*so side cafe*

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元宝塚歌劇団雪組、壮一帆さんの現役時代の記録。ただいまシーズンオフ。

全方位・壮一帆の、えりたんブログです。ご注意の上、お読みください。
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 山の日に、雪組中日劇場版『若き日の唄は忘れじ』(壮一帆主演)を観ました。

 

 タカラヅカファンの方にはおなじみですが、藤沢周平さんの「蟬しぐれ」(文春文庫刊)の宝塚歌劇版で、初演は1994年、星組で紫苑ゆう、白城あやかのトップコンビが文四郎とふくを演じ、2013年には中日劇場で壮一帆、愛加あゆが演じました。二人のトップお披露目公演でした(その後、全国ツアーでも続演)。


 なぜ今『若き日の唄は忘れじ』なのかというと、壮さんがファンクラブの会員に宛てて、ときどき気が向くと(笑)手書きのメッセージをアップしてくれるのですが、ちょうど、最新版の書き出しが、宝塚と東京ではセミの鳴き声が違うことに気づいたという話になっていて、ちょっとセミの鳴き声について調べているうちに、『若き日の唄は忘れじ』のセミはミンミンゼミだったなと思い、ちょうど季節もぴったりだし、よし、見てみようとなったわけです。

 

 ディナー&トークショーでも、山形を旅したという話を聞いたばかり。山形の食べ物と風景が好きで、『若き日の唄は忘れじ』を見てから、いっそうその思いは募っていたのですが、壮さんに先越されちゃった(笑)。今年の夏はもう無理かもしれないけれど、山形を旅してみたいなあ。来年こそ。

 

 ところで『若き日の唄は忘れじ』です。

 

 これが、今見ると、とりわけ今の季節に見ると、とってもいいのです。夏のまっさかり、お盆の時期というのもあるし、「蟬しぐれ」が、若き日の恋を思い出すという物語なので、タカラヅカ時代の壮さんの思い出とリンクするし、お盆だし、いっそう胸に来る。

 

 それに、『一夢庵風流記 前田慶次』もそうだったけど、改めて見ると、背景やふくの着物の柄、年中行事、鳥や虫、雨の音など、本当に繊細に季節を拾っていることにも気づきます。

 

 そしてもちろん、壮さんの文四郎さんがすてき。近頃タカラヅカでは、何かと日本物が多く上演されているけれど(日本物だと、どこかから補助金でも出るんだろうか(笑))、こういう湿度のある、情感豊かな純日本物というと、やっぱり雪組の独壇場で、『若き日の唄は忘れじ』『心中・恋の大和路』『一夢庵風流記 前田慶次』『星逢一夜』と続く四作品はやはり素晴らしかったと、ちょっと得意になったりして…。素晴らしいのは雪組で、ファンのわたしが得意になる理由はまったくないんですけどね ^ ^ 

 

 話がそれた。セミの話でした。

 

 『若き日の唄は忘れじ』で最初にセミの声が聞こえるのは、七夕が過ぎて、文四郎の父が捕らえられ、その沙汰を聞きに龍興寺に行ったとき。

 

 ミーンミンミンミンミン…

 ミーンミンミンミンミン…

 

 これはミンミンゼミです。父を心配する文四郎のドキドキ感をドラマチックに煽るように鳴いていました。

 

 次が、父と対面し、何も言えなかったと、ちぎちゃん演ずる逸平に告げるせつない場面にもセミが鳴いていました。

 

 カナカナカナカナカナ…

 

  ヒグラシの鳴き声です。

 

 折しもきょうは8月13日。七十二候の「寒蟬鳴(ひぐらしなく)」にあたります(8月12日から16日まで)。ヒグラシという名前は、日暮れに鳴くことからつけられたもので、鳴くのは早朝と夕暮れ。日中は鳴かないそうです。

 

 逸平さんと話したのも夕暮れ。文四郎のことを気づかって、でも、お勤めを終えて訪ねてくれたんだろうか、なんて考えたり。夏の終わりを感じさせるようなせつない鳴き声がしっくりくる。いい場面です。

 

 昼過ぎの文四郎がたった一人、父の亡骸を運ぶ場面に鳴いていたのは…。

 

 ジージージージージージー

 

 アブラゼミでしょうか。都心部ではクマゼミが優勢で、めっきり減ってしまったというけれど、文四郎さんたちのいた時代の山形だもの。

 

 正午過ぎの焼け付くような日差しの中、あざけりの声が響き、早く運ばなくてはという文四郎の苛立ちを表現したような、ジリジリするようなうっぷんを感じさせた鳴き声でした。

 

 そして、二十年後の夏。今は助左衛門を名乗る文四郎が、出家をするふくの逗留する湯宿を訪ねるラストシーン。二人の感情が静かに高まっていく場面で聞こえてきたのは、

 

 カナカナカナカナカナ…

 

 再びヒグラシの鳴き声でした。これがせつなかった。絶妙のタイミングで、鳴くのです。二人のこれまでの夏を惜しむように…。

 

 原作である藤沢周平の小説も、この最終章は「蝉しぐれ」と名づけられていました。

 

《 顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供の頃に住んだ矢場町や街のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。

 馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た》

 

(藤沢周平「蝉しぐれ」より)

 

 この余韻…。初演の脚本と演出を手がけた大関弘政先生は、この蝉の鳴き声も、ていねいに選んで、入れていかれたのだろうなあ。

 

