学生時代、やけに金のない時があった。と言って、それが金のある時があったということを意味しているわけではなく、だいだいはいつでもピーピーしていたのである。

 

ざっと当時の生活を振り返ってみると、下宿代が1万6千円、光熱費何やかんやで大体それで2万5千円の支出。食費、雑費が1日1000円として1カ月で3万円。それだけで収まり切れない分を5千円として加えると、全体の合計が6万円ということになる。当時の仕送りが6万円であったからそれだけで仕送り分がピッタリとなくなったわけである。

 

ただテニスをやっていた関係で1日1000円で食費を切り上げるのは難しかったし、靴やウエアーやラケットがダメになれば買わなければならなかった。また大学生ということで酒の付き合いもせねばならなかった。そんなこんなを考えてゆくと、いかに僕の財政が逼迫していたかがお分かりいただけるかと思う。

 

服など買える余裕はなく、秋風が冷たくなるころには学生服を着て大学に通っていたのである。アルバイトをしたかったのだがテニスの練習の関係で思うように時間が取れず、試験や盆、正月の長期の休みを利用して稼いだアルバイト代は、年4回ある合宿やもろもろの遠征の為にとっておかなければならなかった。

 

だからスネかじりと罵られようが仕送りの親の金に頼らざるを得ず、仕送りの日を一ヶ月の間毎日待ち焦がれながらノートに1日の支出を書き並べて、貧乏をぼやきながら暮らしていたのである。仕送りを2、3日前にして5百円位しか残っていないことも多かった。

 

 

 

さてある時、仕送りを受け取って下宿代と借金を払ったら4千円しか手に残らない時があった。

借金といっても別に不埓な生活をしていたわけではない。遠征の最中に雨が降りその分の宿泊費が余分にかかり、また神戸の大学を迎えて定期戦をしていたのだが、その2泊3日の応待(飲み会)のための費用が3万円ほどかかっていたのである。

 

4千円しか残っていないということを最初は現実の問題としてどう受け止めて良いのか分からなかったのだが、一週間分が1000円、一日にならすと140円と思い至った時、頭がチリチリとして殆どパニック状態に陥った。簡単に言うと驚いたのである。

 

どうしようという当然の疑問が胸に沸き起こったのだが、それで暮らすより外に手はない。そこで、仕方なく3000円を持って買い物に出掛け、米、徳用スパゲティ、マカロニ、ジャガイモ、ニンジン、キャベツ、シチューのルーなど、とにかく長持ちしそうなものをギリギリ一杯買い込んだ。

 

これである程度までの生活が保障されたことになるのだが、手元にある現金が1000円というのは実に心もとない。1日平均33円しか僕の自由になる金がないのである。「金がない、食うものがない」という状態は決して心を豊かにはしない。いつでもどこかに欠落したものを背負っているようで落ち着かない。被害妄想、嫉妬、疎外感などという感情が思わず湧き起こって来たりもする。

 

さて、食糧品を買い込んだところから僕のこの月の生活が始まる。まずシチューを鍋一杯作り、それを冷蔵庫に入れておき、少しずつ温めてはご飯を炊いて食べた。そればかり食べていると飽きるのでパンを買って来てシチューを付けて食べ、またスパゲッティーにシチューをかけては食べた。

 

そんな風にして1週間から10日ほど過ごすとシチューが底をついてしまったので、しなびかけたキャベツとニンジンと玉ネギで野菜炒めを作った。延々と4、5日、野菜炒めの日々。野菜が底をつくと今度はジャガイモを砂糖と醤油で煮た。肉も何も入っていないイモだけの肉ジャガ

 

それでもまだ料理が出来るものがあったときはよかった。ジャガイモが尽きてしまうと僕に残されたのは、僅かな米とパンとスパゲッティーとマヨネーズと生ノリ(忘れもしないが永谷園のゴハンデスヨ)だけだった。仕方なく、ご飯にマヨネーズスパゲッティーにゴハンデスヨ、といった日々が続くことになる。ご飯にゴハンデスヨは当然としてもパンにマヨネーズのおいしさには感動した。食パンにマヨネーズをつけオーブントースターで焼くのだが、あの香ばしい匂いは何とも言えない。諸氏におかれても良かったらやってみて欲しい。

 

ただ悲しいことにマヨネーズはすぐに尽きてしまったのである。後にはご飯とゴハンデスヨが残り、ご飯が尽きるまで、ちびちびとゴハンデスヨをつけながら食いつなぐことになるのだが、3000円で買ったものが総て尽き果てたのは、こんな生活を始めて3週間が経過しようとするころだったのである。


めしを食わないというのはヒモジイものである。特に運動をしている身に、それはこたえた。最初は3食食べていたものが、やがて2食となり、1食となって行く。更に全くなくなってしまうのだが、まだコメのあるうちは昼メシが何としてでも食べたかった。テニスは大体1日4~6時間の練習を午後にやっていたから、昼メシ抜き、晩メシ粗末では苦しかった。

