壮さんのキャリエールに誘われ、物語世界の地下深くをさすらっています(笑)。
だって、ほんとに深い…。いろんなことを考えてしまう。そして、その…、観劇中に思索する時間もあったし(笑)。あ、もちろん、舞台もちゃんと見ながらですよー。
「タカラヅカの『ファントム』を楽しみたい」という方にはおすすめしないけれど、少しでも『ファントム』の世界に興味のある方には、ウィリアム・ブレイクの絵、あるいは自作の挿絵付きの詩を読んでみることをおすすめします。
ウィリアム・ブレイクは、二面性ということにこだわった作家で、とくに彼の絵を見ると、『ファントム』の作者は、ウィリアム・ブレイクの世界にリンクながら書き上げたのに違いないと確信します(笑)。それほど、『ファントム』とは世界観が近い。
美しい自然のなかで、きよらかに微笑む子供たちを描いても、少し離れたところには、魔物がようすを伺っているとか。どんなに美しい場所にでも魔物は潜んでいるし、そういう「何かがやってくる」感に圧倒されてしまう。そして、その感じこそが、わたしが『ファントム』に求めているもので、タカラヅカ版の『ファントム』の演出にはそこのところが決定的に欠けていて、わたしはそこが物足りなかった。
(もちろん個人の感想です)
エリックの純粋性を強調するあまり、基本構造が壊れてしまっていたと思う。『ファントム』という物語が本質的にもっている二面性(仮面性)が、なくなってしまっていた。
エリックの純粋性についてはもちろん同意するし、テーマになるのもわかるけれど、それが仮面の下からのぞく瞬間がドラマチックなのであって、ストレートに打ち出されると、「君には仮面は必要ないんだね。オペラ座の地下だってもしかしたら…」ということになってしまう。
それにわたしは、どうしても従者たちの存在を受け入れることができないのです。
もちろん、従者たちはほんっとうにカッコよく、エリックと従者たちの場面がとてもカッコよく、この『ファントム』の見せ場のひとつになっていることは十分わかっているけれど、それでも物語的に見たらやはり、彼らの存在がストーリーを歪めてしまっていると思うのです。
コロスや亡霊だったらいいのです。それはあくまでもエリックの心象風景であり、物語の背景だから。でも、いのちをもつ従者たちが12人もぞろぞろとエリックといっしょに地下で生活していたということになると、エリックの孤独感が薄れてしまう。共同体に生きるのと、孤独に一人で地下にいるのとでは、絶対にちがうはずなのです。大人数の者がいる気配は消せないものだし、見ていても知らず知らずのうちに彼らの寝食の心配までしてしまって。それでは恐怖世界を味わえません(笑)。
あと、「音楽」に向けるエリックとクリスティーヌの情念のようなものも、もっと出ていたらよかったかなあ。
これはクリスティーヌにもいえて、「ファウスト」のように、成功を得るためには魂を売り渡すくらいの野心が見えてもよかったのではないかと思う。つまり、作品全体に、もっと「音楽」に向かう強い思いがほしかった。
これから東京公演に入るので、また変わってくる部分があるかもしれませんが、大劇場の『ファントム』は、とにかくそんな印象でした。
わたしの「キャリエール・ストーリー」はまったく個人的なものです。自分にとって納得できるストーリー(解釈)を書いただけで、それが正しい解釈であるとも思ってはいません。
ただ、じっさいに書いてみて、「ああ、これはもはやタカラヅカではないな(笑)」と思ったし、それはこの作品が本質的にタカラヅカ世界ではないことを示しているなとも思ったのです。
そういう意味では、今回の『ファントム』の意図は、神秘性や物語の多重構造的な深み、面白さはなくなってしまうけれど、エリックの純粋性を強調し、よりストレートにして、親しみやすくするところにあったのかなと思わなくもないのです。
ああ、有吉とマツコ・デラックスもテレビで言っていたなあ。
いまの時代は、「傘がない」という歌詞を書いても通じない、「ありがとう」とか「愛してる」とか、そのものズバリな言葉でストレートに言ってやらなければ通じない、そういう時代なんだと。
『ファントム』もホントにそういうふうにできている(とも考えられる)。
まあ、でも、『ファントム』の歌詞(比喩ですよ)の部分は個人的には好きにはなれないけれども、パフォーマンスという観点ではほんっとうに面白いです。
あんなに踊っちゃうファントム。あんなにカッコイイファントム。らんじゅさんだなあ。
大浦みずきさんが主演した、『ベルサイユのばら フェルゼン編』を思い出します。あの作品のフェルゼンも、劇中、カッコよく躍りっばなしで、めっぽうカッコよかった。でも、フェルゼンには見えなかった(笑)。
それでも、すべてをひっくり返すくらいのすばらしいフィナーレがついていて(植田紳爾作品のフィナーレでも、最上級クラス)、すべてをチャラにしてくれたのでしたが。
今回の『ファントム』もまさに、そんな感じかなあ。フィナーレには、「なつめさんのベルばらフィナーレ」ほどの力はなかったけれど、それは演出の問題もあるし、とーぜんだし(ごめん、らんじゅさん)。
あ、それでも、壮一帆ファン的には、二部構成になっている黒燕尾の場面はとてもとてもよかったです。
ん、これは勝手な言い分ですね。すみませんすみません(笑)。
まあ、そんなわけで、この『ファントム』には、二つの楽しみ方があると考えればいいのかな(笑)。
エンターテインメントの部分をらんじゅさんががっつり楽しませてくれ、物語を深ーく楽しみたい人には、壮一帆さんのキャリエールがじっくりとお相手してくれると(笑)。
もちろんお楽しみはそれだけではありません。花組の素敵な仲間たちの熱演については、またおいおい語っていくとして。
わたしの「キャリエール・ストーリー」も、エリック、クリスティーヌの視点からも物語を見て、もう少し続けてみたいと思います。
そんな感じです。
そうこうしているうちに、もうすぐ、8月7日がやってきますね。そして、『ファントム』東京公演の初日が8月12日。
キャリエールはまた変わったりするのかな。壮さんがまた何か企んでいるんじゃないかと考えると、わくわくしてきます。
(じつは今夜は『カナリア』のことを書くつもりだった(笑))