以前能力開発について思いついたことをブログに書いてきたが、その後調べてみると、私の方法は決して独自の方法ではなく、様々な人達が述べている方法と共通するものであることが分かってきた。そこで改めて従来の考え方を整理し、一巡のステップとして纏めておくこととしたい。

 

前提となること

 

 ① 本当に能力を向上させようとする意欲があること

   長年の経験上言えるのは、多くの場合「頑張ります」は単なるポーズである、

  ということ。「頑張る」の先の具体的な行動に移そうとしているか、そのために

  自分で「どうすれば良いか」考えようとしているか、そのような人だけが実際に

  能力を向上させることが出来るのだ。「求めよ、さらば与えられん」(新約聖書

  「マタイ伝」)である。

 

 ② 学習障害ではないこと

   通常の場合、効果が出るのは「早いか遅いか」の違いである。以前理解力はあ

  るのだが、30分もすると完全に頭がクリアされてしまう生徒を教えたことがあ

  る。いくら頑張って教えても、次の回もまた同じことを繰り返す以外出来なかっ

  た。ここまで来ると「治療」の問題であると思う。障害とまでは言えないにして

  も、多くの人は多かれ少なかれ何某かの「知的傾向」を有するものである。その

  傾向を知った上で、対応策を確立することが大切である。私は副校長になった

  時、自分自身の「ポカが多い」という欠点を克服するため、大きなクリアファイ

  ルを買って、そこに1日から31日までのラベルを貼って、提出書類や会議・出

  張の予定等を挟み込んで、毎日それを見れば大丈夫、というシステムを作った。

  いわば自身の記憶容量を補完する「外部記憶装置」を作ったわけである。

 

 ③ 知的好奇心を持つこと

   若い頃お世話になった先生が、某進学校で時間講師を兼業していた時の話。

  「重複は『じゅうふく』じゃないぞ。『ちょくふく』と読むんだぞ」と行った

  ら、皆が一斉に辞書を引き始めた、とのことである。このような事が条件反射的

  に出来ないと、なかなか厳しいだろうと思う。わからないこと、疑問に思ったこ

  とは「すぐにググる」習慣づけが後々大きな意味を持ってくるのだ。このような

  何気ない習慣が、知識を芋づる式に増加させていくこととなる。

 

 ④ 時間管理が出来ること

   スマホが脳の発達を阻害する、という研究があるそうである。しかし今更「止

  めろ」ということも難しい。例えば勉強後の息抜きの30分だけ、というような

  使い方ができるかどうか。意思の弱い人は難しいだろうな。これを克服するため

  には「前頭葉の強化」が必要となる。これについては後述する。

 

 ⑤ 目標が見えていること

   どんな自分になりたいのか、漠然とでも良いから見えていると頑張りがいがあ

  るものである。しかし、具体的な職業に落とし込むのはまだ早い。力がついてく

  ると、見ることが出来る夢が違ってくるのだ。更に具体的な選択は、実は「何を

  捨てるかを選択している」ということになる。自分は文系だから数学はいらな

  い、と言うように。早すぎる文理選択に対して、中教審等が極めて強い憂慮を表

  明しているのも、この文脈で理解すべきである。

 

準備行動

 

 ① 記憶術をマスターする

   元々頭のいい人は、まぁどうでもいい。そんな人は何をやっても勝手に覚えて

  いくだろう。だから私は「東大生の・・・」というような本は殆ど信用していな

  い。東大生(実はそんなに大したことは無いのだが・・)が自分でも気づかな

  い、隠された学習のメカニズムに興味があるのだ。だから、我々凡人こそは記憶

  術を意識的に学ぶ必要があるのだ。と言うと「単なる知識ではなく、創造性が

  云々」というようなことを言い出す人が必ず出てくる。しかし、少し考えれば分

  かることだが、何の知識も無ければ創造など出来ない相談なのだ。

 

  「情報の真空地帯にオリジナリティは発生しない」(上野千鶴子)

 

