昨晩も楽しい、いい舞台でした。 二幕の途中からは壮さんが登場しなくなってしまうのですが、壮さんのことも忘れて楽しんでいるくらい(笑)。
役者の皆さんもそれぞれ捨て身の芸に出ていて本当に楽しいし、壮さんもやっとアップが完了したかな、舞台でイキイキしています。サッカー選手が、どんなにスーパーな選手で、どんなに練習していても、試合に出ないとゲーム勘を失ってしまうように、舞台人も同じなんだろうなと思います。
壮さんも、コンサートはあったとはいえ、みんなで一つの作品をつくりあげる舞台にはしばらく遠ざかっていたので、舞台勘みたいなものはすぐには戻ってこなくて、もどかしい部分もあったんじゃないかと想像します。
でも、もうすっかりそこにいるのはエドウィンで、エドウィンを演じる壮一帆です。
ちょっと時間はかかっちゃったかもしれないけど、男役とか女優とか、そういういれもののことを抜きに、演じる人としての壮さんがそこに「いる」のをはっきりと感じます。ハレルヤ!
* * *
場面によって、いっしょにいる相手によって、エドウィンのいろんな顔が見えるようになってきました。
ジョンといっしょのときは、少年みたいなエドウィン。
ローザといるときは、やさしくて甘くて、少女漫画に出てくるプラトニックな関係の恋人同士のような、兄と妹のよう。
ネヴィルといるときは、やんちゃ。英国青年らしい高慢さや皮肉がのぞき見える。
ロワイヤル劇場の女優・壮一帆さんは、コメディを全力でやってしまう、あの劇団の愛らしいクセ(笑)がまだ抜けてない気がしますが、かわいいからもういいです。
そして、最後に登場するエドウィンは、少年探偵のイメージ。
そういう楽しみがありつつ、もう一つ、ファンの領域のものですが、場面場面に見えてくる、あの日あのときの壮さんを探すというお楽しみがあります。
これから先、どんな舞台を観たときにも、そういう既視感はやってくると思うのですが、ここまで「あの劇団の」壮さんの舞台を思い出させてくれる作品はそうそうないのでは?
ということで、書いてみます。
「ここにもそこにも あの劇団の壮一帆」
【Act 1】
・エドウィンの衣装を見ると思い出す。わたしは映像でしか知らないけど、『送られなかった手紙』のドミトリー。そういえば、ドミトリーにもおじさんがいて(ヒロさん)、二人の複雑な感情を描いた作品でした。
そのドミトリー君は、謎の言葉を残して死んでいったのでした。その言葉とは、「ばらのつぼみ(ROSE BUD)」。
・あの劇団らしく踊りながら不自然なセリフを言うところのシャンシャンを手にしたおじぎは、やっぱり「ベルばら」のイメージか。・ローザは「クライスタラムのばら」。ピンクの薔薇かな。
・ジョン・ジャスパーさんとの二人だけの絆を信じるエドウィンを見ていると、トマスを追いかけていた『愛と死のアラビア』のトゥスンを思い出します。エジプトで一旗上げる計画立てたりしているところも、ものすごーくトゥスンっぽいです。
・そういえば、『さすらいの果てに』のジェフリーもエジプトに行きましたよね。
・ワインの場面。エドウィンがワインラスを持っていると、ばっと投げ捨ててアンドレになるんじゃないかと思ってしまう。
・というか、今さんと壮さん、オスカルの居間で会話をするアンドレとオスカルみたいじゃない?
「オスカル、飲むなっ!」バシッ
「そのワインには、毒が入っていたんだ」
「アンドレ…」
というくだりをやってほしくなる。今さんアンドレ、壮さんオスカルで。
・だから、あのね、二人の絆のくだりは、もっと意味深にしてもいいと思うの(笑)。
「なんでもいいよ、ジョン」
「なんでもいいのかい? エドウィン」
これも劇中に散りばめられた意味深なセリフの一つでは?
