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 *so side cafe*

元宝塚歌劇団雪組、壮一帆さんの現役時代の記録。ただいまシーズンオフ。

  「エドウィン」を観たあとって、ホントによく眠れて困.る。

 昨晩も楽しい、いい舞台でした。 二幕の途中からは壮さんが登場しなくなってしまうのですが、壮さんのことも忘れて楽しんでいるくらい(笑)。

 役者の皆さんもそれぞれ捨て身の芸に出ていて本当に楽しいし、壮さんもやっとアップが完了したかな、舞台でイキイキしています。サッカー選手が、どんなにスーパーな選手で、どんなに練習していても、試合に出ないとゲーム勘を失ってしまうように、舞台人も同じなんだろうなと思います。

 壮さんも、コンサートはあったとはいえ、みんなで一つの作品をつくりあげる舞台にはしばらく遠ざかっていたので、舞台勘みたいなものはすぐには戻ってこなくて、もどかしい部分もあったんじゃないかと想像します。

 でも、もうすっかりそこにいるのはエドウィンで、エドウィンを演じる壮一帆です。

 ちょっと時間はかかっちゃったかもしれないけど、男役とか女優とか、そういういれもののことを抜きに、演じる人としての壮さんがそこに「いる」のをはっきりと感じます。ハレルヤ!

       *       *       *

 場面によって、いっしょにいる相手によって、エドウィンのいろんな顔が見えるようになってきました。

 ジョンといっしょのときは、少年みたいなエドウィン。
 ローザといるときは、やさしくて甘くて、少女漫画に出てくるプラトニックな関係の恋人同士のような、兄と妹のよう。
 ネヴィルといるときは、やんちゃ。英国青年らしい高慢さや皮肉がのぞき見える。
 ロワイヤル劇場の女優・壮一帆さんは、コメディを全力でやってしまう、あの劇団の愛らしいクセ(笑)がまだ抜けてない気がしますが、かわいいからもういいです。
 そして、最後に登場するエドウィンは、少年探偵のイメージ。

 そういう楽しみがありつつ、もう一つ、ファンの領域のものですが、場面場面に見えてくる、あの日あのときの壮さんを探すというお楽しみがあります。

 これから先、どんな舞台を観たときにも、そういう既視感はやってくると思うのですが、ここまで「あの劇団の」壮さんの舞台を思い出させてくれる作品はそうそうないのでは?

 ということで、書いてみます。

 「ここにもそこにも あの劇団の壮一帆」

【Act 1】

・エドウィンの衣装を見ると思い出す。わたしは映像でしか知らないけど、『送られなかった手紙』のドミトリー。そういえば、ドミトリーにもおじさんがいて(ヒロさん)、二人の複雑な感情を描いた作品でした。

そのドミトリー君は、謎の言葉を残して死んでいったのでした。その言葉とは、「ばらのつぼみ(ROSE BUD)」。

・あの劇団らしく踊りながら不自然なセリフを言うところのシャンシャンを手にしたおじぎは、やっぱり「ベルばら」のイメージか。・ローザは「クライスタラムのばら」。ピンクの薔薇かな。

・ジョン・ジャスパーさんとの二人だけの絆を信じるエドウィンを見ていると、トマスを追いかけていた『愛と死のアラビア』のトゥスンを思い出します。エジプトで一旗上げる計画立てたりしているところも、ものすごーくトゥスンっぽいです。

・そういえば、『さすらいの果てに』のジェフリーもエジプトに行きましたよね。

・ワインの場面。エドウィンがワインラスを持っていると、ばっと投げ捨ててアンドレになるんじゃないかと思ってしまう。

・というか、今さんと壮さん、オスカルの居間で会話をするアンドレとオスカルみたいじゃない?

「オスカル、飲むなっ!」バシッ
「そのワインには、毒が入っていたんだ」
「アンドレ…」

というくだりをやってほしくなる。今さんアンドレ、壮さんオスカルで。

・だから、あのね、二人の絆のくだりは、もっと意味深にしてもいいと思うの(笑)。

 「なんでもいいよ、ジョン」 
 「なんでもいいのかい? エドウィン」

これも劇中に散りばめられた意味深なセリフの一つでは? 
「誰もが犯人になりうる」ことを匂わせているのだと思うし、ジョンとエドウィンの秘密の会話のようにも聞こえます。マルトワインだもの。あまーい雰囲気でやってほしい ^ ^

ま、この二人の意味深なセリフは、ことごとく流されているわけだけど(笑)。「話がややこしくなるから、BLもどきはいらん」って感じなんだろうか。

・とはいえ、ジャスパーさんとエドウィンとローザって、ちょっとキャリエールとエリックとクリスティーヌみたい…。

・エドウィンの、周りが見えてない困ったおぼっちゃまぶりは、トゥスンだけど、ちょっとオスカル嬢に通ずるところがあります(笑)。

・かつて、オスカルのことを「わがままなお嬢さま」と表現した壮さん。その壮さんのオスカルが見られるとは!

・一幕ラストの「競馬に行こう」のナンバー。最後の指差しのあと、すかさず「バチッ、バチッ、バチッ」と続けたくなる。

「♪バチッ、バチッ、バチッ ショートする熱視線に
  ガチッ、ガチッ、ガチッ  離さないもう二度と 
  エキサイター、エキサイター…」

・だから、お願い。指差し首振りウインクを……(笑)

【Act 2】

・壮さんのもう一つの役、探偵ダッチェリーさんは、最初はそのたたずまいから、『太王四神記』花組版プロローグの長老プルキルを思い出したりしていたのですが、回を重ねるごとに、2000歳からどんどん若返ってきました。でも、ここは見るたびに年齢が違う(笑)。わたしはガチに探偵っぽいのが好きです。

そういえば、壮さんって探偵役は演ったことがなかったような…。警部(『黒蜥蜴』の波越くん)と警部補(『相棒』の神戸くん)は経験あるのにね。

・知寿さんとのかけあいのナンバー「ケリをつけよう」が大好き。ぶっかぶかのコートで体泳がせて踊る壮さんは、何に似ているというわけではないけど、なつかしいです。長いコートやお衣装の裾さばきがダイナミックでカッコよかったなあって…。『My Dream TAKARAZUKA』プロローグの白のロングコートも思い出す。

・エドウィンのラストソング「運命のメモ」を歌う壮さんは、もういろんな壮さんを思い出すけど、いちばん最初に見た時に「スタンだ!」って思って、きゅんとしたことを白状します。おもに歌詞の内容からなんだけど、「俺は逃げるぞー」と言って、いつも逃げてたスタンが大好きだったので。

「逃げる」といえば、『タランテラ!』の囚われの男だって思い出すし、『心中・恋の大和路』だってそうだし、フェルゼンだってそうかもしれない。逃げることで生きていく勇気みたいな、したたかさは、『復活』のシェンボックにも感じるし、でも、今まで見たことのないディケンズの小説の中の賢い少年のようにも見える。