 見ている間も、セミの声には気づいていたつもりだったけど、改めて追ってみると、細やかな演出の妙に気づかされます。

 

 日本物ってやっぱりいい。壮さんもこれから先、また藤沢周平の作品に出たりすることがあるだろうか。あるといいな。ううん、きっとあると思う。

 

 考えてみると、日本の「お盆」の風習って面白いですね。死んだ祖先たちが帰って来て、盆踊りなんかしちゃうんだもの。メキシコの「死者の日」とか、面白いお祭りが世界にはたくさんあるけど、日本のお盆も面白すぎる。子供のころに、「お盆になると、死んだご先祖さん、おじいちゃんやおばあちゃんがみんな帰ってくるんだよ」と聞かされたときの衝撃を思い出しました(笑)。

 

 来年のお盆も、また 『若き日の唄は忘れじ』を見よう。

 

 きょうは「海の日」。

 

 壮さんだって、この間ファンメッセージをアップしてくれたし、「海の家」を名乗る以上、不定期なこの店もきょうくらいは開けなくちゃ。と思いたち、久しぶりに壮さんへ夏のお便りを(*^▽^*)

 

 せっかくだから、何か海にちなんだ壮さんを観ようかなあと思ったのだけど、宝塚歌劇の舞台には、ほとんど海辺のシーンが出てこないことに気がついた。

 

 そうだよねえ。女性が男役をするのだから、さすがに水着にはなれないよねえ。細い腕を出すこともできないし、短靴を脱ぎ捨てて裸足になることも無理。見た目の男らしさはとっても重要だから。

 

 それを承知で、わたし、壮さんに『太陽がいっぱい』のリプリーを演じてほしかったんだけど、実現しなかったなあ。ちょっとせつないけど、それもいい思い出です。

 

 舞台で海が出てくるのって、わたしが思いつく限りだと、『ノバ・ボサ・ノバ』くらい。鴨川清作先生ってやっぱりすごい。と、改めて感心してしまった。港を舞台にした作品や、船上の物語なんかはありますけどね。

 

 あ、トウコさんの『シークレット・ハンター』も海が舞台って言っていいのかな。あの作品が大好きで、この間見た『ローマの休日』よりもよほど「ローマの休日」らしかったと思っていたりするのですが、それはまた別の話になってしまう。

 

 ショーだと、やっぱり『Red Hot Sea』! 主題歌も好きだし、ユウヒさんとのどかさんの「ひき潮」。あれは名場面だと思う。草野先生も、鴨川先生リスペクトの意味もあって、海が大好きなのかもしれませんね。ざざーんという波音が聞こえてくると、期待で胸がいっぱいになります。

 

 

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 『Red Hot Sea』の壮さんは全て好きです。プロローグのお魚さんも、波に扮した激しいダンスナンバーも、「コーヒールンバ」を歌ったトロピカーナも、真珠のロケットボーイも、彩音ちゃんを取り合ったストーリーダンスも、デニムの衣装で登場したパレードも。わあ、見たーい。DVD探して見ればよかった。

 

 たぶん、壮さん史上、いちばん踊ってるショーなんじゃ? というくらい、全編激しく踊っています。いや、雪組時代の『レ・コラージュ』あたりもかもしれない。

 

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 それから、海というより船だけれど、らんじゅさん時代の花組『カノン』の「夜のノクターン」も思い出深い、大切な場面。
 
 銀座ヤマハホールでのシャンソンコンサート「悲しみよこんにちは」でも、歌っていました。

 このコンサートのイメージソングともいうべき「悲しみよこんにちは」は、フランソワーズ・サガンの小説『悲しみよこんにちは』の映画で、若き日のジュリエット・グレコが歌った曲。ニースが舞台でした。つい最近テロが起こったりして、ちょっと他人ごととは思えませんでした。

 

 なんて、思い出話はこれくらいにして。

 

 タカラヅカ時代は海とはあまりご縁がなかったわけだけれど、special DVD BOX に入っていたかっちょいいー「くちばしにチェリー」のPVでは、海でロケをしていて、あれはすごくうれしかった。壮さんも海に行きたいってリクエストしたのかもしれませんね。

 

 懐かしくなって『壮一帆メモリアルブック』を久しぶりに見たのですが、発行されたのが、ほぼ二年前。2014年7月17日でした。

 

 当時はあまりにあわただしくて、ここに感想を書いている時間もなかったのだけど、これめちゃくちゃカッコいいし綺麗。中身も本当に楽しいので、お持ちでない方は、今からでも。変えるのかどうか分からないけど、なんとか。

 

 口絵のポートなんか、レスリーさん、デヴィッド・ボウイを意識してたんじゃないかと思う(笑)。ホントですよ。『アラジン・セイン』のジャケ写に似てるの。

 

 

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 今年のオリジナルカレンダーも(MARCOさん撮影)海で撮影したカットがあって、やっぱりあの写真がいちばん好きかもしれない。ラストカットの笑顔がめちゃくちゃかわいい ^ ^ 

 

 壮さんも、卒業したいまは、海の気分を楽しんでいるのじゃないかなあ。泳ぎになんかも行っちゃうのかな。日焼けしちゃうからダメか。

 

 そういえば壮さんは最近、『ONE PEACE』にハマってしまったとか! やっぱり海の子!

