忘れない、忘れられない三月 |  *so side cafe*

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元宝塚歌劇団雪組、壮一帆さんの現役時代の記録。ただいまシーズンオフ。

 「♪ 忘れない 忘れられない 忘れたくない 忘れるはずのない…」

 今年も3月11日が過ぎました。

 Twitterにも少し書きましたが、今年は少しゆとりが生まれてきたらしく、震災のあった2011年3月からの、壮一帆さんとの4年間を振り返ったりしています。

 本当は、もっと高いところからか、あるいは被災地寄りの視点から、社会的に有益なことを考えたり、行動したほうがいいのはわかっています。なんて気楽なのだと言われたら、本当にその通り!
 3月11日に考えたこととして、わざわざ書くことでもないのだけど…。何もしなかった者なりに、あの日々に感じたことを思い出しておくことは悪いことではないだろう。うまく言えないけれど、そんなことを思いながら…。

 震災のあった3月は、壮さんや花組のみんなのことを思って過ごした日々と、分かち難く結びついています。
 震災を受けた土地や人々を思い、原子力発電所の事故への怒りと不安が渦巻くなか、それでも舞台がかかるとなれば観に行きたくて、でも、観劇をすることの後ろめたさは耐えずどこかにあって、と向き合って過ごした日々。
 それなりにたいへんだったこともあったのに、あのときはたいへんだったなあとぼんやり思うだけで、もうずいぶん忘れかけている。なのに、あのときの壮さんや花組の人たちのことや、あの日々に感じたことを振り返ると、4年を経たいまでも、いたたまれないような気持ちになる。

 なんだろうね。壮さんや花組の人たちのことは、一方的にただ見ていたり心配したりしていただけで、わたしが何かをしたわけでもないのに。

 でも、東京全体が追い詰められたような状態のなかで、壮さんの舞台を観たいという強い気持ちがあったから、目標をはっきり持てたし、じぶんが何を必要としているのかも見えてきた、というのはあった。

 ・じぶんが生活していくために必要なもの。
 ・じぶんが守るべきもの。
 ・じぶんが気もちよくあるために必要なもの。
 ・じぶんの思いとして、守りたいもの、求めているもの。

 最後の2つのカテゴリーの多くを占めているのが、壮さんと花組の舞台でした。
 アタマを冷やせ! と言われそうだし、こんなときにも趣味に溺れているなんて、社会人として褒められたもんじゃないというのは分かっていたつもり(笑)。ずいぶんセーブもしたけれど、観たい気持ちは止められなかった。

 うまく言えないけれど、わたしは何もできなかったけれど、壮さんを通して、いっしょに立ち向かっていたような気分になっていたのかもしれない。そういう形で、壮さんを精神的なよりどころにしていたのかもしれないと、いまは思う(殺伐とした現実から逃げていただけかもしれないけど)。

 お守りを持つということは、そのお守りのなかに自分のかけらを込めて、自分の心を分散させて減らすことなのだと本で読んだことがあって、なるほどなと思いました。お守りをもつことによって、つらい荷物のかさを減らすことができ、気持ちが少し軽くなる。
 壮さんは、その「お守り」なんだと思いました。「お守り」を「偶像」とすると、もっとわかりやすいかな。「偶像」とは、英語では「idol(アイドル)」といいます。

 何もしなかったわたしの、楯にもなってくれていたのですよね、当時の壮さんや花組の人たちは。較べることはできないけど、戦後のタカラヅカ公演が大喝采で受け入れられたことも少しわかるような気がする。

 東京の舞台で花組公演の初日を観たときは、本当にうれしかった。観ているだけで力のようなもので充たされていくのがわかった。劇場のなかの、ぞくぞくするような異様な感じを今も覚えています。

 演じている人たちも、いつもとは何かが違って、そこにいる目の前の観客だけでなく、もっと劇場の外にいる人たちに向けて演じているようにも見えた。劇場は開かれていた。

 あの騒乱の日々のなかで、壮さんと花組の舞台を観られたことが、どれだけありがたいことだったのか、それが当たり前ではなかったことにも気づかされた。舞台の見方も少し変わったと思う。

     *     *     *

 ここからは、これまでの3月を振り返って。

【2011年の3月】
 トップスター真飛聖さんの退団公演である『愛のプレリュード』と『ル パラディ』の大劇場での千秋楽を終えて、東京でディナーショーが行われている日に震災が起こったのでした。

 お芝居の『愛のプレリュード』で壮さんは、ジョセフという一人の男を演じていました。警察官として働いていながら、正義よりも金で動く組織に嫌気がさして仕事をやめたはずが、なぜか、闇で酒や発明品を売買するブローカーとして、自分も汚い金を作り出すようになっていたという人物です。

 このお芝居で真飛さんの相手役である蘭乃はなちゃんは、蘭寿とむさんとコンビを組むことが決まっていて、そのせいか、微妙な役どころだった。それが難しかったのか、演出家が芝居をつけられなかったのか、子犬がキャンキャン吠えているような子供っぽい役作りで(らんちゃんのことは月組時代から好きだったけど、あれは生理的につらかったし、がっかりしました)、実質の相手役は男役の壮さんでした。

