責任という言葉はきらいだ。
たいていは、誰かの罪を問うために使われる言葉だからだ。
誰の責任なんだと叫ぶときは、裏を返せば
自分の責任ではないと言いたいのだ。
でも、誰かを責めても事態は変わらない。
問題解決にはならないのです。
問題が発生したときは
その問題を解決するために
自分ができることを考えたらいい。
しかし
時には、責任という言葉を使いたくなっちゃうんだな。
自分の力量が低いからだろうか?
各自の担当を確認して割り振った仕事が
期日までに終わらない。
しかも担当者に確認すると、まるで他人事のように
その話をするのだ。
こうなってくると
相手の意識を変えないと
仕事が前に進まない。
相手を責めずに、仕事を進めて行くのが理想だし
それが一番効率がいいのだけど
チームでものごとを進めるときは
みんなが同じ方向を向いている必要があるのに
よそ見をしている人がいると言うこと
目的を理解していない人がいると言うこと。
残念なことですが
叱咤するしかないのでしょうね。
または、叱咤に匹敵する
強いコミュニケーションが必要と言うことです。