       *       *       *

…と、いま思いつくのはこのくらいですが、こうやって書き出してみると面白いもんですね。

 私には、こんな壮さんが見えるわけだけど、見た人によって、また違う壮さんが見えたりするのだと思います。

 別に、タカラヅカ時代の壮さんがよかった、あのときが最高だったなんて思っているわけではありませんよ。

 演出をした福田雄一さんがそこまでを狙っていたわけではないにしても、結果的にエドウィン・ドルードという役は、「あの劇団の壮一帆」を楽しく思い出せるようになっていて、それがとても楽しいのです。

 役への入り方が、普通のお芝居と違っているからだろうと思う。メタな部分も出てくるから、壮さんに限らず、「演ずる」というのがどういうことか、皆さんけっこう考えさせられているんじゃないかと思う。まあ、そうでもないか(笑)。

 ああ、いつものことだけど、惜しいなあ。公演が始まると終わってしまうのが惜しいし寂しい。いまの壮さんのエドウィンがすごくすてきだから。

 そんな昨晩の舞台を見て思ったのです。

 作品の中で、一人の役の筋を通そうとするのは、壮さんのとても素敵なところだけど、プレビュー公演のころ、まだピースがはまっていないように感じたのは、壮さんのそういう姿勢が、この作品を演ずるにあたっては、少し邪魔になっていたのかもしれないと。

 エドウィン・ドルードという人物の筋は通ってなくていいんだと思う。だって、そもそも、決定稿なんかないんだもの(笑)。

 どこまでいっても、千秋楽を迎えたとしても、永遠に決定稿はない。でも、演じるってそういうこと。これからはゴールなんてないのだ。
 「運命のメモを見て、生きよう」

(ささっと書くつもりだったのに、長くなった(笑)。次はささっと行こう)
 ひいきの長期公演中って楽しい。

 ひさしぶりにこの感覚を味わっています。
 おまけに場所は慣れ親しんだ日比谷のエリア。お隣の劇場では、雪組大絶賛公演中。

 この時期の日比谷というと、思い出すのは2011年。3月11日の震災後の暗い暗い日比谷で、『愛のプレリュード』と『ル パラディ』を花組が上演していた日々です。

 震災から5年がたったということで、今年は改めて、あの日々を振り返ったりしていたのですが、そんなときに、熊本に大きな地震が起こってしまいました。

 iPhone の「フリカエール」というアプリで、過去の今日のTweetや撮った写真が見られるようになっていて、これが感慨深く、ときどき見返したりしています。

 小さな地震も多く、舞台が中断してしまうこともありました。そうそう、セリ上のジョセフの部屋にマウロが訪ねてきたあたりで地震が来て、ドキドキしたこともあったっけ ……などと、いろいろ思い出したりしています。 

 舞台がはねた後には、花組みんなで相談し、自発的に行われたという義援金をつのるロビー活動が行われました(劇団は黙認。だから機関誌やスカイステージでも一切取り上げられませんでした)。

 あのときは、誰もが必死で、あまり喜んだりするような雰囲気ではなかったけれど、終演後に黒燕尾とイブニングドレスでタカラジェンヌがロビーに出てきて見送ってくれるなんて、なんとすごいことだったんだと、思い出して、今頃ぽーっとなったりしています(笑)。

 ファンがお見送りすることはあっても、見送ってもらえるなんて、そうそうないことですもん。 

 募金箱を持ったジェンヌさんたちのまわりはすごい人だかり。壮さんの持った募金箱がお札であふれちゃって、どうしたら…? となっている壮さんが思い出されます。

 壮さんはいつも、とても腰が低く、心配と感謝が入り混じった、なんともせつない表情をしていて、胸がきゅんとなりました。あんな壮さんは後にも先にも観たことがなかった。 

 毎日ロビーに立った“ゆうさん”こと真飛聖さんは、いつも笑顔で、すごいなあ、本物の支配人だわと思っていました。『ファントム』の支配人キャリエールに思いを馳せながら。


観劇してきました。 ゆうさんはもう、今公演中は、トップスター兼実質支配人ですね。お客さまににこやかに笑顔をふりまいていて、あんな姿を見たら、やっぱり超悪な支配人はやだなあと思い直しました(笑)。最高の支配人になってほしい。「ファントム」のチラシはなかったです。

    18:16 - 2011年4月1日


 5年後のいま、ユーイチロー支配人が笑顔で切り盛りするお隣の劇場に、壮さんも立っているなんてねえ、想像もしなかった(笑)。生きていると面白いことがあるものです。

 『エドウィン・ドルード』は楽しいミュージカルですが、なんといっても原作はチャールズ・ディケンズですから、社会的な問題やかっちりとしたテーマも隠されていて、見ようとしない人には何も見えないけれど、見ようとするといろんな部分が見え隠れするという作品です。

 演出・脚色の福田雄一さんはさぞかし大変だろうと思うのですが、結末どころか、シナリオの細部が日々変わっていくという、愉快でスリリングな舞台になっています。今頃、福田さんは、今日から始まる3週目に向けて、新たなシナリオを書き足したりしているのでしょうか(笑)。

 綱渡りで歩いていくような、先の見えない世界に生きているから、こうして思いきり笑えるということはなんて素晴らしいんだと心から思います。

 日曜のカーテンコールで、コング桑田さんが、みんなでつないだ手を上げながら「うおー、うおー」と雄叫びを上げていて、めちゃくちゃおかしかったのですが、あれだって、もしかしたら、地震でたいへんな思いをしている人たちへの遠回しなエールであるのかもしれません。

 コングさんだけではなく、ロワイヤル音楽堂の面々は、「がんばってください」なんて直截な言葉は言わないけど、「この劇場の中にいるときだけは、笑ったり泣いたり、劇場の中で起こることで楽しんでもらおう」という、役者だましいみたいなものを、客席で受けとめてしまいました。

 五年前もそうだった。『愛のプレリュード』は悲劇的なお話で、『エドウィン・ドルード』は喜劇的な作品だけど、それは変わらない。いつだってわたしたちはこうやって、ひいきの役者さんに、舞台に元気にしてもらっているんですね。

 奇しくも、壮一帆さん演じる『愛のプレリュード』のジョセフも、『エドウィン・ドルード』のエドウィンも一度は死んでしまうわけだけれど、どちらの舞台でも、もう一つのエンディングが用意されていて、そのことにも胸を熱くしたりしています。

(さらに『ル パラディ』にも、華麗に性転換しちゃう場面が)

 まあ、それは過剰な解釈としても(笑)、この『エドウィン・ドルード』には、いい言葉がいっぱい散りばめられているんです。笑えるだけじゃないんです!