 

 今年の壮さんの夏も本番間近です。

 

 

《シャンソンの黄金時代》オープニングコンサート
壮一帆「悲しみよこんにちは」
2016年5月30日(月)銀座ヤマハホール


 壮さんにはシャンソンが似合う。きっと似合うと思っていたけれど、ほんとうだった。

 

 サントリーホールの小ホールもそうだけれど、ヤマハホールには、小ぶりのクラシック向けホール特有の、緊張感とあたたかさが同居したような空気感があって、時に、音楽に包まれているような感覚になるのです。

 

 きょうのコンサートもまさにそんな感じ。ピアノ、チェロ、ベース、ミュゼット・アコーディオンという、シャンソンにぴったりな編成の楽団の音と、壮さんの声(ゲストの嵯峨美子さんも素晴らしかったです)と、客席のため息とに包まれるという、本当にしあわせな時間でした。

 

 壮さん自身は、今後の予定を紹介するくだりで、「『エドウィン・ドルードの謎』では、男役。次の『HONGANJI』がお坊さんで、11月からの『扉の向こう側』ではSMの女王と、今年の壮一帆はどこへ行こうとしているのか。女優・壮一帆はいつ?」みたいなことを言って笑いを取っていましたが、なんのなんの、もうすっかり「女優」です。

 

 明るい歌も、悲しい歌も、せつない歌も、どの曲でも、それぞれの曲世界を作ってから演じ歌う、「女優シャンソン」みたいなものが出来上がっていて、それがチャーミングでした。

 

 壮さんも、「シャンソンを歌うにはまだ若い」と思ったらしいのですが「今の自分でできるやり方」でいいのだと思ったら気楽になったと話していました。

 

 うん。確かに、日本における「シャンソン」って「日本のシャンソン」という独自の世界観を作り出してきたけど、もっと気楽に歌ってもいいのかもしれない。
 
 トークゲストの、今回のコンサートのコーディネーターであるムッシュウ・オリヴィエ(違っていたらごめんなさい)とのシャンソンについてのトークを聞いて、そんなことを思いました。

 

 だって、みんなが100年近くも歌い続けている「歌」なんだものね。オリヴィエさんが、音楽の教科書にもシャンソンが載っていて、誰もが歌っていると聞いて、「日本じゃ『荒城の月』ですもんねー」とか言って驚いているジャパニーズ・ガールな壮さんがかわいかった。

 

 オリヴィエさんのネイティブな「シャンソン」という言い方が気に入ったのか、その口調を真似て「シャンソン」と言っていたのがかわいかった。「パリジェンヌの雰囲気がありますよ」と言われて、「皆さん、聞きました?」と、大阪のおばちゃんみたいにドヤ顔で客席にアピールしていたのも。

 

 壮さんはスルーしたけど、オリヴィエさんの言うフランス訛りの「ソーサン」がたまらなく素敵で、もっと言ってほしかったです(笑)。

 

 あ、いけない、かわいいしか言ってないや(笑)。

 

 かわいいついでにもう一個書くと、衣装がすごくかわいかったです。

 

 オープニングは、宝塚のスタンダード! 「宝塚我が心の故郷(おおコルシカ愛の島)」だったのですが、もう、最初は壮さんの衣装に目が行っちゃって。

 

 今回のコンサート「悲しみよこんにちは」のイメージ写真に使われた衣装をアレンジして登場したのです。

 

 スタイリストさんが、『悲しみよこんにちは』の映画版に主演したジーン・セバーグのイメージでスタイリングしてくれたという、あの衣装。

 

 麦わら帽子に、カウガールみたいな幅広のデニムをサスペンダーで止めて、肩を思い切り出したセクシーな白のカットソー。

 

 こういうの、ホント似合う。肩のラインとくちびるがほんのりセクシーで、ジュリー・デルピーがヴァネッサ・パラディのコスプレしたみたいな感じで(わ、わかりますか?(笑))、かわいいの。大人かわいいの反対で、というと、フレンチ・ロリータになっちゃう? 大人かわいいの、「かわいい」の比重を多くしたというか…。

 

 どんなにセクシーに、アダルトにしても、清潔感を失わないところは壮一帆さんの財産だと思います。首が長く、スレンダーな体型がそうさせるのかな。

 

 このチャーミングな衣装に身を包んで歌う壮さんは、「日本のシャンソン」のイメージからはほど遠いものだったけど、それがまた似合っていて。さっきの話に戻ってしまうけど、こんなふうに気楽に歌うシャンソンもいいなと思いました。

 

  「アイ・ラブ・パリ」と「幸福を売る男」はドンピシャ。どちらも、この衣装と、壮さんのもっている明るさにぴったりで楽しかった。

 

  「アイ・ラブ・パリ」も大好きだし(なつめさんを思い出す)、大好きな「幸福を売る男」を、それも、高木史朗さんの詞で歌ってもらえたのが、めちゃくちゃうれしかったし、後からじわじわと感動が。

 

 この曲は、訳詞にもいろいろなバージョンがあって、岩谷時子さんも書いていますが、わたしはやっぱり宝塚のこの詞が大好きです。

 

「悲しい時に明るい歌を 涙のほほに笑顔の歌を」

 

「夢はいかが希望はいかが 明るい笑顔お安くしましょう」

 

「暗い世界に明るい歌を 苦しい浮世に笑顔の歌を」

 

