公文式は、使い方ですごい薬になる3
前回に引き続き
インスパイアされたサバ缶さんのブログです
今回の記事で、再度公文が登場します(笑)
※長文になりますが、よろしければお付き合い下さい。
中学生になった私は、中学受験のストックと、公文で鍛えた数学でやる気なくも過ごすことができました。
そして、英語はマイケルの英語教室(UNOデュエリスト養成所)に通っていただけですが、謎の自信がありました。
半年以上1年未満の英語教室で習得したのは、1~9の単語、4色のカラー、そしてピザ
にもかかわらず、英語教室に行っていた学校唯一の子として、あたかも帰国子女のような気分でいたのです。
そんな、メッキよりも薄い偽帰国子女の英語の成績は下降の一途をたどります。
危機感を覚えた私は、考えました。
そうだ、「やっててよかった公文式 英語があるじゃないか」
こうして、私は再度公文式の門を叩くことになったのです。
前に通っていた教室は英語をやっていなかったので、そこにどこかないのかと聞くと
通っていた小学校の前にある英語対応の公文を紹介してもらえました。
これで3つ目の公文式に通うことになった私。
公文式は、前にも触れましたができるところの前まで戻ってスタートします。
そう、中学に入ってしばらくたつ、しかも英語教室帰りの偽帰国子女の私がアルファベットの練習からやらされることになったのです。
まさか、ここにきて「りんご」を書きまくる日がくるとは。
私の何かにスイッチが入りました。
こんなペースでは、負けてしまう。思春期の私は、負けが許せません。
またもや、公文の先生の忠告を無視してハイピッチ勉強を開始します。
そもそも公文でハイピッチにやると高確率で嫌がられます。
なぜかって、先生の採点がめんどくさいから。おまけに、本部から教材買うけど、生徒はサブスク型で料金は一緒。たしか教材の学年があがると本部の値段が高かったはず。
中2前から始めた私は、一気に中学範囲を終わらせ高校範囲に突入します。
私が住んでいたエリアですが、かなり変な場所でした。
放課後や、休みの日には近所の集会所前に、駄菓子を売りに来るおじさんがいました。
それぐらいは、昔ならどこでもありそうな感じしますよね。パット見は紙芝居のおっさん風。
しかし、そのおじさん(以下おっさん)は、リコーダーの上部分だけを外して吹きながら現れます。
その音を聞きつけた近所のキッズ達は、おっさんに引き集められます。
さながら、ハーメルンの笛吹男 ~リコーダーver.~
そのおっさんの愛称は「ピーピーのおっさん」
リコーダーをお持ちなら上だけで吹いてみて下さい、『ピー、ピー』と鳴ります。
おっさんは、集会所前でおもむろにシートを広げます。商売開始です。
おっさんのシートでの販売商品は、バラ売り。
何をって。
商品例、かりんとう 1本1円(賞味期限不明) シート直置き。鈴カステラ 1個5円(賞味期限不明) シート直置き。
こんな感じで、いつ開けたか、いつ期限のものか、元の袋は不明。
質問をしても「食べられるから大丈夫」と自分で食べて見せてくれる実演販売方式です。
ただ、このおっさん数日みないことがしばしばありました。
おっさんに何で来なかったのか聞くと
「お腹こわしてた」と歯がほとんどない顔で説明してくれました。つまり、そういうことです。
お金のない子が多いエリアだったので、そんな疑問に答えてくれたおっさんのかりんとうは、大人気商品でバカ売れしていました。
売れ筋ランキング圧倒的1位は、かりんとう
私は、親からきつく買うのを止められていたので、買うことはありませんでした。ただ、おっさんに興味があったのでおっさんに質問をしまくっていた迷惑客でした。
おっさんの話はさておき、そんなエリアだったので勉強を少しすれば上位に簡単にいくことができたのです。
地域格差の逆恩恵です。
再び、英語で息を吹き返した私。
学校に行くのが少しめんどくさくなります。当時内申は3年生から。
ということで、私は1、2年は好きにすごしていい期間と勝手に解釈して、きまぐれ登校をするようになります。
きまぐれ登校の理由は、昼にやっていた再放送の銭形平次の時代劇をリアタイで見たいから。
時間軸がぐちゃぐちゃな理由です。
一見不登校になりかけた子に見えた私は、担任、学年主任に心配をされはじめます。
どうした、いじめか、なじめないのかと、やいやい質問を浴びます。
ただ、『再放送の銭形平次の時代劇をリアタイで見たい』なんて言えません。
口を閉ざす私をはげまそうと色々してくれるのですが、私の生活は変わりませんでした。
めんどくさがりな私は、テスト対策を最短でやっていきます。
予想問題をたてて、特に応用問題から手をつけていきます。逆スパイラル。応用問題に必要な基礎要素だけを逆にたどっていく勉強法でした。
自分の子供には絶対させたくない勉強法です(笑)
さすがに、こんな勉強法を続けていてはと思った私は、中学受験で通った塾の中学コースの門を再度叩くことになりました。
そして、再度井の中の蛙になっていた事を思い知らされます。
学習しませんね、私は。
大手集団塾のすくないエリアなので、市中の猛者が集っている状況でした。
またまた、周回遅れな感じで塾生活が始まります。
ただ今回は、中学受験とは違います。正攻法な勉強をしていくことに。
そんな塾生活送りながら、学校では副生徒会長にもなり、それっぽい中3になります。
人生を大きく変えるイベントが発生します。
塾の夏合宿。
同じ部屋に、全国模試で2位に常にいる子がいました。
その子は、ザ・コツコツ型
私との真逆の勉強法。そして、性格がめちゃくちゃいい。
その子にとって成績は、わからないところを潰していった先にある結果。
反抗期真っ只中な私は、そこで悟り決断します。
今さら真っ向勝負で勝てない。違うルートから勝負しよう。
早速合宿から帰ってきた私は母に言います。
「塾をやめる、志望校も変える」
全方位からストップがかかります。
しかし反抗期真っ只中の私は聞く耳をもちませんでした。
自慢ではなく、偏差値的には市中で一番の高校に届いていました。しかし、あの子には勝てないと思った私は、県下初の学科ができる田舎からさらに田舎の通学2時間の学校を志望校としたのです。
今思い返しても血迷っていたとしか言いようがありません。
学校のランクは5個ぐらい落ちる学校なので、高校受験勉強は自分的にはもはや不要でした。
受験勉強を勝手に終了させたので、まさかの中3秋に退塾。猛烈に引き止められましたが。ただ、英語はこの先も使うからと公文は続行。
同級生からは、何かあったのかと聞かれまくった高校受験。先生もご勝手にとアドバイスもなくなりました。
単線の電車ではなく汽車(ディーゼル)を2時間乗り継ぐ通学がはじまります。
次回、高校編、公文との付き合いはクライマックスへ