 ネタバレになっちゃうから詳しいところは書けないけれど、エドウィンのナンバーの「運命のメモを見て 生きろ」って、すごいメッセージだと思う。

 自分で選ぶのではなく、書かれたメモのとおりに生きてみる。運命にまかせてみること。それは何か、はっとするような教えだったりもします。

、そして、書かれたメモ=台本どおりに生きてみるというのは、役者という仕事のことでもある。

「役者たちよ、帆を上げ、前へ進め。時には隠れたり逃げたりしてもいいから、とにかく前へ」

 そんな役者讃歌が、「運命のメモ」の、この作品のテーマであるのかもしれません。

 チャールズ・ディケンズはそんなこと考えてなんかいなかったかもしれないけど、それはそれ(笑)。

 今年3月に観た、デヴィッド・ルヴォー演出の『ETERNAL CHIKAMATSU』も、ある意味で役者讃歌の舞台だったかもしれません。

 未来の日本から物語に滑り込んできた、深津絵里のハルが、中村七之助の小春に言うのです。

「あんたはこれまで、もう1万7千回も死んできたんだ。今夜くらい、生きてたっていいじゃないか」と。

 それは、『愛のプレリュード』を観ているときに、壮さんのジョセフに、いつも言いたかったセリフでした。

 でも、次の日に、また舞台が開けば、劇場に行きさえすれば、また会うことができた。それが素晴らしいのだと、心から思いました。5年前、日比谷のあの日々に。

 役者ってなんて面白く、業の深い仕事なんでしょう。

 それを見届けることができてよかった。劇場があって、この人たちがいてくれて本当によかった。

 震災を受けた東北や九州が、一日も早く日常を取り戻せるようにと願っています。

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 シアタークリエにも、熊本の義援金箱が設置されていたと聞きました。
 お茶代くらい入れて来ようかと思っていたのに、場所がわからなくて、忘れて帰って来てしまった。次は必ず…。

 ♪ウウウ~ 箱の中へ~

 美人アンサンブルさんたちの、投票を募る替え歌パート1、最高でした ^ ^ 

(義援金の箱を持っていた壮さんを思い出しながら…)
 『エドウィン・ドルードの謎』、本日は休演日。

 壮さん、そしてカンパニーの皆さん(もう、すっかり取り込まれている(笑))、ちゃんといいお休みを取れているでしょうか。

 壮さんのエドウィンが、どんどん素敵になっていく。

 プレビュー公演を観たときは、心配してしまうくらい線が細く感じたの。でも、あれはなんだったのだというくらい、今ではすっかり美しき英国男子エドウィン・ドルードに夢中です。

(わたしの心の準備がまだ「オッケー(支配人風)」な状態になっていなかったのだろうかしらね)

 シアター・クリエという劇場の親密感も手伝って、舞台に立つごとに、女優のほうに振れて行く気がして、ドキドキします。

 考えてみたら壮さんって、現役時代にこういう美少年っぽい役ってあまり巡り合わなかったんですよね。『エリザベート』のルドルフや『ロミオとジュリエット』のロミオみたいな役。まあ、オスカルもかな。

 不思議なめぐり合わせです。きっと似合ったと思うし、私が演出家だったら絶対にキャスティングしたんだけどな(笑)。タカラヅカで『エリザベート』が上演されるたびに胸がちくっと痛むくらい、観てみたかった。そういうところ、男性の演出家には見抜けないところかもしれない。残念。

 唯一そんな雰囲気をとどめていたのが、『送られなかった手紙』のドミトリーや、『ルードウィヒ』新人公演のディルクハイム伯爵でしょうか。

 でも、いま、こうしてエドウィン・ドルードを観られるのだから、それはちょっと意外な贈り物をもらった気分です。

 舞台では、「あの劇団のクセが抜けていない」と突っ込まれてはいますが、もしもこれがタカラヅカ時代だったら、もっと低い声を響かせて、力強く歩いていたと思う(笑)。

 いまは、タカラヅカを退団した女優・壮一帆の足どりで歩いてる。壮さんがインタビューで語っていたとおり、男役が演じる男性ではなくて、女優が演じる男性になっていると思う。いや、まだ「元男役の女優が演じる男性」かな(笑)。

 日に日に、甘くてやわらかでやさしいエドウィンになっていっていると思う。

 エドウィン・ドルードには、書かれていない顔があると思うんです。ジャスパーとの関係は、どう考えてもフツーの伯父と甥の関係を超えたものだし、エドウィンとローザが私たちは兄妹になりましょうなんて言っちゃうのもめちゃくちゃ怪しい。いや、書かれていないだけで、そういうものを含んでいるお話でしょ(断言)。

 歌詞にその不可解なことがたくさん書かれています。一幕ではエドウィンとローザが、二幕ではその日の恋人たちが歌うやさしい曲「もしもあなたと」だって、原題は「Perfect Strangers」。人は誰もが孤独な旅人。そんなことがこの作品のテーマの一つなんじゃないのでしょうか。

 だけど。

 エドウィンが歌う「運命のメモ」には、その先のこと、もっと大切なことが書かれています(ちょっとネタバレ)。

 そんな大切なメッセージを歌い上げてくれる壮さんは、エドウィン・ドルードだけじゃなく、もっと小さな少年、ディケンズが生み落としたデイヴィッド・コパフィールドにも、オリヴァー・ツイストにも見える。

 そうだ。わたし、壮さんに『大いなる遺産』も演じてほしかったんだった。

 見るたびにいろんなところで、いろんな気持ちが湧いてくる。なんて素敵な作品なんだろう。

 『エドウィン・ドルードの謎』。
 またヘンな夢を見た。今朝は、カルト教団のアジトに潜入するというなかなかハードな夢。雨降って、外が暗かったからかしら。

  違う。きっと、エドウィンのことを考えていたからだ。

 ブログでは、「プレビューの壮さん、40点」なんて書いてしまったけど、じゃあ、どうすれば点数を上げられるのかということは、わたしにも見当がついていない。
 一介の客なんだから、別にそんなこと気にする必要もないのだけど、ヘンな話、ずっと、舞台の上で変わっていく壮さんを見てきたから、こうやって一緒に考えている気分になるのが習性のようになっていて、ずっとアタマのなかにあるのですね、エドウィンってどう演じたらいいんだろうというモヤモヤが(笑)。

 難しい役なんだと思う。

 エドウィン・ドルードは純朴な英国の美青年である。ぱっと見、色濃いほかの登場人物のようには何もストーリーを持っていないように見える。

 でも、エドウィンにだって隠された過去や、秘密があるはずで、もしかしたら、『ジキル&ハイド』のように、ガラッと変わってしまう展開になった可能性もないわけではない。何しろ結末は、作者の手によって書かれなかったのだから。
 多少は妖しさとか怪しさが匂ってきちゃってもいいんじゃないかなあと考えたり、いや、でも、外の世界の人たちにはあまりない壮さんのピュアでさわやかな感じこそが求められているのかもと思ったり、結局なんだかわからなくなってしまう。

 この間、スカイステージで彩風咲奈ちゃんの「スター・ロングインタビュー」を見たときのこと。咲奈ちゃんが、壮さんとおぼしき上級生から言われたことについて語っていた。いままでの自分は舞台に立っていても遠慮がちだった。でも、それは間違っていた。自分が輝くことが、ちぎさんを支えることになるんだとわかった…という意味合いのことを話していた。

 こうやって、経験から何かに気づけるってことは素晴らしいし、壮さんのことばもちゃんと伝わっているんだなと、ちょっとうれしくなった。

 そして、プレビュー公演で見た壮さんが、まさに遠慮がちな下級生みたいに思えて、もう無性にかわいくなってくる(笑)。

 それで思ったのです。外の舞台とタカラヅカの舞台とで、違うことはたくさんあるだろうけれど、上級生がいないというのはものすごく大きなことなんじゃないだろうかと。

 これからはもう、親身になってダメ出ししてくれる上級生はいない。演出家だってそうかもしれない。

 あらかじめできる人が集められるからだ。コイツを成長させてやろうなんて思ってもらえるような舞台はたぶん、そうそうない。自分で気づいて、自分で加えたり、削ったりしながら、自ら作り上げていかなくちゃいけないのだ。