   さて、複雑系理論によればモノが多く集まると周囲との間にネットワークが形

  成され(「自己組織化」という)、さらにそれらが同期することで一体的な動作

  が形成されるという。勝手に点滅していた蛍がいつの間にか同じリズムで明滅す

  るようなものである。知識も同じことが言えるのだ。多くの知識が協働して新し

  いものを作っていくことが創造なのだ。だから知識を得る、という作業をおろそ

  かにしてはならない。

   我が国における記憶術の開祖は渡辺剛彰氏。「一発逆転!ワタナベ式記憶術」

  は随分と参考になった本であるが、現在絶版である(Amazonで中古が入手可能

  である)。この本にはなぜ氏が記憶術に開眼したかが書いてあり、まことに興味

  深い。大凡以下のような話である。

   あまりにも出来の悪い氏に対して父親が「1週間学校を休め」と言って山奥の

  温泉に連れて行ったそうである。いつ怒られるかとビクビクしていると、ただ温

  泉に入ってのんびりする日が続いたそうだ。拍子抜けしていると、最後の夜に記

  憶術を伝授されたそうな。それからというもの、授業中「全くノートを取る必要

  がなくなってしまう」ことになる。さらに成績も急上昇して、東大に入り、文学

  部!在学中に司法試験に合格してしまったそうである。

   具体的な方法については実際に読んで頂くしか無い。新板で入手可能な本もあ

  るようなので、そちらでも良いかもしれない。確実に記憶術が身につくことは保

  証する。

   もう一つお勧めは、以前の円周率記憶の世界記録を持っていた友寄英哲氏の

  「3秒集中記憶術」(絶版)である。おそらく誰でも500桁程度なら一月もあ

  れば記憶できる方法が書いてある。100桁で良いのなら1~2時間もあれば十

  分可能である。時々「円周率の暗記が特技です」という人をテレビで見るが、実

  は誰でも出来ることなのである。

   どちらの本も新板で入手可能な別タイトルの本もあるので、古本に拘る必要は

  ない。暇な時に一気に読める本であり、こんなものに出会えるかどうかがその人

  の一生を左右しているような気がする。

 

 ② 情報を変換する習慣、すなわち「考える」ための作業

   生徒は授業中先生の板書をノートに書き写しているが、これは勉強ではなく、

  実質「写経」である。

 

     情報A ⇒ 情報A

 

   ここには何ら「考える」という要素が無いことになる。知識もそのまま蓄えれ

  ばよいのではなく、「自分で使える状態」にして蓄えなければならないのだ。

 

     情報A ⇒ 情報A' ⇒ 情報A'' ⇒ ・・・

 

  という具合に。この事によって、初めて情報は、他の情報とリンクし始め、単な

  る知識を超えて創造の域へと昇華していくことになるのだ。ここを具体的にどう

  するかは「実践編」で述べることにする。

 

 ③ 前頭葉を鍛えるためのトレーニング

   子供たちのイジメ、老人の乱横断等は前頭葉と関係している。前頭葉(特にそ

  の大部分を占める「前頭前野」)は脳の「司令塔」である。何をして、何をしな

  いのか、ここが司令を出している。子供の場合は未発達、老人の場合は老化で機

  能不全になっているのだ。一人前の大人でもオカシナ人達は、結局「前頭葉の弱

  い人」なのだろう。最近は頭にきても「可哀相に、この人はすぐにボケるんだろ

  うな」と思うことにしている。

   さて、この前頭葉であるが、当然能力開発にとって生命線とも言うべき役割を

  担っている。そこで、如何にここを強化するかが問題になってくる。大人の場合

  はマルチタスクが求められる料理が極めて有効なのだそうであるが、子供たちの

  場合は違う方法で行くしか無い。そこでお勧めが「音読」である。ものは何でも

  良いのだが、例えば「論語」(幼稚園でこの素読をやっているところがあるよう

  である)、「百人一首」(最近まで101首あると勘違いしていた(^_^;)、古文学

  習の手始めとしてかなりお勧めと聞いたことがある)、そして私のお勧めが英語

  の例文である。中でも「ALL IN ONE」が関連書籍やCD、スマホのアプリ、ネッ

  トの補足資料等を含めればほぼ完璧(文法、構文等のすべてを網羅している)の

  布陣である。しかし、学習参考書としてはあまり認知されていないようであり、

  この本を知っている(英語の)先生はほとんどいない。彼等が知っているのは、

  教科書会社の傍用問題集の類に限られるのだ。だから(すべての教科に言えるの

  だが・・)彼らに対して「どんな本が良いですか」と聞いてはいけない。

   その一方で、この本は中・韓・台でも翻訳され、また有名進学校での採用実績

  も結構ある本なのだ。これが難しい(最低でも英検準2級程度を要する)と言う

  人は、より簡易なバージョンもある。毎日「大きな声で」音読し、記憶してしま

  えば、同時に「英語脳」も作ることが出来るだろう。私はこれまで何度かチャレ

  ンジしてその都度挫折しているのだが、少なくとも数十ページ分の例文について

  は完璧である(^_^;)。

   さて、脳科学的には「やる気」という概念は存在しないらしい。取り掛かって

  「乗ってきた」状態を「やる気が出てきた」と認識しているだけ、らしい。つま

  り、四の五の言わず取り掛かることが大事なのだが、そのきっかけをどうするか

  が重要な問題になってくる。つまり、学習を始める前の「儀式」をどうするか、

  ということだ。この「儀式」として「音読」はどうだろうか。ボソボソ言っては

  いけない。大きな声で脳を活性化させるのだ。もやもやした気分を振り払うつも

  りで、まるで読経するようにやってほしいものである。

 

(続く)