 このフレーズを聴いただけでたいてい涙です(笑)。明るいメロディーなのにすごいの。

 

 それが「シャンソン」だと思うし、タイトルの「悲しみよこんにちは」であり、朗読をしてくれたギョーム・アポリネールの「ミラボー橋」にもつなかっていたるのだと思う。

 

 「ミラボー橋」の朗読も素敵でした。

 

 わたしね、壮さんは朗読というものはちょっと苦手なんだと思ってたの(笑)。

 

 というのも、下級生の頃のスカステの旅番組で、『この恋は雲の涯まで』の舞台を辿って、平泉を旅したとき、義経伝説の原作? を読む場面があって、驚いてしまうほどの棒読みだったことがあり(笑)。この記憶が影響しているかもしれません。

 

 それが、そのときとは全然違った。

 

 情感をこめて、それはすてきに読んでくれて…。表現力が豊かになっているんだと、シャンソン時間でいったらまだ「短い」にせよ、壮さんのこれまでの「人生」を感じもしました。

 

 人が本に目を落として読む姿を見るのって好きだし、本当に朗読劇とか実現したらいいのになあと、ちょっと夢を広げちゃいました。

 

 歌はそして、「さくらんぼの実る頃」へ。ゆったりとしたテンポの歌で、今年のディナーショーでも披露してくれたけれど、壮さんの声にも合っていて、とても素敵でした。

 

 この後に「群衆~風のささやき~パリのノクターン」とメドレーでなつかしい歌を歌い、ゲストの嵯峨美子さんのコーナーになるのですが、嵯峨さんが、シャンソンの小ネタをちょいちょいはさんでくれて、それが楽しかった。

 

 マチネでは、「さくらんぼの実る頃」がパリ・コミューンのときに歌われた歌だと教えてくれ(「血の一週間」への鎮魂)、そうだった、だから、加藤登紀子さんが歌ったのだと思い出し、『虞美人』の「赤いけしの花」もそうだったなとか、『アポロンの迷宮』での「パリ・コミューンの歌」を思い出したりして(アポロンたちは、パリ・コミューンで命を落とした市民革命家たちの子供という設定でした)、ちょっと胸を熱くしていました。

 

 ゲストの嵯峨美子さんが聴かせてくれた「日本のシャンソン」がまた素晴らしく。

 

 「再会」「それぞれのテーブル」、ジョルジュ・ムスタキの「生きる時代」「ボン・ボヤージュ」と、日本のシャンソンの原風景のような、男と女の世界を聴かせてくれました。

 

 深緑夏代先生に師事し、40年間もシャンソンを歌っているという嵯峨さんが歌で紡ぎだす世界は、キャリアはもちろんあるけれど、どこが違うんだろう。

 

 客観性かな。女優のシャンソンは、歌う人自身が自分で演じてしまうけれど(そこがいいんです)、シャンソン歌いのシャンソンは、フランス人の役者に演じさせて、その情景を歌うような客観性があるように感じました。


 それはもしかしたら、若い恋人を作ったり、何らかの理由があって、自分の元から去っていった恋人のこと、昔の恋を歌ったりするシチュエーションが多いから、そのくらいの距離感でないと成立しないのかもしれない。


 嵯峨さんの歌は、キャリアもあって、その距離感がなんともいえない奥深い味になっていました。


 人それぞれのシャンソンがあるのだと思いますが。タカラヅカのシャンソンはまた違うし。

 

 嵯峨さんのお話はとても楽しく、ちあきなおみさんが「それぞれのテーブル」を歌うときに、深緑夏代さんのところにレッスンに来られていたという話は本当に驚きました。ちあきなおみさんの歌、大好きなんです。でも、シャンソンと結びつけて考えたことがなかったので。本当にそれぞれのシャンソンがあるのだなあ。

 

 『ドンブラコ』をご存じなかった嵯峨さんに、説明する壮さんが楽しかった。

 

 わたしも初めて『ドンブラコ』を知ったとき、面白いなあと驚いたっけ。

 

 でも、 シャンソンを聴きにいらした「あの劇団」をご存知ないお客さまには、確かに謎だったかも。

 

 「あの劇団」的な内輪話のようなものも、寂しいけれどそろそろ卒業すべき頃合いかなあとちょっと思いました。そのあたりのことは、次の「ディナー&トーク」やファン・イベントで、存分に話してもらうようになっていくのかなあと。

 

(「ディナー&トーク」で、竹下典子先生がどんなところに突っ込んでくれるのか、ヒヤヒヤしつつも楽しみにしています(笑))

 

 歌や芝居で、プロパーなお客さまを魅了するソーサン(フランス風)の姿を見ることが、たぶんファンの多くが望んでいること。

 

 こんなところに書いても伝わらないけど、一人の役者の成長を見に来たり、追い続けるなんて、それはちょっと、いや、かなりおかしな人たちですから(誰よりも自分のことです(笑))、本当に気にしないでと言いたいです。

 嵯峨さんの言葉の中に、そういうやさしいダメ出しみたいなニュアンスを少し感じたのだけど、いつもの考えすぎかもしれません(笑)。

 

 ……。なぜ、こんなこと書いているのかわからなくなってしまいました(笑)。

 

 長くなってしまったので、後半のことは、改めて書きたいと思いますが、今回うれしかったのは、壮さんの歌声が、いろんなものを発していたと感じられたことです。

 