 世の中には、いつ見ても均一な舞台を見せたほうがいいという考え方もあるようだけれど、わたしはそうは思わない。

 舞台は生身の役者が演じるんだもの、変わっていって当然。最初と最後でうーんと違うものを見せる役者がいたとしたら(舞台に乗っちゃいけないレベルというのは論外だけど)、わたしはそれを面白いと思う。もし自分が面白いほうに出合えなかったのなら、それは選ぶ目を持っていなかったのだ。

 自分の知らないところで面白い舞台があったとしたら、めちゃくちゃに観たかったと思うだろう。そして、次には逃さず観たいと思うだろう。そういう誤差が、また次の観劇へと人を駆りたてるのだ。

 幸い、『エドウィン・ドルードの謎』というのは、いろんなことを試せる舞台。さらに、人の二面性、社会の二重構造をテーマにした作品でもある。だから極端な話、エドウィン・ドルードのキャラが日によって全然違っていたとしても、それはそれでアリなんじゃないかと(笑)。

 プレビュー公演で壮さんが演じてみせてくれたエドウィンは、美しくスマートで、人のことを疑わないピュアなハートを持った英国紳士で、壮さんらしくって大好きです。

 でも、同時に、こういう二枚目さんってタカラヅカの舞台の中でしか棲息できないんだとも思った。

 タカラヅカの常識と外の舞台の常識ではいろいろ違う。純朴な美青年といってもいろいろで、例えば『送られなかった手紙』のドミトリーは、外の世界では生きていけない人。『復活』のシェンボックくらいでやっと、なんとか生きていけるくらいなんじゃないのかしら。

 もちろんそれは、わたしのものさしで測った感想にすきません。でも、これからは、いろんなものさしを持った人が観るだろうし、壮さん自身も、舞台に立つことで自分のものさしを作っていかなくちゃいけないと思うので、まあ、ひねくれているけど声援のつもり ^ ^ 

 そんなわけで、壮一帆さんが、エドウィン・ドルードという役にどう色や匂いや味わいをつけていくのかを楽しみにしています。

 プレビューは終わり、今日は初日。いよいよ始まり。『エドウィン・ドルードの謎』東京初日おめでとうございます!

 クリエで3週間と1日、大阪、名古屋、福岡と、2か月近くの間、この『エドウィン・ドルードの謎』の行く手を追っていけるのを楽しみにしています。

『エドウィン・ドルードの謎』

(タイトルの「花束を君に」は、今日からお披露目される宇多田ヒカルの再始動の曲名から。『とと姉ちゃん』も今日からだそうです。曲、聴いてないんだけど(笑))

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 北千住のシアター1010で、『エドウィン・ドルードの謎』プレビュー公演を観ました。

 面白いです、これ。クセになるかも(笑)。


 いろいろと変わり種な作品ではあるのです。トリックがたくさんあるのだけれど、とにもかくにも、大きな話題は次の3つ。


 1.288通りあるという、観客の投票によるマルチエンディング

 2. 福田雄一さんによる「笑うミュージカル」である

 3.「あの劇団」を退団した壮一帆さんの卒業後初のミュージカル作品


 3. は「わたしの場合」ですけど(笑)。


 何しろこの作品、「あらかじめ決まった主役がいない」。

 もちろん、この劇場の支配人である山口祐一郎さんと、タイトル・ロールであるエドウィン・ドルード役の壮一帆さんは特別な存在として登場します。

 でも、「観客がいくつかの場面での主役を選べる」という最高のゲームが用意されている以上、その日の主役は誰になるかわからないところが最大の見どころではあると思うのです。


 だから3.は、見た人によっていくつものパターンが考えられます。たとえば、こんな感じに…。


 3. 山口祐一郎がかわいく笑わせながら舞台を回す

 3. 平野綾ちゃんが愛らしく、同時に芸達者

 3. 今 拓哉さん、保坂知寿さん、コング桑田さん、瀬戸カトリーヌさんというミュージカルの怪人たちの磨き抜かれた芸

 3. 男女4名ずつのアンサンブルチームも、アンサンブルの枠を超えて大活躍


 アンサンブルの人たちにも主役になれる可能性があるんですよ! これ、すごくないですか? 考えるほどに愉快なシステムだと思う。


 絶対あり得ないけど、「あの劇団」で上演することを想像したらめちゃくちゃ楽しいことに…。


 ありえへんて!(笑)


 『エドウィン・ドルードの謎』は、展開とエンディングがマルチなだけじゃなくて、いろんな楽しみが仕込まれています。


 シナリオだって面白い。


 福田さんが笑いのタネをきっちり蒔いてくれているし、「笑うミュージカル」というだけではなく、登場人物にはそれぞれ表の顔とウラの顔があって、そこが見どころ。


 殺した理由といっても、もちろん「火サス」ノリなんかじゃない(笑)。エンディング・ストーリーはソング・ナンバーになっているので短いけれど、ちゃーんと練られていて、「そうだったのか!」と、そのオチと犯人役者さんのパフォーマンスに深く納得させられます。


 わたしはまだ平野綾ちゃん犯人バージョンしか見てないんですど、たぶん(二回観たんですけどね。平野綾ちゃん大人気 ^ ^ )。クリエが楽しみです。


 しかも、ミュージカル・ナンバーがめーっちゃいいです!


 難易度の高いスコアで、もちろん演奏も最高。指揮者と6名のオーケストラで演奏しているとは思えない厚みのあるサウンド。愉快なナンバーあり、ドラマチックなナンバーありで、いま笑わせてくれた役者さんたちのミュージカル・スイッチが入ると、一気に雰囲気が変わって、濃いーパフォーマンスで楽しませてくれる。この落差。二重構造(笑)。もしかしたら、ここがいちばん面白いところかもしれない。


 そして、わたしがいいなあと思ったのは、この作品がきっちり「バックステージもの」になっていること。


 主要キャストがいれば舞台ができるわけじゃない。舞台を作るのには多くの人の力が必要だ。音楽を演奏する人たち、脇役やアンサンブルの人たちがどれだけ大きな存在で、また、お客さんの拍手がどれだけ役者たちを乗せてしまうか…。


 そんな当たり前のことを、目の前に差し出してくれる。そんな舞台なのです。


 福田雄一さんの作品を観るのは実は初めてなのですが、溢れんばかりの、舞台と舞台人に対する愛に触れて、福田ワールドがほんの少しわかった気がしました。


 あったかいの。役者一人一人のことを分け隔てなく大切にしているのがわかる。だから、福田さんという人は、人から愛されていんじゃないかと、たかだか二回観ただけですが(笑)、思いました。

 あったかいだけではなく、歌詞とか、もう本当に素晴らしい。

 曲自体が素晴らしいんだけど、訳詞もいいのね。もしかしたら超訳なのではという気がするけど(笑)、そこがいいです。


 いっちばん好きなのは、壮さんが最後に歌うナンバー。壮一帆さん自身のことを歌っているのはもちろん、ほかのキャストのことでもあるし、『エドウィン・ドルードの謎』のテーマでもあるし、世界中のすべての人に対する、冒険しなさい、遊びなさい、笑いなさいというメッセージでもある。涙が出るほど素敵。


 壮さんの退団が発表された時にファンに言い放った「泣くならトイレで」という名言ともリンクしているような気がする。


 楽しいね。


 約束されたものなんか何もなく、これから自分で築いてゆくのだ。どんな運命、どんな未来が待っているのか。わからないから楽しいのだ。


 いかん。

 そんなつもりはなかったのに、ちょっといい話になってしまった(笑)。


 さて。では、『エドウィン・ドルードの謎』での壮さんはどうだったのかという話ですが、まだプレビュー公演が終わったところだし、あからさまなネタバレはしたくないので、それはゆっくりと書いていくとして、とりあえず、プレビューの壮さんに点数をつけておきましょう。


 愛と、これから始まる舞台への期待を込めて、40点。


 厳しい?