 闇の世界に生きる、ひとりぼっちの男。「よせよ…」と、憂い顔で顔をそむけた姿がたまらなかった。壮さんのジョセフのもっとも好きな瞬間だったかもしれない。

 主人公フレディへの屈折した感情。別れ、出会い、分かれてしまったかと思った道が再び交わり、死というかたちで別れる。最後は主人公の腕のなかで

 最高潮に盛り上がるのが、二人が一緒に、ナチスのSSたちに立ち向かうシーンでした。そして、フレディをかばってジョセフは死んでしまう。でも、幻想シーンで復活するのです。スモークが立ち込めるなか、盆が回りながらのせり上がりです。

 すごいプレゼントでしたねえ。そして、とても大切なことを改めて教えてもらいました。

 舞台の上で命を落とし、奈落に消えていったとしても、次に舞台の幕が上がれば、また蘇ることができる。何度だって死ぬことができる、また生きていくことができる。それが演劇。

 たくさんの死を心のどこかにとどめたまま舞台を見たことで、演劇の本質的なすばらしさに少し触れられた気がします。

 そんな空気は、『ル パラディ』にもありました。壮さんが、「エスポワール」と歌い、みわっちやらんちゃん、花組のみんなと、この世界の「希望」と「光」について歌いつないでいく場面です。
 芝居もショーも、作られたのは震災の前なのに、震災後に、震災の復興を願って作られたのだとしか思えない歌でした。この世の中にはなぜ、こんなことが起こるのでしょう。

 この公演の間、休演日が何日かありました。
 電力不足で停電をする地域も多かったので、大量の電力を必要とする舞台を続けていいのだろうかという声もありました。省電力のため、東京の街はどこも暗かった。そんななかでの公演だったから、たぶん、劇場のスタッフさんたちはとても苦労をしたのだと思います。劇場内の照明はもちろん、楽屋裏では電力を使わないような工夫がされていたそうです。舞台の照明もいつもより落とされていました。
 でも、スターを照らすピンスポットがなくなることはありませんでした。この照明、明るさこそがタカラヅカなんだなと思いました。光がなくても生命を維持することはできるかもしれないけれど、それはとても味気ない、希望のないものになってしまう。
 「光」って「希望」なんだ。音楽も、歌もダンスも。

 放射能の心配もされていて、そのせいかどうかはわかりませんが、出待ちと入り待ちは中止されました。そのかわりに、というわけではないかもしれませんが、劇団からの指示ではなく、花組の生徒たちの発案で、終演後には毎回の舞台あいさつ、そして、生徒たちが舞台化粧のままロビーに出て、募金を募りました。

 初日の舞台あいさつで真飛さんは、舞台に立ってもいいのだろうかと悩んでみんなで何度も徹夜でお稽古場で話し合ったと言います。真飛さんもそうだし、あのときのあまりに無防備な壮さんのようす…。あんな表情を見たのは、あのときだけだったと思います。舞台人としてよりも、一人の人間としての感情が前に出ていたような、この一行をどう終わらせればいいのかもわかりません。

 初日のロビーで募金箱を持っていた壮さん。誰よりも腰を低くして、心配そうに受け取っていて。舞台用の照明などない、薄暗いロビーで見た黒燕尾姿の壮さんはとてもきれいでした。壮一帆としてではなく、募金箱を持った宝塚歌劇団の生徒としてそこにいたような感じでした。
 タカラジェンヌはみな、音楽学校時代にスミレ売りとして(今はスミレ売りじゃありませんね。お花が高いからかな)、劇場前に立つけれど、舞台化粧に黒燕尾、娘役はイブニングドレス、そんな姿でロビーに立ったタカラジェンヌは、このときの花組くらいではないでしょうか。
 劇団の記録には残らない、こんな自主的な募金活動があったことを、一人のファンとして誇らしく思います。

 今でも、あのときに花組のみんなが行った活動には勇気づけられます。「絆」とか「元気」とか「力」とか「夢」とか、耳あたりのいい言葉じゃなくて、お金が必要だということが分かっていたと思う。タカラヅカの舞台は観た人を元気にしてくれる力があるけれど、お金がなければ、ミニはいけないもの。それを、当時の花組のみんなはわかっていたと思っています。
 そして、舞台を見にいくことに後ろめたさをもっていたわたしたち観客の心の荷物も回収してくれた。あの募金箱には、そんな意味もあったのだと思います。

 確かこのとき、かなりな金額が集まったのですよね。その金額は、すべての募金と合算されて、宝塚歌劇団からの義援金として131,000,000円が寄付されました。

【2012年の3月】
 壮さんは花組で、『復活』と『カノン』の東京公演中でした。
 この作品が選ばれたのは、「復活」というタイトルゆえではなかったかと、いま思います。震災の「復活」の望みもこめられていたのではないでしょうか。

 壮さんの演じたあっかるいシェンボックが大好きだったし、『復活』も好き。それから、『カノン』の第2景、壮さんが白いスーツとソフト帽で登場した船の場面が大好きでした。