 歌い慣れた曲も多かったし、キーも低めで歌いやすかったというのはあると思いますが、低いキーでも、男役時代よりもぐんと情感豊かになっていました。

 

 素人ながら、高いキーに挑戦したり、発声を変えたりというレッスンの影響かなと思いました。高い声を出すようにすると、低い声も豊かになるんですね。

 

 そう思わされたのは、この後の、ドレスになってからの三曲なのですが、それは次回。

 

 プァファー姐さんの犯人の告白ソング。

 

 「♪間違えちゃったの 悪気はないわ これで満足よ でっかく生きた」

 

 最高! とかなんとかうっとりしていたのですが、今朝になって気づきました。

 

 エドウィンを間違えて手にかけておいて、「悪気はないわ これで満足」って、ちょ…「ありえへんて!」

 

 殺されかけたのは、我が最愛のエドウィンだった(笑)。

 

 危ない危ない。こんな大切なこと、すっかり忘れていた(笑)。トラップだらけだわ、このミュージカル。


  そんなビターなところが、このミュージカルのいいところなんですけどね ^^ ほんと、「あの劇団」だったら、とうていありえない(笑)。


 カーテンコールのあいさつで、「演劇の巨人」こと山口祐一郎さんが、「壮一帆特別記念公演」として、またまた壮さんにあいさつをさせてくれた。

 

 その「超新星ミュージカル女優」さんは、ていねいに感謝を述べ、飛行機の時間があるから手短にと付け加えて、キャスト全員にひと言をと、マイクをゆだねた。

 

 保坂知寿さんが「このミュージカルが伝説になったらいい」みたいなことを言ってらしたけど、本当に、いつかまた巡りあえたらうれしい。


 そのときは、「初演見たの。あたし」(プァファーさん風)なんて、ちょっと自慢してるかもしれない。

 

 今拓哉さんが、「また劇場で会いましょう」と言ったのも素敵だった。

 

 あの言葉ではっとしたのだ。

 

 ここはもう外部のカンパニーだから、この千穐楽の舞台がハネたら解散して、みんなそれぞれのカンパニーに、また合流するんだ。でも、またいつか出会う可能性もある。「あの劇団」の公演の終わりとは違う、小さなお別れ。


 そんなことを含んでの、ユーイチロー支配人の、できればこのままでいたいんですけどそうもいかず、「せめて、もう少しだけこの余韻を楽しんでいたい」という言葉なのでしょう。

 

 キャストの皆さんは、楽屋を出てきたら本当に散りぢりになって行った。皆さん売れっ子で、次の日からはそれぞれのご予定が入ってるんだから当然なんですけどね。

 

 壮さんも晴れやかで、おだやかな笑顔だった。


 この舞台がとても刺激になった、何度も観に来てくれた方、一度だけの方もありがとう、また手紙をください、私もブログに書くので気長に待っていてください、次はシャンソンですと言い(うろ覚え)、そして「自前です」と、あのトラのバッグに受け取った手紙を自分で入れて、タクシーに乗り込んだ。

 

 千穐楽の感動と興奮に包まれながら、終わってしまったのが寂しくて、でも、その寂しさが心地よくもある。このほんのちょっとの寂しさが勲章。

 

 同じ劇団の中の気心の知れたメンバーとやっていくのももちろん素晴らしいけれど、こうやって、風に吹かれて、また次の舞台に向かって歩いて行くのはすてきなことだ。


   『エドウィン・ドルードの謎』のホントのホントの最後に、壮さんが、エドウィンとして、女優・壮一帆として歌ったラストソング「運命のメモ」を、いまこのときに、もう一度胸に刻もう。


 『エドウィン・ドルードの謎』のテーマであるこの歌は、すべての人へのエールと人生賛歌だけれど、同時に、出演したキャストと、すべての役者たちに向けられたエールと役者賛歌でもある。運命のメモ、すなわち、「目の前にやってきた台本の通りに生きろ」と。


 すてきな宝物がまた増えたね、壮さん(*^▽^*)


 わたしもまた、その運命のメモを楽しみに…

 


 「♪運命のメモがいう


   あきらめずに生きること
   とにかく死ぬまでは

 

   目を開いて
   前に進め


   運命のメモを見て
   生きよう 」

 

 

 福岡市民会館での『エドウィン・ドルードの謎』大千穐楽が終わりました。

 

 楽しかった。盛り上がった。そして、大納得のエンディング。演劇の神様はいるのだなあと思いました(笑)。

 

 『エドウィン』にはストーリーの分岐点が三つあり、それぞれ、観客代表によるくじ(パジェロ)、投票、観客の拍手とブーイングその他(ジャッジするのは2メートルの支配人)で選ばれるのですが、そうして実現した場面が、どれも納得の展開だったのです。

 

 もちろん、ほかのパターンも見たかったし、どんなパターンになったとしても納得だったとは思うのですが、終わってみれば、すべてのピースが気持ちよくおさまり、これが正しいエンディングだというような、やさし~い気持ちになって、物語も大団円を迎えていたのです。

 

 最後にロイヤル音楽堂がこんなしあわせ感に満たされるなんて、演出をした福田雄一さんも想像はできなかったのではないでしょうか。

 

 ラストの『エドウィン・ドルードの謎』はこんなふうでした。

 