 エドウィンって、難しい役です。とりわけ一幕は、もう大変! どうすりゃいいんだ? って感じだと思う(笑)。


 例えば「あの劇団」だったら、ああいう難しい役といっても、スポットライトを当てたり、ちょっと音楽入れたり、周りに人が来ないような位置に置いてくれたりしてくれたし、難しい役としてファンは見てくれたけど、これからはそうはいかない。


 どんな役でも自分でなんとかして、ファンじゃない人にも見てもらわなきゃいけない。試されるのはこれからだと思う。


 そういう意味での40点です。


 相当に取りくみ甲斐があると思います。この作品、この役。エドウィン・ドルードッ!


 シアター・クリエでの『エドウィン・ドルードの謎』は、4月4日(月)から4月25日(月)まで。きっかり3週間。


 きゃああ…。書いてたら、クリエで観るのがめちゃくちゃ楽しみになってきたー。


(こんな書き方はしたけれど、『エドウィン・ドルードの謎』は本当に素敵な作品だし、壮さんもチャーミング! ただ、もっと出来ると思っちゃうの。つまりは、ひいき馬鹿(笑) )

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 いよいよ。いよいよ始まります。『エドウィン・ドルードの謎』。

 明日はシアター1010でのプレビュー公演初日。考えてみたらプレビュー公演なるものを観に行くの、初めてかもしれない。いや、あったかもしれないけど、別会場でのプレビュー公演というのは初めて。

 劇場内の写真を見ると、コクーンとか銀河劇場みたいな雰囲気かなと思うのだけど、どうなんでしょうか。北千住という町にあるのもちょっと面白い。

 そして何より、この舞台は壮一帆さんの本格的女優デビューの作品。コンサートはあったけれど、宝塚退団後の初ミュージカル作品になる。


 壮さんのことが好きになって、これまでたくさんの初日を迎えて来たけど、こんなに予想も付かなく未知なる初日は初めてです(笑)。いちファンであるわたしがそうなのだから、当のご本人の胸のうちは、さぞ…。いや。壮さんのことだから、いろいろありすぎて案外静かな境地かもしれない。


 地球じゃいろいろあるからね。それに、在団中に見ていた地球よりもずっと広いと思う。


 うれしいのは、演出家の福田雄一さんの元に集結したカンパニーがめちゃくちゃ楽しそうで、Twitterやブログに皆さんが連日、そのようすをリリースしてくださること。福田さんがオープンな方なのだろうな。


 外の皆さん(笑)と、うちのカズホちゃんはうまくやっていけるかしらと、おばあちゃんのような心持ちでやっぱり心配してしまうのでしたが、現時点で得たそれらの情報によると、どうやらちゃんとなじんでいるっぽく。無事にプレビューの幕が開きそうです。壮さんは今頃ドキドキかもしれないけれど。


 ディケンズの未完の作品『エドウィン・ドルードの謎』という劇を演じるべく、「ロワイヤル音楽堂」に役者たちが集まってくるところから始まるようです。その「座長」が山口祐一郎さん。


 壮さんは、そのタイトルロールを男装して演じる女優の役。結末は観客の投票で決められるので、288通りの可能性があるらしく、どうやって投票をするのか、エドウィンは本当に死んだのか、壮さんは二幕にどんな役で出てくるのか、謎はまだまだいっぱいですが、「面白い」、始まってからでもずっと予測がつかないミュージカルになっていることだけは間違いないようで。


 役者さんたちは濃い方ばかりだし。楽団はいるし。ブロードウェイ版のCDを聴いたけど、楽しい曲ばかりだし。衣装もきれいそうだし。これは、期待してもオッケーな舞台ではないでしょうか ^ ^ 

『エドウィン・ドルードの謎』プレビュー公演

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 ともかくも。壮さん。ミュージカル女優としての初舞台おめでとうございます。サクラの季節、初舞台の季節だというのがちょっとうれしい。

 どんな始まりになりますか。行ってまいります。

初日の朝に

恋の笹舟


 2月9日は「ふくの日」だそうで。すぐに頭をよぎったのが、懐かしいこの歌、「恋の笹舟」(作詞:大関弘政 作曲:中元清純)でした。


 『若き日の唄は忘れじ』で、文四郎とふくが星逢の日に二人で歌う歌。


 歌詞を見ると「思いは沈み 恋は浮く」だけど、音で聞くと「恋はふく」。ヒロインの「ふく」と「浮く」がかけてあるのです。


 懐かしくプログラムを開いて、改めてこの歌詞を見てみると、すばらしいですね。


 一番で若き日の一緒にいた二人のことを歌っていて、二番では離れて思い合っていた頃のことを歌い、三番では、「曲がりかど通り抜ければ 星影のもと」とあるように、これは欅御殿での救出劇のことを歌っている。


 そして最後は「思いは沈んで恋が浮く」、恋が立ち上ると結ぶ(あ、「浮気」もかけてあるのかな)。二人のその後を暗示するような歌詞になっているのですね。


 「恋はふく」で歌が結ばれるのが憎いなあと思います。この「ふく」から、ふくが文四郎に当てた「文」へと続くのかな。


「文四郎さま まいる」


 舞台を観ているときには気づかなかった。見えないところに凝る着物のおしゃれのような、ことばの凝りかた。


 日本の文化って素晴らしいと思った夜でした。


 『シアターガイド』2016年3月号から「わたしの今月」というコーナーに壮さんが登場することになり、毎月の観劇予定なんかのミニ情報を載せてくれるみたいなので、楽しみにしています。


 「壮さんの2月」は、浅草で落語を見てみたいとか。DSのトークで『赤めだか』が面白かったと話していたけど、落語に興味津々のようす(わたしも ^ ^ )。


 本当に日本の文化が好きなんだなあ。全然そんなふうには見えないけども(笑)。

 いつか、『若き日の唄は忘れじ』のふくとか、『小栗判官』の照手とか、『心中・恋の大和路』の梅川なんかを演じたりすることもあるんだろうかと想像してみたけど、うーん、まだそこまではうまく想像できなかった(笑)。

「淡墨桜」という桜があるんですね。

花びらが、蕾のときは薄いピンクで、満開になると白、散り際には淡い墨色になるので、散り際の花びらの色にちなんで「淡墨桜(うすずみざくら)」と呼ばれているそうです。

『一夢庵風流記 前田慶次』の「薄墨の花片」って、この「淡墨桜」のことも指しているのでしょうか…。そこにもちろん、慶次と、壮さんも重ねて?

