チェチェン共和国変身記 (1) | ソ連風来坊のブログ

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台湾出身の一匹狼、旧ソ連陣営と東アジアを報道

ロシアという世界最大の国では不思議な激変がときどき起きている。


ここ数年間、西側にずっと経済制裁と封鎖を受けながらも多くの地域で建設が素早く進み、不思議な激変を成し遂げた。


まずは写真より確かめましょう:



美しい夜景に映されたモスク、中近東、或いはイスラム圏のどこかの国だと思われがちだが、実は、ここは正真正銘のロシア!場所はチェチェン共和国の首府グロズニ、モスクは「チェチェンの心臓」(Сердце Чечни)と呼ばれ、2008年に建てられた。

 


さらに先月下旬の8月23日、同共和国の町シャリ(Шали)でヨーロッパ最大のモスクが幕を開け、3万人が入れるそうだ。その名は「ムスリムの誇り」(Гордость мусульман)。当日、100人ほどの外賓を含めていっぱいの信者が集まる大盛況だった。

チェチェン共和国、ソ連崩壊後は一番先にロシアに立ち向かい、独立を訴えながら熾烈な戦争を繰り広げてきた。戦争はロシア軍に制圧されて負けたとは言え、後にテロリストが浸透して破壊活動を続け、殺戮を繰り返す。前世紀90年代より今世紀初期までの時期はまさにテロの温床と呼ばれるほどロシアでは最も危ない地域と認識されていたーーー

当時、地獄同然の惨状は今日の平和と繁栄とは極端な対照、姿がそこまで一変できたとはなかなか考えられないーーーー

かつて戦争の地獄を平和に戻らせる功労者は、この方の右に出る者がいないようだ:


アフマト・カディロフ(Ахмат Кадыров)、チェチェン共和国初代大統領、地元イスラム聖職者の出身で親ロシアの立場だが、我が故郷をテロに踏みにじられたことを看過できず、危ないと承知しながら大統領に転戦した。当時、同氏が残した名言は:


”私はずっと前からワハビズム(ваххабизм、過激なイスラム原理主義教派)には大反対、あらゆる方法でテロと殺戮を止めて故郷を暴徒の手から解放させ、人々がちゃんと就職して給料をもらえ、安定な暮らしに戻らせるように全力で戦う。”


同人の努力によってテロリストや反ロシア武装組織が弾圧されて他所へ退散したが、陰で逆襲を狙っていた。2004年5月上旬、地元のある集会に出席したカディロフ前大統領は爆弾テロにやられて他界した。53歳未満の壮年だった。


カディロフ前大統領は亡くなったが、その遺志を後継者が受け継いで頑張り続けた。


(続く)


参考した資料はこちら:

http://kspgrozny.ru/index.php/novosti/item/47-67-letie-so-dnya-rozhdeniya-pervogo-prezidenta-chechenskoj-respubliki-akhmata-khadzhi-kadyrova 

https://www.1tv.ru/news/2019-08-23/370994-bolshoe_sobytie_dlya_musulman_v_chechenskom_gorode_shali_otkryli_samuyu_bolshuyu_v_evrope_mechet

https://dletopic.ru/blog/43675249648/Mechet-%C2%ABSerdtse-CHechni%C2%BB

 

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