9月2日(月)から夏休み終わりの会社がたーっくさん。

明日の(イタリアはまだ1日の夜です)電車がこわいわぁ。

混んでいませんように。

 

イタリアの学校は9月の中旬から始まるから、子供たちはまだ夏休み。

うちの近所の幼稚園もきっと休みだろう。

 

 

さて、1泊旅行の最終回。

 

前回みた屋根のないサン・ガルガーノ修道院から徒歩数分、

小高い丘の上にある

 

 

 

 

モンテシエピ礼拝堂 L'Eremo di Montesiepi

 

サン・ガルガーノ(聖ガルガーノ)さんの最後の住処になった場所に

1181年、彼の死の直後に建て始め、1185年に奉献されています。

 

前回の教会より以前にできています。

 

建てたの(責任者)は、当時のローマ法王ルーチョ3世の許可を得た

現在のピサ県ヴォルテッラの司教。

 

サン・ガルガーノ修道院の裏に、「モンテシエピ礼拝堂はこちら」

と書いてあったので、進むと、

 

 

 

 

すんごい獣道。

ここはまだ、なだらかな方。この後、石というか岩がごろごろの

ぼっこぼこの道が。

 

もし行かれる方がいらしたら、

一旦、修道院から駐車場方向に来た道を戻って、

車用に整備された道を通ってモンテシエピ礼拝堂にいかれる方が

しんどさがゆるいです。

 

わたくしたちも、礼拝堂のところにも駐車場があることは知っていたのですが、

うちの車がね。。。

もうかなりのキロ数走っていて、買い替えの限界まであと少し

という状態なので、あの坂を登らせるのはかわいそうと思って歩きました。

 

長い距離ではないので、自分で歩いても大丈夫でした。

 

 

 

 

礼拝堂の内部。

 

窓のところには、受胎告知のフレスコ画が。

 

 

 

 

礼拝堂の天井。

 

ずっと見ていると、目が回りそう(笑)

 

ここで祭られているガルガーノさん、

現在のシエナ県の貴族の生まれで、やっと生まれた長男。

その後、騎士になります。

 

その後、大天使ミカエルに導かれることになります。

昔は隠居者として、信仰の道に入ると

家族にも会えません。

彼の母は、もちろん反対し、貴族の娘さんをお嫁さんにセッティング。

彼はそれを頑なに拒否。

 

で、ここモンテシエピに来るわけですが、

それが1180年の12月25日のクリスマスの日、

だそうです、Wikipediaによると。

 

これまで、騎士として生きて、剣を持っていたけれど、

武器を十字架にかえるため、

その剣を岩の裂け目に突き刺したら、深く突き刺さったー!

 

 


 

というのが、こちら。

 

シエピの丘(Montesiepi)に彼がさした剣を今も見ることができます。

 

伝説は、伝説であって。。。なんてことも多いので、

剣について調査したところ、
剣に使われている金属は12世紀以前のものであると証明されました。

 

 

ガルガーノさんがローマに巡礼に行っている間に

彼にに嫉妬を抱いていた修道士3人が、この剣を引き抜こうとしたが抜けず。

岩から上に出ている部分だけが折れた。

 

その直後、この修道士たちは、

1人は川に落ちて溺死、もう1人は落雷で死亡、

3人目はオオカミに腕を引きちぎられたが、

ガルガーノさんに救いを求め(祈って)、命を取り留めました。

 

宗教にかかわっている人だから、みな清いかと言ったらそうじゃないもんね。

そもそもキリスト教はキリストの前でだけみな平等だし、

歴史を見ると、争ったり、侵略したりの血の宗教ですし。

昔は修道院は、餓死しないため(に行く)の施設という意味合いもありました。

 

ガルガーノさんは巡礼から戻り、自分の刺した剣が壊されているのをみて

まるで十字架が壊れたように心を痛めていると、神が現れ、

「壊された部分を、刺してあった岩のところに置くと、元に戻る」と。

ガルガーノさんが言われた通りにすると、剣がまたつながり、

以前よりもさらに強いものとなりました。

 

このエピソードは、

シエナ国立美術館のジョヴァンニ・ディ・パオロさんの絵画に描かれています。 

 

 

 

 

剣が刺さっています。

 

ガルガーノさんは、1181年11月30日に亡くなります。

モンテシエピに来て、1年未満。

亡くなった日時は記録が残っていますが、生まれは1148年とも、

1148-1152年の間とも。

 

天使に導かれ、1年未満で天に召されてしまうとは、

なんでなんだろう。

 

個人的には、イエスの亡くなった33歳で亡くなったことにすると

聖人としてのイメージもいいから

1148年にしたのでは?という気がします。

 

そして、死後わずか4年で、聖人宣言をされています。

 

 

この礼拝堂の横の小さな部屋では、かなり高齢のご夫婦(推定80歳以上)が、

教会のカードや、十字架などの教会のものや、

この辺りでとれたハーブや、はちみつ、ジャムなどを販売しています。

 

 

 

 

左がマンダリーノ(冬に食べるミカンに似てる)のハチミツ、

右は、前半のポプロニアに行ったとき、その地域でとれたマッルカ、

別名キリストの棘と呼ばれる木からとれたハチミツ。

 

礼拝堂では、ハチミツの定番、アカシアや、

ヒマワリ、コーヒー、栗の木などイタリアでよく見るものもありましたし、

ビワの花のハチミツなどの珍しいのもありました。

 

 

このご夫婦が、もうね、親せきのおばあちゃんみたいなの。

ハチミツを買ったら、紙袋に入れてくれて、

「落としたら割れちゃうからね、紙袋の下に手を添えていくのよ。」ってうれしい顔

 

「はい!気を付けて持っていきます。どうもありがとう!」

と思わず出ちゃう。

 

 

 

 

ポプロニアのマッルカは、美味しさも濃いが、

デリケートなあっさりしたのが好きな我々には、思っていたより

パンチのある甘さだった。

紅茶や、料理に使う分にはいいかな。

 

海の近くだから、ミネラルも入って美味しくなるのかもな。

 

 

 

 

さて、こちらは礼拝堂で購入した、

繊細な味に、べったりしない甘さのマンダリーノ。

美味しい。

 

マンダリーノのハチミツは、以前南イタリア産のを買って

ものすごくおいしかったのだけど、それ以来、目にする機会がなくて

今回、おおっ!!とすぐに手にしたのですが、

あら、南イタリア産のほうが感動的においしかった。

 

とはいえ、これも、日本で販売されているお隣の国で作られたハチミツとは

質が違って、比べ物にならないほど、美味しかったです。

 

 

 

 

礼拝堂の隣にステキなお庭があって、

ここで写真を撮っていたら、はちみつのビンを持っていたせいか

背中を蜂に刺されるという。。。

 

後ろで、ビービーと羽の音がしたと思ったら、

チクーッ!って。

 

痛ー!と思って服をパンパンしたんだけど、

ハチミツ持ってるから、まだ後ろにいたみたいで、

通りがかった、フランスの方がはらってくれました。

 

刺されたはずなのに、何ともなかったのは、

サン・ガルガーノさんのおかげにちがいない。照れ

 

 

 

以上、わたくしの2日間の夏休みでしたー。

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