淡墨桜で有名なのが、岐阜県本巣市にある「根尾谷淡墨桜」。これは「日本三大桜」のひとつに数えられています。岐阜だったら、荒子からも近いから、慶次やまつがいた頃には「淡墨桜」が咲いていたのかもしれませんね。

「根尾谷淡墨ザクラ(ねおだにうすずみざくら)」

ちなみに「根尾谷淡墨桜」は、1948年(昭和23年)に、3年以内に枯死すると判断されたそうですが、岐阜市の医師・前田利行氏が山桜の根を接木し、見事に再生したのだそうです。

なんと、前田姓!

前田家ゆかりの方かどうかはわかりませんが、医師でありながら、今でいう樹木医のようなことで知られていて、『生きよ淡墨桜―前田利行の反骨の生涯』(著:桑原恭子)という本にも書かれているそうです。

その後も何度か枯れかかり、甦って、今も毎年、花を咲かせて楽しませてくれている、とてつもない生命力を持った大樹です。

写真を見ると、冬には雪化粧をして、まるで白い花をつけたような美しい姿を見せています。

樹齢1,500余年ですって。すごいなあ。見に行ってみたい。

この淡墨桜のことは、宇野千代が『薄墨の桜』に、水上勉が『桜守』に書いているのだとか。今度読んでみましょう。

大野拓史先生、この桜のこと、ご存知だったんじゃないかな。

しんみりと、慶次が恋しい…。

折しも米沢では、慶次が晩年を過ごした屋敷、「無苦庵跡」の発掘調査が11月5日まで行われているそうです。

【山形新聞】前田慶次の屋敷、根拠強まる 米沢「無苦庵跡」発掘調査

ちょっとドキドキします…。何か出てきたらいいなあ。

血なまぐさい武将や維新の人たちにはちっとも興味が向かないけれど、前田慶次は特別。壮さんを抜きにしても惚れてしまいそう(笑)な、よい男です。壮さんに出会わなければ、知ることもなかったかもしれないけれど。

この桜のことを知ったのは、たまたま桜のことを調べていて。季節外れもいいところですが、今頃分かるなんて、無知というのも楽しいものですね(笑)。
慶次も季節外れの花の着物を着ていましたね ^ ^ )

仏教思想家の金子大榮(かねこだいえい)が、こんな言葉を残しています。

「花びらは散っても花は散らない。形は滅びても人は死なぬ。永遠は現在の深みにありて未来にかがやき、常住は生死の彼岸にありて生死を照らす光となる」

形としての「花びら」は散ってしまっても、心の中に残った「花」は散らない。変わらずに咲き続ける…というような意味でしょうか。

終わりはないのだと思います。その花のことを忘れない限り。

今月はあわただしくしていて、更新できないまま終わってしまうかと思っていたけど、ギリギリ更新出来てよかった。

来月は仕事もラクになると思うので、アタマの手帳に書いていることを一気に咲かせちゃいたいけど、どうなりますか。

〔参考〕竹内整一『花びらは散る花は散らない~無常の日本思想~』

桜の着物


『SUPER GIFT! ~from Takarazuka stars~』*壮一帆の日
9月12日(土)・13日(日)


 ありがとう、『SUPER GIFT!』
 楽しかったあ。

 そりゃ、壮さんの出番は少なかったし、その点は文句がないわけじゃない。だけど、久しぶりに大きなホールに立つ壮さんの姿を見て、衿を正すような心持ちになりました。

 今年になって、1月には「アデュー東京會舘」(わたしは行けなかったけど(笑))、7月には「麗人コンサート」と、タカラヅカのOGの皆さんが集まる舞台に立つ姿を観るのは初めてじゃないけれど、やっぱり本家の仕込みは違うと思った(笑)。

 何がどうとはうまくいえないけれど、タカラヅカという柵の中の世界から、こちら側に来たんだなあとしみじみしたし、やっぱり緊張しました。

 でも、「スペシャルゲスト」枠のトップバッターだったのはよかったですね。

 メイン出演の皆さんはもちろん、「スペシャルゲスト」の方々もそうそうたる顔ぶれで、舞台のほうも加速度的に盛り上がっていくだろうけど、まだOGに生まれかわりたての壮さんには、最初のステージが合っているなと。

 カーテンコールのあいさつでは、まさにファンモードが炸裂していた壮さん。初日なんか、くの字になるくらいにかがんで、申し訳なさそうにひょこひょこ上級生の前を歩いてきて、客席はそれで爆笑。いや、とてもあたたかい笑いに包まれ、場があたたかくなった感じがします(ファン目線?)(笑)。

 MCを担当してくれていたウタコさんからマイクを向けられ、本当にファン時代のまなざしで(!)、まっすぐにウタコさんのほうを向いて、一生懸命お話していた壮さん。一生懸命になりすぎて、敬語使いが若干乱れてるの(かわいすぎた…)。

 ヤンさんがかまってくれたのが、またありがたかった。

 初日には、完全にウタコさん一人に向かって話していて、客席に対し真横になっている壮さんの体の向きを、がしっと肩を両手でつかんで変えてくださった。

 でも、壮さんには、そんなようすが見えても聞こえてもいないみたいだった(笑)。

 なんといってもすごい上級生たちといっしょの舞台だし、壮さんがファン時代に観ていたスターさんたちばかりなんだものね(そして、それはわたしが観ていた時代でもある ^ ^ )。

 『ミー&マイガール』のビルが大好きだったって。ヤンさんの『スパルタカス』が大好きで5回見たんだよね、史上最高回数なんだよね。「麗人コンサート」では、杜さんの「殿」の話題になるや、ひゃああって後ずさってたよね。みはるちゃんを見たときに、こんなかわいい人がいるのかと驚いたんだよね。

 ウタコさんから、「どうでしたか?」と聞かれて返ってきたのは、こんなことだったと思います。

「舞台袖でかじりついて見てました。観劇バッグ持って。満喫しました」
「一幕は少し、客席の後ろのほうで見てました」
「自分の歌の場面より、今こうやって皆さんといるほうが緊張します」
「皆さん、ファン時代に活躍されていたスターさんたちばかりで、そんな皆さんと一緒の舞台に立ててしあわせでした」

 本当にうれしそうな、いい笑顔だったの。卒業後に初めてご覧になった方はびっくりしたんじゃないかな。

 順序が逆になりましたが、ゲストコーナーは、ちょうど壮さんの1stコンサート『Feel SO Good』でいうところの、「スナックえりこ」のゲスト枠(笑)。

 和服姿のママはいらっしゃいませんでしたけど。
(いま思えば、ヤンさんあたり、出て来てくれてもよかったと思う(笑))

 一人舞台に歩いてきて「I've got you under my skin」を歌い、一人であいさつと曲紹介をして、「愛のかたち」1コーラスと、「愛の面影」1ハーフを歌って、帰っていくという構成です。

