ちゃんとしてきたはずなのに
どうしてこんなに苦しいんだろう。

周りに合わせて
空気を読んで
問題が起きないようにしてきた。

怒らせないように
嫌われないように
ちゃんとした人でいようとしてきた。

それなのに生きづらさは消えなくて。
ひとりになると
気持ちが落ち込んだり
どっと疲れが出る。

ああ、
気づかないうちに
ずっと気を張っていたんだなって
後から分かる。



それは
あなたが弱いからでも
頑張りが足りないからでもなくて。

そうするしか
自分を守る方法がなかったのかもしれません。

私もそんな感覚の中で
長い間生きてきました。


もし同じように
ちゃんとしてきたのに苦しいと感じているなら
どこか重なる部分があるかもしれません。



 「ちゃんとしている私」は、ここにいるためだった


たとえば


場の空気を読むこと。

相手の機嫌を気にすること。

自分の気持ちより、周りを優先すること。

先に「大丈夫な人」になること。


周りからは

気が利く人、優しい人、

ちゃんとした人に見えることも多い。


でもその奥には


そのままの自分でいたら

受け入れてもらえないかもしれない。


期待に応えられなかったら

価値がなくなるかもしれない。


そんな怖さが

隠れていることがあります。



私はずっと


そのままの自分でいていいと感じるより先に

どう振る舞うべきかを覚えてきました。


どうしたらここにいられるかを

いつも先に考えて

選んできたのだと思います。


そうしていれば、関係が壊れない気がしたから。

そうしていれば、見捨てられない気がしたから。

そうしていれば、ここにいても大丈夫だと感じられたから。


“ちゃんとしている私”は

そうやって少しずつ作られてきました。



つまりそれは


性格ではなく

自分を守るために

身に付けてきたやり方だったのだと思います。


ちゃんとしていないと

ここにいられない。


そんな前提があったとしたら

その“ちゃんとした”振る舞いは

ここにいてもいいと感じるための

支えでもあったのかもしれません。




 ひとりになったときに気づくこと


誰かといるときは

そこまで苦しさを感じずに過ごせていても


ひとりになると

どっと疲れが押し寄せてくる。

思っていたより、ずっと消耗していた。


それはきっと

ずっと気を張っていたからだったんだと思います。


その場に合わせて

相手に合わせて

自分の気持ちより先に動いてきた分だけ


ひとりになったときに

その反動が返ってくる。


「ああ、ずっと力が入っていたんだな」って

そこでやっと気づく。


ちゃんとしている人ほど

外からは見えにくいところで

沢山の判断や調整を繰り返しています。


外側では問題なく過ごせていても

内側ではずっと緊張が続いていたのかもしれません。


これを言ったらどう思われるだろう。

ここで黙った方がいいかな。

空気を悪くしていないかな。

相手を嫌な気持ちにさせていないかな。


そんなふうに

無意識にずっと周りに意識を向け続けていたら

疲れるのは無理もないことなのだと思います。




 “どう振る舞うべきか”を優先していた


あの頃の私は


何を感じているかよりも

どう振る舞うべきかを先に考えていた。


本当はどうしたいのかよりも

どうするべきかを優先していた。


そうやって

自分の感覚を後回しにするやり方が

当たり前になっていた。


本音を出すより、先に整える。

助けを求めるより、先に頑張る。

感じるより、先に合わせる。


そういうやり方で

なんとか関係を壊さないように

居場所を失わないように

自分を守ってきたのだとしたら、


今感じているこの苦しさは

長い時間をかけて積み重なってきた

緊張の名残なのかもしれません。




  変わるより先に知ること


ちゃんとしてきたはずなのに

満たされない。報われない。

虚しい。苦しい。


私はずっと

「どうしてこんなに苦しいんだろう」

「何がいけないんだろう」

「どうしたら私は変われるんだろう」

と考えていました。


でも今は


必要だったのは

自分を責めることでも

無理に変わろうとすることでもなかったんだと思います。



「私はこうやって守ってきたんだな」って

ただ、知ることだった。


どうして空気を読んでしまうのか。

どうして先に合わせてしまうのか。


そうせざるを得ない理由があったこと。


それを見ていくうちに

今までの自分の行動も

「そうするしかなかったんだ」と

思えるようになっていきました。


自分に向ける眼差しも

少しずつやわらいでいったように思います。




 そのままの私でも、いい


すぐに変わらなくてもいい。


ちゃんとしてしまう自分がいてもいい。


「私はこうやって守ってきたんだな」って

気づけるだけで


少しずつ

自分との関係は変わっていきます。


“ちゃんとしなきゃ”ではなく

“そのままの自分でも大丈夫かもしれない”


そんな感覚に触れていく。


そしてその先に

「どう生きたいか」を

選び直していく時間が

始まっていくのだと思います。




このブログでは
生きづらさを抱えて
ずっと変わりたくて変われなかった私が
自分に戻っていくまでの過程を
そのまま言葉にしています。

ちゃんとしてきたのに苦しいこと。
分かっているのに変われないこと。
安心したいのに、うまく力が抜けないこと。

そういう苦しさを
無理に変えようとするのではなく
愛着のあり方や
これまで自分を守ってきた反応をたどりながら
ひとつずつ、丁寧に言葉にしていけたらと思っています。

傷や揺れがあっても、自分を置いていかずに生きていく。
「それでも、私を生きていく」ために。

もしあなたの心に重なるものがあったら
この場所を
ふと思い出してもらえたら嬉しいです。