○ダッチェリーの代役はクリスパークル牧師(コング桑田)

 この世は「ハレルヤ!」

 

 一つ目のストーリー分岐は、壮一帆さんが演じていた山羊髭の探偵ダッチェリーの代役選び。

 

 出演者たちの挙手により、タイトルロールのエドウィンが「死んだ」ことに決まり、それに怒った壮一帆さんが「私の出番終わりってことー?」「主役が一幕で終わりって、ないないない」「ありえへんやろ」「ほな、さいなら」と帰ってしまったので、代役を立てようという設定です。

 

 ダッチェリーと絡む芝居のある役者は出られないので、候補は、ローザ、クリスパークル牧師、ヘレナ、ネヴィル、バザードの五名。観客代表によるルーレットで決まるので、誰になるかは本当に運任せ。ここでダッチェリーを演じる役者は犯人選びの投票の候補から外れるので、その後の結果にも少なくない影響を与えるというのも見逃せません。

 

 この日の観客代表、サングラスをかけた渋いおじさまが引き当てたのは、クリスパークル牧師を演じたコング桑田さんでした。

 

 コングさんは前日に犯人を仕留めていたので、きょうはきっと投票のときも、遠慮されるだろうと思っていたので(ああ見えて、すんごいやさしい ^ ^ )、犯人役になったのはナイスだったし、壮さんとは最も見た目が遠いクリスパークル牧師がダッチェリーさんに変装していたっていう無理むりな設定が、まずとっても面白いし、ほぼ「出オチ」の、インパクトのある登場シーンでさらった大爆笑は、大千穐楽にふさわしいものだったと思います。

 

 センターに登場したクリスパークルさん。顔全体をダッチェリーさんのヒゲで覆いつくして、髭しか見えない(笑)。そして歌詞が、「髭の上に髭…」とか、爆笑の連続…と、なるはずでしたが…。

 

 客席に「ハレルヤ」と呼びかけ、「ハレルヤ」返しを求めているうちに? 歌詞を忘れてしまったごようす。ハレルヤと笑顔で乗り切ったけど、ホントに「出オチ」に近いことになってしまいました。

 

 最後の最後に。今まで歌えていたのにね(笑)。福岡出身で、この福岡市民会館の近くのマンションに、二十年間遠距離恋愛をしていた女性が住んでいたと告白してしまったりして、いろいろこみあげてくるものがあったのでしょうか。

 

 でも、そんなゆるい爆笑で、最後のダッチェリーさんの場面が終わったのも、なんだかこの作品らしい気がします。

 

 いつも教会でもっともらしいことばかり言ってるけど、変装して後をつけたりしたのはスリリングだった、みたいな歌詞だったと思います(ざっくり)。

 

 ついでながら、最後にして、コングさんのダッチェリーさんのコートが特別仕様だったことに気づきました。

 

 

○犯人役はマドモアゼル・パファー(保坂知寿)

 「でっかく生きた」

 

 最後の犯人役は、200票以上を集めて、プリンセス・パファーが当選。

 

 意外な気もしたけれど、納得。

 

 パファーさんの告白のナンバーを改めて聴いて、これは今回の『エドウィン・ドルードの謎』のウラ主題歌ともいうべき曲だと得心しました。

 

 パファーは、ローザのためにジャスパーを殺そうとしたのに、間違えてエドウィンを手にかけたのだと告白します。

 

 間違えて手にかけたのは、ローザと同じなんだけど、パファーさんが大物なのは、若干「火サス」調、ドラマチックに進むローザ編とガラリと違って、笑いと人生の教訓をわたしたち観客に与えてくれるところ。

 

 出だしはドラマチックに、淫らな欲望をローザにぶつけたジャスプァーが許せなかったと告白すると、曲は途中から、一幕では、早口言葉場面を盛り込みながら進められたパファーさんのテーマ「でっかく生きな」に変わります。

 

 そして歌うのです。

 

 「♪ だからよく聞いて 

    殺すときには よく確認すること

 

    間違えちゃったの 悪気はないわ

    これで満足よ でっかく生きた 」

 

 (はい、みんな一緒に)

 

 「♪ でーっかく 生きーたー 」

 

 最高!

 

 「最後を締めさせていただきます」のことばどおり、素晴らしかった。

 

 保坂知寿さんの犯人役を見るのは三度目でしたが、この千穐楽のがいちばん王道なパファーマンスだったように思います。ブロードウェイではチタ・リヴェラが演じた役だもの。

 

 犯人アピールの場で、最初から最後まで「ぷわふぁー」をやり通し、おいしいところを持っていく、失礼、最後を締めるという、まさに「でっかく生きた」見本を示してくれました。

 

 いつか。

 

 仮に実現するとしても、まだまだ、ずっとずっと先のことでしょうけれど、いつか、パファー役を演じる壮さんも見てみたいなあと思いました。

 

 

○ラストのやさしい ラーヴ・ソーング

 ネヴィルの魔法のじゅうたん

 

 最後の観客による選択は、一幕にエドウィンとローザが歌ったすてきなラブソング「二人だけさ」を歌うカップルです。

 

 女性陣から一人、男性陣から一人を、客席の拍手とどよめきでもって、ユーイチロー支配人がジャッジして選ばれるのですが、大千穐楽だしというので、困ってしまった祐一郎さんがほんっとうにかわいらしかったです。