 衣装は自前なのでしょうか、壮さんごのみのシンプルなラインのモノトーン。プルオーバーの白ブラウスに黒のタイトなパンツ。すっきりとした胸元(笑)にはゴールドのチェーン。黒のTストラップのパンプスです。

 後ろを向くと、背中の上のほうで合わせてあって、逆燕尾みたいらラインになっていてかわいいの。歌の途中で、ちゃんと背中も見せてくれました ^ ^ 

 髪は、サイドから編みこみながら結い上げた、ちょっとフォーマルな感じ。

 壮さんらしく、とっても似合っていました。考えてみたら、こんな少ない布の衣装で、こんなに大きな舞台で歌うの、初めてで、緊張したりしなかったのかしら。見ている限りは、ほどよい緊張感が感じられて、それが歌にいい感じに作用していたように感じられました。

 歌もとってもよかった。オーケストラの音に乗っかって、なりたてOGらしく、素直に気持ちよさそうに歌っていました。

 コール・ポーターの「I've got you under my skin」が素敵でねえ。ディナーショー『So Wonderful!!』でも歌った曲だけれど、しっかりした編成のオケで聴くと、編曲も違うし、また違った雰囲気で。そうなると、歌い方も全然違う。

 壮さんのクールな歌いっぷりが、「ずっと隠していたのに、もうとても隠していられないよ、どうしよう」っていう大人の恋心を粋に歌ったこの曲にとてもよく合っていると思いました。コール・ポーターはゲイだったことがよく知られていて、そのせいか、彼のラブソングはどれも、歌う人、聞く人の性別を限定しません。だから余計にきゅんとする。そんなところも、元男役の新人女優の壮さんに合っている気がします。

 キメのフレーズに合わせて、長い指をちょいっとやりながら目線を送る、すてきなエリしぐさ(笑)。たまらんです。

 最後のフレーズ、「Under my skin」でちょっと上がるところに、女性らしい、そこはかとないコケットも感じられ…。吉田優子先生、さすが、わかってらっしゃる(笑)。

 今回歌う曲は、壮さんが選んだ当初の曲から途中で変わったということだけど、「So in Love」「Too Darn Hot」と、『キス・ミー・ケイト』の曲が続いた後だから、そこから続いてる感じも出てよかったと思う。優子先生が、この曲をおすすめしてくれたんじゃないかなあと想像しています。

 短いあいさつと、曲を紹介する本人MCの後は、『ベルサイユのばら』からのナンバー、「愛のかたち」と「愛の面影」を続けて。

 ベルばらの衣装は身に付けていないし、芝居として歌うわけではないので、壮さんも、やさしさくていねいに歌っているように感じられました。一つの曲として新鮮に聴けたのがうれしかった。

 「愛のかたち」は、全国ツアー『外伝 ベルサイユのばら アラン編』の主題歌で、壮さんはアンドレとして歌いました。今回、壮さんは東京国際フォーラムだけだけど、梅田芸術劇場の舞台でも歌いましたね。

 全国ツアーの懐かしい思い出がいろいろ蘇る(笑)(ショーは『エンター・ザ・レビュー』でした。あの「猛獣使い」でおなじみの)。

 この曲は、壮さんの声や音域によほど合っているのか、最初から、本当に感情が乗ってうまく歌えていて、いつも壮さんの持ち歌みたいだなあと思っていました。いい曲なんですよね。吉田優子先生作曲です。

 「愛の面影」は、寺田瀧雄先生の曲。これは、なつめさんこと大浦みずきさんが主演した『ベルサイユのばら フェルゼン編』で、なつめさんのフェルゼンのために作られた曲。だから、前の場面の「So in Love」「Too Darn Hot」から続く、これもなつめさんオマージュといえなくもないと、わたしは思っています。

 もっともこの『SPECIAL GIFT!』には、やはり『ベルサイユのばら フェルゼン編』を演じられた湖月わたるさんも出ていらっしゃったので、ちょっとだけ「いいのかな?」と思いつつ、でも、やっぱりわたしにとっては、もうすっかり壮さんの歌です。

 そんなふうにして、「スペシャルゲスト」の場面は終わりました。9月12日(土)と、13日(日)のことでした。

 あの日から何日、あの日から一年…。いちいち振り返っていくのは好きじゃないし、それ以前に、たぶん覚えていられないと思う(笑)。忘れっぽいし、いいかげんだから。けど、壮さんがタカラヅカを退団した日のことは、たぶん絶対に忘れないと思う。

 タカラヅカを退団して一年たったんだねえ。

 一年たって、日比谷で、また別の舞台に立っている壮さんを観られるのがうれしい。心からうれしい。

 壮さんが、このステージを楽しんだということも。

 壮一帆さんのタカラヅカの歴史がぎゅっと詰まったような、「スーパーギフト」だったものね。

 不思議と、壮さんが歌ったりしたことのあるナンバーがたくさんあって、何度、「今すぐ出てきて!」と思ったことか。

 「ミー&マイガール」コーナーで、杜さんとヤンさんが、ジョン卿とジャッキーのフィナーレ、「私の手を握って」を歌ってくれたときは、ヤンさんがそのまんま壮さんのジャッキーに見えました。振りもほぼ同じだったし。

 壮さんのビル、観たかったなあ。『Feel SO Good』でちょっとだけ実現したけど(笑)。

 花組時代の「エンカレッジ・コンサート」でも、壮さんは一人で「ミー&マイガール」を歌ったんだった。黒燕尾で。かわいかったなあ。CDには残っているけど、まだスカステのなかった時代だから、WOWOWの「スターの小部屋」でダイジェストが放送されただけで、あの映像をフルで見たいと、いまもしつこく願っているけど、無理なんでしょうか。

 下級生の頃の壮さん、ビルを演じてみたかったんだろうなあ。ほんとうに本当に大好きだったんだね、ウタコさんのビル。

 わたしもウタコさんのビルは生で見ています。不思議なことに、この『SUPER GIFT』で見たウタコさんのビルは、当時見た印象とまったく変わらなかった。

 そりゃあ、年月がたっているから、声量とか体の動きとかは違うけれど、もっと本質的なところで、そのまんま。当時もあったかくて、粋で、大人のゆとりのあるビルだった。

 今だから、このビルになったんじゃないんですよ。当時から、このビルだったの。だから、すごいの!

