6月21日は父の日だったんですね。
イタリアの父の日は、違うの。
イエス様の養父(マリア様の夫)、ヨセフ様(イタリア語でジュゼッペ)の日で、
3月19日が父の日です。
当たり前のように、母の日はこの日、父の日はこの日と思っているけれど、
国によって母の日も違えば(イタリアは母の日は日本と同じですが)、父の日も違う。
おもしろいですねー。
わたくし、イタリアの父の日に、のっぽ(夫)パパに電話するの忘れちゃったの
毎年仕事場から休憩の時に電話するか、家に帰ってからのっぽと一緒に。
今年、のっぽに「電話しよう」って言ったら「え、ボクもうしたよ。」って言われて
「じゃあ、夕飯終わったらするわ」、と言って忘れた~。 やっちまったー
わたくし、実の父は、生きているのか死んでいるのかわかりません。
今どこにいるのかなー。
普段、思い出すこともありません。
中学に入るかそこそこで、親の離婚を願っていました。
わたくしが20代半ばで、やっと両親が離婚した時の解放感ったら。
父の遺産があったとしてもいらないし、籍も抜きました。
社会人の時、上司が飲み会の帰りに家に送ってくれた時に
親のことを聞かれ、少し話したら「お前、よくグレなかったな。」と言われました
温かい家庭の方からすると、ドン引きされるかもしれませんが、
母を悲しませたくない思いから、現実にするつもりはなかったけれど、
いつか父を殺してしまうかもしれないと思ったことはあります。
そうだなー、もし父に感謝するとしたら、
この世に命をくれたことと、大学の学費を(出すことに色々あったにしろ)出してくれた事かな。
今にして思えば、彼のおかげで
精神的な自立は早かったかも。親を1人の人間として見る目も早めに持っていたし。
冷めたガキだったかもなー
中学生の頃から、やれることとしっかり稼ぐには何の職に就いたらいいか考えたり、
ストレスに強くなったり、生きていく上の優先順位が結構早いうちからわかっていたかも。
実際、
わたくし、社会に出ることばかりを考えて、
大学までずっと、一生懸命勉強して、結構良い成績でしたし
自分と母たちの2世帯の生活費を稼ぐことや、人生、お金で大半のことができるので
20代は、がむしゃらに働いて、将来生きていくお金のことを考えていたかも。
男性の業界で出張しまくって営業として働いたり、そのあとマネージメントしたり。
子供の頃は、我慢強いとよく通知表にも書かれていたなぁ
いっくらでも「信じられない!」とか「大変だったね」と言われるようなネタはありますが、
いつまでも覚えていても仕方がありませんし、過去の事。
そして、向こうは反論できませんので、ここでは省略。
極悪人じゃなかったとは思いますけど、家族を持つべき人ではなかったなーと思います。
父親運はなかったですが、だからと言って不幸だったかというとそうでもないです。
高校の時、「見ると笑ってる。」って、先生に言われましたし
とはいえ、
小学生の時から数年間、激しい頭痛と吐き気で、毎月休んだり、
脳波の異常が出たこともあったし、
高校生くらいの時だったかな、体調悪くないのに急に吐き気がしたり、
結構大人になるまで、異様に手汗をかいたり。
ストレスに強いと言いつつ、今思うと、ストレスで出た症状だったのかもなー。
ちょっとプライベート書きすぎたかなー、そのうち消したらごめーん
父親がいなくて悲しい人もいれば、父親がいて悲しい人もいるし、
父違いで楽しい日々を送っている人もいれば、
父が違うことで、つらい思いをしている人もいる。
同じ状況でも、不服に思う人もいれば、幸せだと思う人もいるし、一概に言えないよねー。
どうしようもないのよ、生まれた環境は。
ただ、もし今、ツライ思いをしている方がいるなら、
相手のせいで自分の人生を壊すことのないように踏ん張ってほしい、と思います。
仲良しのご家族をお持ちの方は、
いなくなった時に後悔しないように、電話なり、なんなりした方がいいよ~と思います。
思い返すと、やっぱり戦争で、毎日が生きるか死ぬかじゃなかっただけ、
わたくし幸せだったと思います。 近いものはあったけど
人生いろいろあるよねー。
渦中は難しいかもしれませんが、
終われば冷静になって、客観的にみられるようになります。
おかげで今、夫婦で何かあってもすぐにイヤにならないのは、ある意味ラッキーかな
大丈夫、大丈夫☆自分次第だから
ランキングが、イタリア生活と更新の大きな励みになっています
ポチポチっと、いつも一手間ありがとうございます
↓ ↓
FBページに「いいね」を押していただくと更新のお知らせが届きます。
インスタグラムやってます。
主にイタリアのサラリーマンランチレッツ・フォロー☆
フェイスブック・インスタグラムをされていない方もご覧いただけます。