 

 まずは女性陣を拍手で決めようとするも、ユーイチロー支配人、決められず(笑)。

 

 アンサンブルチームとキャストチームの代表ジャンケンで、知寿さんが勝利。

 

 しかし、犯人役をやっていた知寿さんは、私はもういいからと辞退。ローザとヘレナの対決(インド×イングランド)に。

 

 ヘレナ嬢はローザに勝たせてあげたかったみたいなのですが(福岡に来て、一度も歌っていないとか)、三回くらいあいこが続いて、ヘレナが勝ってしまいます。

 

 「カレーだからグーしか出せないのにー。もー」と言うヘレナ嬢。やさしいー(ローザちゃん、愛されてるね ^ ^ )。

 

 男性陣の拍手は、ネヴィルとジャスパーさんが大きく、ここも二人の対決(インド×イングランド)になり、ネヴィルがグーで勝利。

 

 これね、ヘレナ嬢の発言を受けて、「ネヴィルもグーで来るだろう」と踏んだジャスパーさんが、チョキを出したんじゃないかと思っているのですが、どうでしょう。

 

 ほら、カレー娘とヘンタイさんだと、あまりにもエロ…(笑)。大千穐楽仕様ではないと今さんが判断したのではと…。

 

 本当のところは分かりませんが、そうやって、みんなの見えないやさしいパスが繰り広げられて実現したのが、ヘレナとネヴィル、遠い国からイギリスにやってきた双子の姉弟、ヘレナ・ランドレス(瀬戸カトリーヌ)とネヴィル・ランドレス(水田航生)のラブソングが実現したのでした。

 

わ たしは見たことのないパターンだったので、もう楽しみで楽しみで。姉弟でラブソング? どうするの? と思っていたら、のっけからヘレナ嬢、攻めてきます(笑)。

 

 「今日は、私とネヴィルをどうしても近親相姦にしたいお客さまが多いようね」

 

 このひと言で大爆笑。もう、あまりにおかしすぎて、前半の展開は覚えていないのですが、とにかく、遠い国からやってきたけど、二人でまたカレーの国に戻るわという展開になり…

 

 「ネヴィル、あなた、魔法のじゅうたんを持っていたわね」とヘレナが言うと、結末のシナリオが書かれた二枚の紙(たぶんA4コピー紙です)を舞台に並べるネヴィル。

 

 「でもこれ、ホントに飛べるのかしら?」「飛ぶためには大きな猿がいるわね」と、大きな支配人を呼び、三人で魔法のじゅうたんに乗って飛行。

 

 ヘレナはストールをそよがせ、ネヴィルと支配人も手をそよがせ、周囲の出演者たちも全員で風を演出。本当に魔法のじゅうたんに乗って飛んでいるように見えました。

 

 やだ。ファンタジーになってる…。この展開で。信じられない(笑)。

 

 おかしな感動で、涙まで出ちゃいました。

 

 遠いインドから二人だけでやってきたヘレナとネヴィルが、イギリス軍がインドをバリバリ支配していた時代の英国の地で、勝利の凱歌をあげ、魔法のじゅうたんに乗って空を飛んでいる。なんてイイ話なの(笑)。

 

 それに、ホントにこの二人には楽しませてもらいました。身をもって楽しませてくれるその姿勢に、いつのまにかにわかファンになってしまったほど。

 

 魔法のじゅうたんに乗った二人を見れ、しあわせでございました。

 

 

○そして怒って帰ってしまった壮一帆は?

 「生きる それは勝ち負けじゃない」

 

 以上で、ラストのストーリーはおしまいなのですが、このあとにちょっとかわいいシーンがありました。

 

 このすてきなラブソングのあと、最後の最後に、「やあ、みんな! 僕は生きてるよ!」と、エドウィンの壮さんが登場し、「運命のメモ」を歌うのがシナリオ。

 

 エンディングによっては、犯人やカップルをちょっといじったりするのですが、エドウィンがことの次第を説明しながらセンターに来たところで、ネヴィルくんがエドウィンの横に、例のA4コピー紙2枚をひょいと置いた。

 

 ちらっと横目で見たエドウィンが、その魔法のじゅうたんに乗った。ネヴィルも乗った。ちょっとサーフィンみたいに、魔法のじゅうたんに二人乗り。

 

 もーお。なんてかわいいの。

 

 一幕であんなに張り合って、こんな騒動まで起こした二人が、仲よく魔法のじゅうたんに乗っている。

 

(ちなみに壮さん。一幕では、ネヴィルのジャケットを放り投げたり、小学生みたいないたずら仕掛けてました(笑))

 

 エドウィンはこの場面で歌います。

 

 「生きる それは勝ち負けじゃない」

 

 そのフレーズのまんま。そんなファンタジーが、最後の最後に…。

 

 もう、演劇の神様がここにいたとしか思えないでしょう?

