいかな

 誰も 気付けない…

 自分で労作して

 ホンモノを探そうとはしなくなっている~

 言い換えると

 魅力も 幅もない そこい等の草にしかず


 興味関心もたれた方は 美術館行くなり

 検索すればすぐに出てくる名画であるから

 思い描いたのとはどうなのか

 居ながらに すぐに与えてしまうより

 出さないで空想たくましく

 されるほうが 愉しみも倍価するのではと…

 イメージが固定されてしまうと

 そこから

 心が動かなくなることもあったりするから

 作品そのものより

 今回は猪谷守一の生き様、精神論に

 焦点を充てたかった

 

 例えばの話 

 お見合い写真みせられて

 胸ときめかせるか 

 逢うのが後ろ向きにに変わったりとかね…

 写真はそれだけの他を圧する

 使い方次第

 パワーがあるので

 諸刃の剣である

 


 話はそれてしまったかもしれないが


 近松の芸術論を 思い浮かべながら

 テレビドラマなど

 今後の参考になれたらと…


 見方が深くなり

 変わってるのか?!どうか

 鑑賞するのも一考かと…