公文式は、使い方ですごい薬になる2(英語との出会い編) 

 

 

前回からの続き

 

 

こちらのサバ缶さんの記事にインスパイアされて書き出し始めた記事です

 

 

※長文になりますので、読んでも構わないという方はお付き合い下さい。

 

中学生になった私は、前回に書いた通り中学受験と公文の余力で勉強をサボるようになります。

 

自慢じゃなく、その余力で常学年で5位以内にいました。

 

しかし、その余力も英語では通じなくなってきました。

 

前回書き忘れていたのですが、通っていた中学受験塾が英語教室を始めたので私は、数ヶ月英語教室にも通っていました。

 

みなさんのイメージする英語教室は、ECCのキッズ講座みたいなものかと思います。

 

その中学受験塾は、これからは英語だと勢いで始めたのでしょうか、ノウハウも無ければ教材の準備もありませんでした。

 

ジョンという、いかにもアメリカ人らし名前の白人、ザ英語教師による白熱の英語教室が始まります。

 

教室の人数は、20人ぐらい。

 

いきなり始めたわりには中々の人数です。

 

それもそのはず、受験講座がない曜日に設定されており、これからは英語だと受験時期にもかかわらず宣伝してくる講師を真に受けた塾生が通うことになったからです。

 

田舎の子供であった私は、英語できたらもっと強くなるじゃないかと思い講師の宣伝にのっかり通うことを決めたのです。

 

本来なら、周回遅れの中学受験生にその余裕はありません。講師は逆に止める立場ですが、ノルマがあったのでしょうか、大歓迎で英語教室がスタートすることになりました。

 

ミスター英語教師こと、ジョンはどこからか引っ張ってこられたのか非常に上手な授業でした。

 

しかもジョン、奥さんは日本人で日本語もペラペラです。

 

そんなミスター英語教師ジョンとも、始まって2ヶ月後に突然のお別れがやってきます。

 

決まったカリキュラムも、テキストもありませんがきっとジョンは次の英語教師にも引き継ぎをしていってくれていると、教室20名が信じていました。

 

次にやってきたのは、太っちょマイケル。

 

なかなか体の大きいが、瞳のきれいなアメリカン男性。

 

田舎育ちの私は、黒船がやってきた江戸時代の人の気持ちがわかる気がしました。

 

私の中で未だに伝説なのが、この太っちょマイケルです。

 

マイケルは、独身で経緯は不明ですが急遽呼ばれたようで戸惑っていました。

 

戸惑う太っちょマイケル、戸惑う20人の子供達。

 

この塾は、英語教師に日本人補助をつけていませんでした。

 

それが、さらなる悲劇を生みます。

 

マイケルは、かなり日本語が出来ない。ド日本人な私たちは、マイケルとのコミュニケーションに苦労します。

 

カリキュラムも、テキストもなく日本語も出来ないマイク、英語の聞き取りなんぞ到底無理な田舎のキッズ達。

 

マイクは、何かを考えてきたのでしょう必殺アイテムを出してきます。

 

『UNO』

 

親睦をかねて、ゲームねと私たちは大変喜びました。

 

マイクは、喜ぶ子供達を見て嬉しかったのでしょう。

 

翌週も『UNO』、その翌週も『UNO』、そのまた翌週も『UNO』

 

勘の良い子供達が気づき始めます(もしくは、子供から話を聞いた親たちが)

 

週を重ねる度に子供が減っていきました。

 

もはや、英語教室ならぬ『UNOデュエリスト教室』

 

上達するのは、英語ではなく『UNO』なのです。

 

UNOにはまった私は、家用にUNOをおじいちゃんに買ってもらいました。

 

この時の経験で、今でもUNOは負けません。しかも、ルールはアメリカ仕込み。

 

気づけば子供は、5人ぐらいになっていました。

 

そこにいるのは、真の『UNOデュエリスト』

 

白熱したUNO大会が、開かれていました。月謝5,000円(月4回)は、もはやUNO大会の会費です。

 

そんな状況になり、本部も焦ったのか、マイケルが焦ったのかはわかりません。

 

突如、マイケルが「今日は授業から始めます」と当たり前の事を言い出しました。

 

やっと英語教室らしいことがはじまるのかと5人は集中します。

 

マイケルが始めた授業は、『ピザのデリバリー電話の練習』

 

きっとマイケル的には、実践に即した使える英語教室を始めたつもりなのでしょう。

 

宅配ピザが始まり出した頃です。(マイケルは都会から通勤)

 

しかし、田舎の私たちは、まだ宅配ピザの配達エリア外でした。

 

そんな頼めもしない、実践ピザデリバリー電話講習が始まります。

 

マイケルに言わすと、シカゴピザが本場アメリカに一番味が近いらしいです。

 

ただ、マイケル的には日本のピザは小さいとぼやいていました。

 

私は、未だに職場でピザのデリバリーを頼むときにはマイケルに教わったピザのトリビアを披露しています。(ありがとう、マイケル、需要はないけど)

 

しかし、子供は5人、中学受験生です。頭がキレキレの状態の子供達なのであっという間に「ピザデリバリー注文マスター」に仕上がります。

 

次の週、マイケルはどんな授業をはじめるのだろうと楽しみいきました。

 

次の週の講座は、「ピザにトッピング追加するバージョン」

 

真の『UNOデュエリスト』に加えて『デリバリーピザマスター』にしたいようです。

 

真面目な中学受験生達、一生懸命にトッピングの追加注文を覚えていきます。

 

この経験で、ピザのトッピングを臆すること無く出来るようになりました。

 

 

しかし、マイケルの引出は限界にきたようです。

 

次の週からは、半分UNO、半分ピザデリバリーの練習になりました。

 

そんな教室が数週間、いよいよ子供が3人になりました。

 

さすがにマイケルは感じたようです、

 

私が帰る際に片言の日本語で「モウ、ダメカモネ」

 

今なら返せる「ドンマイケル」

 

当時の私は、「来週も来るからと言いました」

 

マイケルも恐れていた日がやってきます。

 

教室に行くと私一人。

 

ついに、真の『UNOデュエリスト』になったようです。

 

マイケルは、困った顔で「今日で教室おしまい」と。

 

こうして、英語教室は閉じることとなりました。

 

 

英語教室が長くなったので、本題は次回書きます。

 

長々とすいません。

 

お付き合いいただけると嬉しいです。

 

コメントもありがとうございます。本当に書く励みになります。