私の教師人生 3

(面白教育ア・ラ・カルト)


 

 新天地での、

 ソシテ最後の教師生活が始まった。

 今にして思うとの、

 休憩時間、

 私の机に集まった中で、

 賞ヲトラセテアゲタリ、

 学級委員もやったり何かとお愛想し、

 肩をもんでくれたりした子たちは

 学年が変わると、

 全てではないが 

 廊下ですれ違っても知らん顔して

 次の先生にごま擦ってる…ネ


 そんな中でも、

 印象に残っている子がいた…。名前は忘れたが、

 その子は緘黙児、学習不振児だった。

 休憩時間も外には出ず、

 教室の隅っこで、ジッとつ立ったまま…

 放課後のある時、授業で使ったトランプ♥

 を生徒たちとしているときだった。

 私が手招きしたら、

 ふいと誘われるように、

 よろける様にやって来た。

 私は微かにほころぶその子の笑顔を

 初めて見た気がした。

 その翌日から授業中も笑顔を見せるように。

 その目が活きていた。

 然し、

 他教室の先生からは…ネ

 教室にトランプ♥持ち込んで

 放課後生徒たちと遊んでる先生の烙印

 またしても…押されてしまった〜 


 しかし私はコレまでの反省も加味して

 私としては余りはみ出さず

 静かなるドン?

 ヒトは、どう思ったかは知らないが

 終わりよければ全てヨシ❗

 を生きたつもり…


 学年早々、

 主任がいきなりセキコンデ

 三枚の色画用紙持ってやって来た。

 コレに標語を書いて

 教壇の上に貼りなさい❣と…。


 私は、いきなり言われてもと…戸惑った。

 主任や他の教室の偵察に〜

 「廊下は静かに歩く」「忘れ物はしない」

 「手はいつも清潔に」「先生にあったら会釈」

 といった類。

 

 そんなの書けばいいのか…

 と思った。

 ソコで私も考えた。

 「その時その場の心」はピンクの画用紙に

 「反対の人の立場」はブルーの画用紙に

 「継続は力なり」はクリーム色の画用紙に


 ある時、一人の生徒が聴いてきた。

 「その時その場の心」って、どういう意味?!

 

 「その時その場の心」とはねェ…

 授業時間に、

 給食のこと考えたり、放課後何して遊ぼうか?

 って他の事を考えては

 ダメですよ❗っていう意味よ。

 

 じゃぁ、

 「反対の人の立場」は?

 自分ダケが得したとき、

 他の人はどういう気持ちでいるのか?と

 何時も考えられる人になって欲しいから❗


 「継続は力なり」はね、

 どんな事も続けないと、点だけで終わってしまう。

 ソレではチカラにはならなぃ

 頑張ったのが無駄になるネ

 線から面に成るまですよ〜っていう意味。


 仕方無しに作らされた標語だったが

 コレが私の運命を大きく2つも変えた。

 一つはエッセイにして応募し入選を果たしたから。

 今一つは、私の教師生活に最後に見事な花を咲かせてくれたこと❗

 

 何気なく毎日毎日

 眺めさせられていた標語が、

 ある一人の子の何気ない質問で、

 全員の子の心に

 刺さってくれたようだから…


 ある時、また一人の子が言ったのだ。

 センセ〜! 

 あの三枚の紙どうなるの?!

 と、問うた。

 私は突然のことに答えに、窮した…

 多分~捨てるんでしょうね…


 するとその子はいった。

 だったら僕にちょうだい!

 そういえば、

 家庭訪問のとき、

 お母さんが笑顔で勉強部屋に通してくださり

 これ見てください、と机の前の壁に

 3つの標語が書いて貼ってあったのだ。


 私は深くは考えず、

 欲しいのならあげるよ。と言ったら…

 私もワタシもボクも…となった。


 そこからが快進撃❣

 私はピンクがほしい、僕は黄色、…ブルーと…

 勝手に言い合っている。

 日に日に応募者殺到。

 血みどろの闘い?!になりそうなので

 私は苦肉の策を考えた。

 どうしてもほしいと騒ぐので

 新しく3枚書いてあげるから

 その代わり漢字トーナメントして、

 勝ち抜いた子にいずれかあげるから…ネ

 と約束した。

 

 まあ子供のことだから、

 人気のカード集めるみたいで、

 そのうち熱も覚めるでしょ…

 ところがどうしても

 一年見慣れた日焼け色褪せた

 原本狙いもいて、

 放課後いつの間にか、

 教室いっぱいに

 居残った子どもたちの熱気で溢れていた~

 どれが一番人気だったか忘れてしまったが、

 何れも2、30枚づつ書いた気がする…


 そんな中の数人が

 年賀状くれ続けている子どもたちである。

 私の小説「選ばれた娘たちのその後」

 にも実名で登場させている。


 私が何より嬉しかったのは…

 私の標語は先生方にはすこぶる評判悪く

 書き直したら~

 とまで言われてしまったのだが…、

 書き換えなくてよかった〜

 わがクラスの子は私の想いは

 確かに伝わっていたのだから…ネ


 今は教師不足が嘆かれているが

 私は人獲法が制定された翌年我もわれもと

 群がる波をかき分けて、面接でも

「私が居なければ、この教育界の灯は消える❗」

 と豪語して教員になった私。辞めるときは一抹の寂しさが残ったね…

 教師時代初期、校長の一言で

 テレビ局の劇団研修生となり

 その経験を活かして

 多くの希望の中、劇団を立ち上げ

 子どもたちを舞台に上がらせたこと。  

 白雪姫のパロディー。

 脚本から音楽、メイク舞台衣装振り付けまで

 バレエ経験もフル活用。

 かれんで美しい子に毒リンゴのオババ役

 ぷっくりと小生意気で面白い子に白雪姫。

 背丈の大きな子に七人の小びと役。

 王子様だけは一番かわいい子にしたっけ〜

 見ごたえないと困るからね…

 最後は一同揃って

 大団円のフレンチカンカン踊らせた。

 文句言われると想い予めうるさ型を正面に招待していた。

 アンタのやり得だね❗お見事…

 事前に言ってたらお釈迦だったよ〜

 口封じにもなんとか成功した一コマ…

 

 短い教師生活の中でも、

 いろいろなのことがあったけれど

 とりわけ思い出すのは

 子どもたちの顔が眼前にちらつき

 休日返上デ、寒く薄暗い始発に乗って、

 星がきらめく最終列車デ帰った日々。

 今思えば

 私の確かに生きて頑張った

 私のかけがえない青春だったのかと。