 当時のわたしは、ウタコさんのビルのよさを十分味わえるほど成熟していなかったから、今になってやっと、あの頃のウタコさんのすごさを感じていたりします(笑)。

 壮さんはちゃんとわかってたのね。ちっちゃかったはずなのにね ^ ^ 
 こんなふうに語っていったら本当に切りがありません。
 上級生の皆さまは、それぞれ、何かを極めた素晴らしいパフォーマンスを見せてくださり、ヤンさんのことも、杜さんのことも、延々と書ける。なので、これはまた改めて書きたいと思います。

 九月の日比谷で、このステージで、壮さんの「スーパーギフト」をいっしょに振り返ることができてしあわせでした。

 素敵な贈り物を、ありがとう。

(次回があるなら、メインキャストで出る壮さんを観られたらうれしいです ^ ^ )
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 台風みたいに「あー」という間に通りすぎていってしまった。シアターコクーンでの、壮さんのはじめてのコンサート。

 荻田先生の構成がとてもよくて、選曲、バンドのサウンド、コーラス、ダンサー、ゲストの皆さん、父役の村井國男さんなど、皆さんがとても楽しそうにそれぞれの持ち場で頑張ってくださったことがとてもうれしかった。
 
 タカラヅカ出身の女優の初コンサートという、ちょっと特殊な興行ながら、こんなふうに一体感を感じられたのは、やっぱり荻田先生あってのことなのでしょうか。信頼は信頼を生む的な。

 荻田先生をかつぎ出してくれたのは、事務所のスタッフさんたちなのかなあ、壮さんの希望もあったのかしら、ともかく本当にありがとうございました。

 楽しかった五日間が終わってしまったその寂しさに加え、「タカラヅカニュース」で舞台のようすが放送されないことで、タカラヅカを卒業したことの寂しさも感じています(笑)。

 これがタカラヅカ時代だったら、初日の舞台ダイジェストとあいさつ、公演中のレポート、千秋楽の舞台ダイジェストとあいさつというのは、三日と空けずに放送してくれていたし、舞台写真や音源リリースなんかもあって、舞台を思い出しながら、わあわあきゃあきゃあと言い合っては反芻する日々を送っていたのでした。

 今はそれがない。

 なくなってみて初めてわかるのですよね。それがどんなにありがたいことだったか。

 けれど考えてみたら、そもそも舞台なんて消えゆくものなのだ。 タカラヅカ時代は、貪るようにして観ていた。そういう時代だった。それが楽しかった。でも、そんな飽食的な愉しみ方は、人として反省するところも多いし(笑)、これからは、ていねいに観て、楽しんでいこうと思う。

 やけに真面目なことを考えたりしているのには理由がある。

  『Feel SO Good』シアターコクーン千秋楽の壮さんが、初舞台生のように初々しく、純に感じられて、ガツンとした衝撃があったのです。

 Twitterには書いたけど、コンサートの終わりだったかカーテンコールだったか、あいさつの中で壮さんはこんなふうに語っていました(記憶から書いているので、実際は違っていると思う)。

 演出の荻田先生、音楽監督、バンドの皆さん、シンガー、ダンサー、村井國男さん、ゲストの方、スタッフに囲まれて、こんなにも素晴らしい人たちに囲まれてコンサートができてしあわせだったと。まだまだできないことだらけで、これからもっと勉強していかなくてはいけないと思っていますが、少しでも、皆さんに楽しんでいけるようにがんばっていきますので、これからも壮一帆をよろしくお願いします。

 …とまっすぐな瞳で訴え、両手をそろえて、客席に向かってしばらくの間、深く深く頭を下げていたと思う。

 軽い感じの「これからもよろしく」ではなく、真摯な切実な、胸が苦しくなるような「これからもよろしくお願いします」だった。

(書きながら、『黒蜥蜴』の波越警部役で披露した、切実なプロポーズの歌を思い出しました。
 「どうか、僕とどうか、僕と結婚してください」
 木村信司先生、あの壮一帆さんは素晴らしかったです!)

 コンサートで壮さんは、白無垢姿も披露してくれているけれど、嫁ぐ日の花嫁が両親に向かってこれまでの礼を言う、あのあいさつみたいな雰囲気もあって、もう泣きたいような気持ちになりました(笑)。

 そのほんの少し前まで、ゲストの吉野圭吾さんに「胡散臭いですね」なんて軽口叩いたり、そのくせ、正面から向かって来られて逃げ惑ったりしていたのに(印象です(笑))、ひらりと変わって、こんな謙虚なモードになってしまう。

 わたしはこの人のこういうところにたまらなく弱い。

 うう…。殺られた(笑)。

 《暗転》

     *     *     *

 初日を観てから、ここに、「男役だとかどうだとか関係ない、ただの衣装だった」みたいなことを書いた記憶があるのですが、少し訂正します。

 壮さんは壮さんで、タカラヅカを卒業しても、何も変わっていなかったという気持ちに変わりはないし、それはまあ、その通りなんですが、やっぱり衣装の力は絶大です(笑)。

 「衣装」によって、役者とはこんなにも変わるのだということを知らしめてくれたコンサートでもあったのです。『Feel SO Good』は。

 このことはまた改めて書きたいと思いますが、最後に今日ぐっときたことばを引用させていただこうと思います。鷲田清一さんが朝日新聞「折々のことば」で取り上げていたことばです。

《「哲学とは、みずからの始点が更新されてゆく経験のことである」 
                              モーリス・メルロ=ポンティ

 世界について考えるとき、これ以上さかのぼれない出発点だと見なしてきたものが、じつは先行する別の働きによって実現されたものであることに気づくこと。始点だと思っていた場所が、別のある隠れたいとなみの終点であったと知ること。同じことは、ひとがみずからの人生をふり返るときにも言える。20世紀フランスの哲学者による「知覚の現象学」序文から。(鷲田清一)》

(折々のことば)131 哲学とは、みずからの始点が…:朝日新聞デジタル 

 『Feel SO Good』のステージには、大きな船へ続くタラップのような階段がしつらえてあって。
男役時代を表現したようなデザインのパンツドレスを着た壮さんが、その大きな船から出てきて歌を歌うところからコンサートは始まりました。

 いろんな衣装を着て、過去や未来、あったかもしれないパラレルな世界など、さまざまな壮さんが舞台上に現れ、最後は白いシャツにデニムという、素顔の壮一帆になって現れ、身軽になった壮さんは、また階段を昇って、また大きな船に乗っていきました。

 女優としての新しい壮さんが始まるんだな、女優・壮一帆の初舞台なんだと、感慨深く見ていました。

 でも、もっと自由に捉えなくちゃなあと、このことばを見てはっとしたのです。

 「始点は常に更新されていく」

 世界のなかで始点を定めて、そこからまっすぐに進んでいく。タカラヅカのような世界では、それは有効だったし必要なことだったと思う。だけど、これからはそういう考えじゃダメなんだろうなあ。

 タカラヅカという大きな船から降りてきて、今度は女優? 俳優? という、また別の大きな船に乗る。漠然とそんなイメージを描いていたけれど、これからはそんな単純な図式じゃあない。

 いまはこの船に乗るけれど、行く先々で船を乗り換えていく。大きな豪華客船のこともあれば、昔ながらの帆船のことも、小さなボートのことだってあるかもしれない。泳いで海を渡ったりすることだってあるかもしれない。外の世界に出るってそういうことなのだ。

 コンサートの最後、白いシャツにデニム、スニーカーという軽やかな服装で、タラップを昇っていった壮さんの姿が目に浮かびます。階段を昇りきったところで、向こう側を見渡していました。

 壮さんは何を見ていたのだろう。

 一面の海と空かなあ。

 行き着くところなんて、たぶん壮さんにもわかっていないと思う(笑)。

 この世界はとても広くて大きい。これから、どんな壮一帆さんに、どこで出会えるのかはまーったく予測もつかないけれど、見ているわたしが「壮一帆ってこういう人」「壮さんの舞台ってこう」と決めてしまわないようにしよう。そんなことを思った夏のある日でした。

 ボン・ボヤージュ! よい旅を

 こんな夏の日に出発できてよかった。
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