 壮さんのこれまでの好きなショー場面でも上位に入る、とても美しいシーンです。「ノクターン(夜想曲)」と「ヴォヤージュ」という二つの場面から構成されていました。
 「波にさらわれて君は…」という哀しみをたたえたメロディーと船の情景、そして白いスーツ姿の壮さん。フェリーニの『そして船は行く』や、震災のイメージがまとわりついて仕方ありませんでした。

 この年には、『POWER OF MUSIC ―心はひとつ―』というCDも出されました。
 復興を願って、組ごとに生徒が集まって歌を歌い、スカイステージで収録風景が放送されました。

 1: 心の翼(花組)
 2: LOVER’S GREEN(月組)
 3: いのち(雪組)
 4: 生命こそ愛(星組)
 5: 未来へ(宙組)
 6: 明日になれば(専科)
 7: 小さな花がひらいた~もう涙とはおさらばさ(all members)
 8: すみれの花咲く頃(all members)

 番組もCDもとてもよかったのだけど、CDの売上に寄付金が入っていなかったことに心底落胆しました。東日本大震災のチャリティという名目にしたら、もっと売上も伸びただろうし、義援金として被災地に送ることができたのに。あまりに落胆して、CDが発売された頃にはかまってあげる気持ちがなくなっていた気がします。ごめんね。今月のうちにちゃんと聴きたいと思います。唄にはみんなの思いがこもっているから。
 毎年3月11日にはこの番組を放送するとかしてもいいんじゃないのかなあ。来年は、どうか放送してくださいますように。
 壮さんはこのときは花組。大きな口をあけて「心の翼」を歌う姿がかわいかったなあ。

【2013年の3月】
 壮さんは、中日劇場でのプレお披露目、『若き日の唄は忘れじ』と『Shining Rhythm!』を2月28日に終え、大劇場でのお披露目作品『ベルサイユのばら フェルゼン編』のお稽古中でした。

【2014年の3月】
 壮さんは雪組のトップスターとして、ドラマシティと青年館で『心中・恋の大和路』に主演しました。
 その初日が3月14日のホワイトデイだから、今日が『心中・恋の大和路』一周年になります。

 原作は近松門左衛門の『冥途の飛脚』。人形浄瑠璃(文楽)や歌舞伎(『けいせい恋飛脚』『恋飛脚大和往来』)、映画(『浪花の恋の物語』)になっているけれど、近松の戯曲にもっとも忠実で、なおかつ歌舞伎版のいいところをうまく取り入れているのは、この宝塚版だと胸を張って言えます。調べれば調べるほど、この脚本をまとめあげた菅沼潤先生の都護とは素晴らしい。忠兵衛と八衛門の人としての面白さが凝縮されています。傑作なんて、そうそうあるものでもないし、名作もしかりだけど、これは本当に宝塚歌劇が誇れる名作です。雪組の芝居巧者たちが集まって、本当に素晴らしい舞台を見せてくれました。

 愛とお金と死(生)についての「芝居」でした。近松が書いた当時は、バリバリの現代物です。今でいうならたぶん、シリアスなクライム・ストーリーといったところでしょうか。
 歌舞伎や、歌舞伎の要素が取り入れられた人形浄瑠璃では省かれてしまった忠兵衛のリアルな心情を、壮さんの忠兵衛は巧みに表現していて、ゾクリとするような美しさと色香に充ちていました。

 終盤が近づくほどに、舞台には濃厚な死の匂いがたちこめてきました。すべてが白い雪に包まれるラストシーンの感動は、言葉にしてはいけないものです。いろいろな解釈のできる物語だけれど、わたしは生のよろこびをうたっていると思いました。三月に観るのにふさわしい舞台だと。

【2015年の3月】
 そして今年は、こうやって振り返るだけ。でも、振り返る時間も大切なのだと思います。3月11日は、その日に何かをするための日でも、始まる日でも終わりの日でもありません。あの年の3月11日以降の日はずっと続いているのだから。

 『愛のプレリュード』『復活』『カノン』『心中・恋の大和路』。
 3年間が経ったということは、千日と少し、この間の3月に壮さんが出演した舞台には、不思議と死の匂いがありました。そして、どれもお金が重要なモチーフになっています(このことは、また別の機会に書いてみたいと思います)。
 
お守りのことを書いたけれど、ある種の舞台を観ることもまた、お守りに自分の心のかけらを縫い込めるような行為であるのかもしれません。舞台の上の人を見ることで、少しずつ心の荷物をおろしていけるような。

 「飛脚宿は亀屋の、忠兵衛だよう」

 飛脚か。『心中・恋の大和路』の忠兵衛が運んでいたのは、お金だけではなかったのですね。社会的には等価ではなかったのかもしれないけれど、お金よりももっと重い、愛を運んでいったのでしょう。そして、舞台に乗ることによって、観ている人の心のなかの荷物まで。

 初日の幕があいたのは去年のきょう、15時でした。ちょっと遅れてしまったけど、これからDVDを観ようと思います。