「誰もが犯人になりうる」ことを匂わせているのだと思うし、ジョンとエドウィンの秘密の会話のようにも聞こえます。マルトワインだもの。あまーい雰囲気でやってほしい ^ ^
ま、この二人の意味深なセリフは、ことごとく流されているわけだけど(笑)。「話がややこしくなるから、BLもどきはいらん」って感じなんだろうか。
・とはいえ、ジャスパーさんとエドウィンとローザって、ちょっとキャリエールとエリックとクリスティーヌみたい…。
・エドウィンの、周りが見えてない困ったおぼっちゃまぶりは、トゥスンだけど、ちょっとオスカル嬢に通ずるところがあります(笑)。
・かつて、オスカルのことを「わがままなお嬢さま」と表現した壮さん。その壮さんのオスカルが見られるとは!
・一幕ラストの「競馬に行こう」のナンバー。最後の指差しのあと、すかさず「バチッ、バチッ、バチッ」と続けたくなる。
「♪バチッ、バチッ、バチッ ショートする熱視線に
ガチッ、ガチッ、ガチッ 離さないもう二度と
エキサイター、エキサイター…」
・だから、お願い。指差し首振りウインクを……(笑)
【Act 2】
・壮さんのもう一つの役、探偵ダッチェリーさんは、最初はそのたたずまいから、『太王四神記』花組版プロローグの長老プルキルを思い出したりしていたのですが、回を重ねるごとに、2000歳からどんどん若返ってきました。でも、ここは見るたびに年齢が違う(笑)。わたしはガチに探偵っぽいのが好きです。
そういえば、壮さんって探偵役は演ったことがなかったような…。警部(『黒蜥蜴』の波越くん)と警部補(『相棒』の神戸くん)は経験あるのにね。
・知寿さんとのかけあいのナンバー「ケリをつけよう」が大好き。ぶっかぶかのコートで体泳がせて踊る壮さんは、何に似ているというわけではないけど、なつかしいです。長いコートやお衣装の裾さばきがダイナミックでカッコよかったなあって…。『My Dream TAKARAZUKA』プロローグの白のロングコートも思い出す。
・エドウィンのラストソング「運命のメモ」を歌う壮さんは、もういろんな壮さんを思い出すけど、いちばん最初に見た時に「スタンだ!」って思って、きゅんとしたことを白状します。おもに歌詞の内容からなんだけど、「俺は逃げるぞー」と言って、いつも逃げてたスタンが大好きだったので。
「逃げる」といえば、『タランテラ!』の囚われの男だって思い出すし、『心中・恋の大和路』だってそうだし、フェルゼンだってそうかもしれない。逃げることで生きていく勇気みたいな、したたかさは、『復活』のシェンボックにも感じるし、でも、今まで見たことのないディケンズの小説の中の賢い少年のようにも見える。
* * *
…と、いま思いつくのはこのくらいですが、こうやって書き出してみると面白いもんですね。
私には、こんな壮さんが見えるわけだけど、見た人によって、また違う壮さんが見えたりするのだと思います。
別に、タカラヅカ時代の壮さんがよかった、あのときが最高だったなんて思っているわけではありませんよ。
演出をした福田雄一さんがそこまでを狙っていたわけではないにしても、結果的にエドウィン・ドルードという役は、「あの劇団の壮一帆」を楽しく思い出せるようになっていて、それがとても楽しいのです。
役への入り方が、普通のお芝居と違っているからだろうと思う。メタな部分も出てくるから、壮さんに限らず、「演ずる」というのがどういうことか、皆さんけっこう考えさせられているんじゃないかと思う。まあ、そうでもないか(笑)。
ああ、いつものことだけど、惜しいなあ。公演が始まると終わってしまうのが惜しいし寂しい。いまの壮さんのエドウィンがすごくすてきだから。
そんな昨晩の舞台を見て思ったのです。
作品の中で、一人の役の筋を通そうとするのは、壮さんのとても素敵なところだけど、プレビュー公演のころ、まだピースがはまっていないように感じたのは、壮さんのそういう姿勢が、この作品を演ずるにあたっては、少し邪魔になっていたのかもしれないと。
エドウィン・ドルードという人物の筋は通ってなくていいんだと思う。だって、そもそも、決定稿なんかないんだもの(笑)。
どこまでいっても、千秋楽を迎えたとしても、永遠に決定稿はない。でも、演じるってそういうこと。これからはゴールなんてないのだ。
「運命のメモを見て、生きよう」
(ささっと書くつもりだったのに、長くなった(笑)。次はささっと行こう)
絹子






