2023 京大文系第一問 福田恆存『芸術とはなにか』

 

A:全体概観・問の骨格

 

(一)観客が受動に堕した近代演劇に対して、本来の演劇はむしろ観客の主体性によって作られ、(二)俳優と観客が一体となった相互の精神運動であった。(三)主体的なあり方にこそ精神の自由があるはずだが、(四)近代は内面が重視され、自我に対する固執が、芸術を自己が生きるための有用な知識の表現と受容(受動)という形に変質させ、相互の精神運動は消えた。(五)芸樹の想像や鑑賞でさえ、人が閉ざされた内面に向かう孤独な営みとなったのであり、それは我々が生きる現代社会は誰でもが孤独に陥っていることを示している。

 

B:Cに示す解答例の接続による全体要旨

 

(一)近代演劇は舞台上の俳優の演技を観客が見るだけのものとなってしまったが、元来は観客が主体となり俳優との相互作用によって劇場全体で実現される演戯であった。(二)演劇は、共有する時空において観客が問を発し俳優が答えるという相互の精神運動によって創られるものであり、主客時空を分離、固定する(映画のような)在り方で達成されるものではない。(三)単に演技者が日常生活を演じる技を見るだけのものには鑑賞者の精神の自由はなく、生きている自覚を感じさせる主体的な在り方への欲求は満たされない。(四)自我に囚われた近代において、(芸術も)自己を閉ざしたままその内面に資する有益な知を得ようとするもの(となってしまった)。(五)芸術の創造や鑑賞において主客が分離され、相互の自由な精神運動に基づく自己の能動性や他者との一体感が失われる中で、人々が生きるための知識を内的に得ようとするがゆえにかえって孤独に陥っていく現象は、まさに近代以降の社会全体の在り方の縮図を示しているということ。

 

C:各設問メモ

 

■設問一

「ドラマは《為されるもの》であります」はどういうことか、説明せよ。(三行)

解答例

近代演劇は舞台上の俳優の演技を観客が見るだけのものとなってしまったが、元来は観客が主体となり俳優との相互作用によって劇場全体で実現される演戯であったということ。

■解答メモ

・基本的には次の対立を書く

近代演劇=舞台(切断された枠)・観客→俳優の演技を見る(受動・静的)

本来演劇=劇場全体・観客→主体となって創る演戯(能動・動的)

・観客の主体性が主だが、劇場全体とあり、また後の記述から俳優との相互性とする

・演技と演戯の対立は後の記述から拾ったが、ここで無理に拾わなくてもよいと思う。

 

■設問二

「この呼吸は映画では不可能です」のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。(三行)

解答例

演劇は、共有する時空において観客が問を発し俳優が答えるという相互の精神運動によって創られるものであり、主客時空を分離、固定する(映画のような)在り方で達成されるものではないから。

■解答メモ

・傍線部「この呼吸」は、その前に書かれている俳優と観客の緊密なやりとりの例を指しているが、それは次の部分で「観客=問う」→「俳優=答える」という観客を主体にする形で言い換えられている。「問いとは精神の可能性について精神自らが発し」「答えはその限界にまでゆきつくこと」「問いがそのまま答えにならなければならない」は難しいが、「一体化された精神の運動」と取りたい。

 

■設問三

「そのくらいなら、見せられるより見せる側にまわったほうがよっぽどおもしろい」のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。(三行)

解答例

単に演技者が日常生活を演じる技を見るだけのものには鑑賞者の精神の自由はなく、生きている自覚を感じさせる主体的な在り方への欲求は満たされないから。

■解答メモ

・傍線部「そのくらいなら、見せられるより見せる側にまわったほうがよっぽどおもしろい」に沿えば「単なる日常生活の模写を見せられるくらいなら、作り手になった方が主体として精神の自由が得られる」となるが、各問の解答が全体要約を構成するという視点から、あえて「主体性・精神の自由の欠如」という書き方を取った。

 

■設問四

「教養とはそういう自我の堆積にほかなりません」について、筆者がここで言う「教養」とはどのようなものか、説明せよ。(二行)

解答例

自我に囚われた近代において、(芸術も)自己を閉ざしたままその内面に資する有益な知を得ようとするもの(となっってしまった)。

■解答メモ

・「自我」は、近代が個人を自己責任において自由な主体と位置付け、内面・精神によって自己を統一管理することで、変わらぬ自己・アイデンティティーを要請したことによって重んじられた。それは「自分はいかにあるべきか」「本当の自分は何か」という問いにつながる。誰もがそれを探し、しかもそれは内面に向かう閉ざされた思考だったということになる。

・「教養」とは「自我の堆積」と書かれているように、「知識」であり、固形物として堆積されるものである。それ以前に述べられた「他者との精神の相互運動」と対立される。

 

■設問五

「現代では、芸術の創造や鑑賞のいとなみにおいてさえ、だれもかれも孤独におちいっている」はどういうことか、本文全体を踏まえて説明せよ。(五行)

解答例

芸術の創造や鑑賞において主客が分離され、相互の自由な精神運動に基づく自己の能動性や他者との一体感が失われる中で、人々が生きるための知識を内的に得ようとするがゆえにかえって孤独に陥っていく現象は、まさに近代以降の社会全体の在り方の縮図を示しているということ。

■解答メモ

・基本的には今までの記述の要約であるが、傍線部に「さえ」とあるので、「芸術の営みでさえ孤独なのだがら、まして現代人の生活全般はなおさら孤独だ」という解答のニュアンスが必要だろう。この形でうまくまとめられないので解答例では「芸術の営みは現代社会の縮図を示している」という骨格で書いてみた。