 

 舞台って、面白い。

 

 ブロードウェイでの『エドウィン・ドルードの謎』がどんなだったかは知りませんが、この日本人キャストによる作品は、きわめてやさしい日本人的な『エドウィン・ドルードの謎』だったのではないかなあと思っています。

 

 なかなか言及する機会がないので唐突ですが、「演劇の巨人」こと、山口祐一郎支配人に心からの感謝を。

 

 やさしいやさしい名調子がいつのまにか刷り込まれてしまったようで、ひどく恋していというか、あれを聞かないではいられないのですが、どうしたら…。

 

 「2メートル山口」なんて自ら言っていたお茶目なユーイチローさんですが、やっぱりあれだけ大きいから、演劇の神様も見つけやすかったのかも、なんて、中途半端にイイことっぽいことを言って、ひとまずここは終わりに。

 

 最高に楽しい大千穐楽のエンディングでした。

 

【ちょっとネタバレです】

 

 そうか。そういうことだったんだ。

 『エドウィン・ドルードの謎』プレビュー公演を観たときに納得した。

 

 初日の幕が開くだいぶ前。どんな舞台になるのか、おそらく誰にも想像がつかない頃に、雑誌のインタビューなんかで壮さんは、こんな言葉を発していた。

 

 ファンの人は見たら驚いちゃうかも。
 どうせならとことんやりたい。
 すべて演出家の福田雄一さんにまかせています。

 

 いい意味で「どんな舞台になっちゃうんだ」感は高まっていったのだけど、ファンクラブの会員向けのメッセージの最後に書かれた、新しい壮一帆を楽しみにしてほしいという言葉とともに書かれた、タカラヅカへの愛とリスペクトが謎のように引っかかっていた。

 

 そうか。だから、メッセージの最後にタカラヅカへの愛を叫んだんだ。

 

 『エドウィン・ドルードの謎』で壮さんが演じる、《ロワイヤル劇場で『エドウィン・ドルトードの謎』に出演する女優・壮一帆》は、実際の壮さんの経歴をそのまま生かしたものになっている。

 つまり、宝塚歌劇団を退団したばかりで、在団中は数々の男装姿で劇場をにぎわせてきた、あと、いくつかの個人情報が、支配人・山口祐一郎さんから客席に紹介される。

 

 この情報は、舞台のなかで《「あの劇団」出身の壮さん》として、面白おかしく、いや、ネタにされていて(笑)、二幕の途中には本人自らが「あの劇団」について語り出すという場面まである。

 

 ほんと、ここまで、タカラヅカ出身ということをネタにしてくるとは思わなかったです(笑)。

 

 でも、イヤな気持ちは全然しなかった。それどころか、表向きはフツーに接して、「ああ、あの人タカラヅカ出身だから…」とか、思われたりしているより(いや、そんなベタなことがあるのかどうか知りませんが(笑)、一般的なイメージかと…)、もう、ぜんっぜんすがすがしかった。

タカラヅカでのクセが抜け切れていないのは、まあ、本当のことだと思うけれど、それを押さえつけようとせずに、さらけ出し、個性としてうまく使っていけるのは、壮さんの性格を考えても、すごくやりやすいんじゃないかと思う。

 

 それに、「あの劇団」「あの劇団」とネタにされているけど、決して腐しているわけではない。そうやってネタにしてもらえること自体、受け入れてもらっている証拠で、根本には宝塚歌劇団へのリスペクトがきっちり感じ取れる。

 

 それがもっとも表れているのは、エドウィンとローザのデュエット「もしもあなたと」ではないだろうか。こんなにきれいで、生身の性もを感じさせなくて、外国映画か少女漫画みたいに美しい二人の場面が、福田ワールドのなかにあってきっちりと存在していることが、何よりの証明だと思う(相手役がアニメの世界で生きてきた平野綾ちゃんだったことも大きいけれど ^ ^ )。

 

 ユーイチロー支配人をはじめ、出演者の皆さんにあたたかく見守っていただけているのも、一ファンとしてもそれが本当にありがたいです。

 

 最初に男装があると聞いたときは、ご多分にもれず、「男装なのか」と思った口です(笑)。

 でもこれは、『エドウィン・ドルトードの謎』の舞台構造と同じ、メタと虚構が入り交じった「男装」だから、まるで、退団十年後に男役の姿を素直に楽しむみたいなノリで、《あの劇団にいた壮一帆》さんを見て、楽しむことができたのかもしれません。

 

 それに、心の中のどこかに、あの大きなバックルのように、壮さんは「あの劇団」タカラヅカに育ててもらったんだ、これがルーツなんだという、大きなものを感じるような強い感動もあったのです。

 

 そして、二幕の途中で壮さんは、自らの意思で、《『エドウィン・ドルードの謎』に出演する「あの劇団」出身で「あの劇団」のクセがまだ抜けきっていない女優・壮一帆》の役を降りる。大きなバックルも持たず、あったかい外套も脱ぎ捨て、みんなに「ダサッ」と言われようが、自分の服を着て、自分の足で歩いて…。

 

 ちょっ…。ヤダ。なんていい話なの…。笑う場面なのに(笑)。これが福田ワールドか!

 

 面白いなあと思うのは、これがオリジナルストーリーだということ。《「あの劇団」出身で「あの劇団」のクセがまだ抜けきっていない》という属性は、後付けなのに、いまの壮さん自身にピタリとハマっているのだ。

 

 こういう奇跡的な作用が起こるから舞台は面白い。

 

 あ、そうだ。このことを書いておかなくちゃ。

 

 「あの劇団」での壮さんと、劇中の「あの劇団のクセがまだ抜けきっていない壮さん」とは、全然違います。だから、「あの劇団」ネタをこんなに楽しめるのかもしれない。

 

 壮一帆さんもいたあの劇団、タカラヅカに愛をこめて――