ずっと、安心が欲しかった。
安心できる関係を
私はずっと探していた。
それなのに、
気づけばいつも
相手の言動に一喜一憂して、
ぐったりと消耗している自分がいた。
連絡が遅いだけで
急に不安が大きくなったり、
相手の言葉の温度や
態度の小さな違いを手がかりにして、
ちゃんと愛されているのかを
測ってしまったり。
そして恋が終わるたびに、
「私が感情をぶつけすぎた」
「私がもっと上手くやれていたら」
「また私が関係を壊してしまった」
そんなふうに
うまくいかない理由を
いつも自分の中に探していた。
安心を求めながら
頑張っても頑張っても
うまくいかなくて、
どうしたらそれが手に入るのか
分からなかった。
私も長い間、
恋愛で苦しくなる度に
自分を責め続けてきました。
でも後から振り返ってみると
それだけじゃなかったことも見えてきました。
そもそも、そこに「安心」はあったのか
あのときの関係を
少し距離を置いて見てみると、
連絡が来るかどうかで
胸の辺りがざわざわして
落ち着かなかった。
相手の機嫌や言い方ひとつで、
自分がここにいていいのかどうかまで
揺らぐように感じていた。
相手の反応で、
自分の価値まで決まってしまうような
感覚があった。
「ここにいていいんだ」と思える感覚より、
嫌われないかどうかを気にしている時間の方が
ずっと長かった。
思い出すほどに
あの関係の中で感じていたのは、
安心よりも、緊張の方が多かったように思います。
私がうまく相手を信じきれなかったから
関係が壊れたのだと思っていたけれど、
もしかしたらあの関係は、
最初から、私が安心して寄りかかるには
少しこころもとない場所だったのかもしれない。
そんなふうに感じるようになりました。
なぜ安心のない場所を選んでしまうのか
本当は、安心したかった。
穏やかな関係を望んでいたはずなのに。
最初は、
「この人なら大丈夫そう」と思って始まる。
でも、一緒に過ごしていく中で
少しずつ見えてくるものがあって。
気づけば
どこか安定を求めていない人とばかり
関係が深くなっていた。
それは恋愛がうまくできなかったからでも、
何かが足りなかったからでもなくて。
私たちの心は、どれだけ苦しくても、
「昔から慣れてきた感覚」の中に
安心を見つけようとしてしまうところがあって。
もしこれまでの人生で、
緊張や不安を感じながら
誰かと関わってきた時間が長かったなら、
何も起きない穏やかさよりも、
どこか不安定で、
少し気を張っていないといけないような場所の方が、
しっくりきてしまうことがあるんだと思います。
「知っている場所」に帰ろうとしていただけだった
そう考えると
本当は安心したかったのに、
なぜかいつも
少し不安になる人を選んでしまっていたのは、
ただ知っている感覚の方に
帰ろうとしていただけだったのかもしれない。
最初から
安心が育ちにくい関係を選んでいて、
その安心が続きにくい場所の中で
どうにか安心したくて、
もがいていた。
それはきっと、
そうやってもがくことでしか
自分を保てなかった
当時の精一杯のやり方だったのだと思います。
責める手を少しだけ休めて
「私が悪かったのかもしれない」
「私がうまくできなかったからかもしれない」
そうやって自分を責めてしまうのは
それくらい
その関係を大切に思っていたからだと思います。
そして同時に、
失うことが怖くて
そう思わずにいられなかったのだと思います。
もし今、少しだけ立ち止まれるときがあるなら。
「あの関係は本当に
私が安心していられる場所だったのかな」
そんな問いを、
そっと自分の中に置いてみてもいいのかもしれません。
すぐに答えが出なくても
そうやって思い返してみることで
「全部、自分のせい」だと思っていた出来事が
少しずつ、違う形で見えてくることもあるから。
そして今、苦しい最中にいながら
動けずにいたとしても大丈夫。
手放すことが
痛くて怖くてどうしようもないときもあるから。
どうしてこんなに痛いのか。
どうしてこんなに難しいのか。
それもまた、これから書いていきます。
このブログでは、
恋愛や対人関係の中で
「私が悪いんだ」と自分を責めてきた私が
愛着や心の仕組みを知りながら
少しずつ、自分との関係を育て直してきた過程を
そのまま言葉にしています。
もしどこかで
重なるものがあったなら
「私だけじゃなかったんだな」と
この場所をふと思い出してもらえたらと思います。