 

それで、朝、握り飯を作りそれを学校に持って行った。これも最初のうちは梅干しを中に入れノリを巻いていったりしたのだが、ノリが切れると塩だけで握り、梅干しが切れるとカツオブシに醤油をまぶして入れ、そのカツオブシも尽きてしまうと例のゴハンデスヨをオニギリの中にちょっと添えた。そういうオニギリを人前で食べるのは何とも恥ずかしく、昼メシ時になるとコソコソと誰もいない講義室に入って食べたりしたのを覚えている。


 

 

そんなこんなで金も食料も尽きてしまったのだが、そんな生活を続けていると奇妙な衝動に取り付かれるものらしい。

ある晩、突然わけもなく缶ジュースが飲みたくなった。

 

ちょうど6月の暑くなり始めたころだったせいかも知れない。喉が焼け付くような炭酸飲料が欲しくてたまらなくなってしまった。一度そういう想いに取り付かれるとなかなかそれをふりほどくことが出来ない。だんだんにその想いが強くなって行き、最後にはそれはそうならなければいけないものとして頭の中に君臨してしまう。何をしても缶ジュースのことしか思い浮かべられないのである。

 

当時は、缶ジュースは100円時代に入って間もないころだったが、下宿の前の酒屋の自動販売機には一本だけ70円のキリンレモンが入れられていた。70円くらいならあるかもしれないとゴソゴソ探してみると、コロコロと60円までが案外たやすく見付かった。


ところがあと10円が「ない」。机の中を引っかき回し、タンスの中を調べ、洋服のポケットもすべて探ってみたのだが見付からない。置いてある本のページもめくったが、ない。
「だめだ、諦めよう」と思っては、「いや10円くらいどこかにあるに決まっている」という気持ちに衝き動かされる。殆ど真剣さを通り越して必死になっている自分をひょっとしたら馬鹿かもしれないと思いながら、2、3回も調べたところをもう一度、もう一度と調べ直している。

 

何故僕には10円がないのだろう」「僕に10円が与えられないのは間違っている

必死の抵抗むなしく最後まで10円を見付けることは出来なかった。いたたまれず、むなしく、やるせなかった。これが「徒労」というものであろうと僕は思った。
もし神がいるのなら呪ってやりたい気持ちに駆られたが、僕に最後の10円を与えてくれず、しかも60円までを見付けさせ生じっかな期待を抱かせた神というのは、ひょっとしてその名を貧乏神というのではないかとこのごろ思ったりしている。


 

 

さて仕送りを4、5日後に控えたある日、僕はとうとうダウンしてしまった。その日下宿に帰ろうとして踏切の前で電車の通過を待っていると、突然辺りがサーッと白くなってそこにヘタヘタと座り込んでいたのである。


体がだるく頭が重い。風邪をひき始めているようだった。布団に転がって、あと5日大丈夫だろうかと散漫な頭で考えていたが、テニスはやらなくてはならないし周囲の友人に迷惑をかけるよりはと10円持って親に電話を掛けに出掛けた。仕送りを早めてもらおうと思ったのである。

 

電話に母親の声が聞こえ、元気かとか何か話をしようとするので、「今10円でかけているから用件だけ言うから」と言い置いて、「早めに金を送って欲しい」と言うと、「そんなにないの」と聞くから、「そうです」と言うと、また何かいろいろしゃべろうとする。「もうすぐ切れるから」と念を押すと、「電話代もないのか」と聞くから、「そうです」と答えると、「馬鹿、そういうときはもっと早く電話をしなさい」とオフクロが言った瞬間に電話が切れた。

 

これで金にお目にかかることが出来る、とホッとしたと同時に、親のありがたさ、親の金で大学に行かせてもらっていることの重みを今更のように思った。時には反抗し、時にはうるさく思い、たまらなく家を離れたいと思っていた僕が、家を実際に離れてみて親に支えられていなければ自分はあり得なかったと思うことが出来ただけでも一人暮らしさせてもらってよかったなと思ったりした。離れてみなければ分からないこともあったわけである。

 

今は家賃だけで5万円くらいは出て行ってしまうのだろう。受験と下宿生活の準備だけで300万円かかるという人もいる。「仕送りは最低10万円欲しい」などと思うかもしれないが、単純計算で4年間48か月であれば、基本的な生活費だけで480万円、学部によって違うが、例えば入学金25万円、学費年間100万円+α×4年・・・そうして考えれば、大学を一人出すまでに優に1千万円がかかる。それは、今の僕の年収よりはるかに高い。留学でもすれば・・。あるいは、大学生が兄弟姉妹で二人以上いれば・・と想像してみると、親がどんな思いかわかるかもしれない。
なんだか説教じみてきたが、そんなことも考えてみるといいのではないかと思う。

 

「メシを食う。それは、結構に大変なことなのだ」と。

 

→土竜のひとりごと:第7話