2008 東大 第一問 宇野邦一『反歴史論』 2021/3改訂

 

ここに示す解答例は、解答自体が全体構成の一部を担っているとい考え方に重きを置き、解答例の並びが全体要約を構成するようなかたちで解答を試みたものです。試案にすぎませんので、その点ご了解ください。よろしければ→「このページ」をお読みください。

 

(A)本文の構成

 

第①段落 歴史とは何か?

歴史の曖昧性

・あったことか? 書かれたことか?

・画定できない曖昧で巨大な領域に支えられている

→神話、伝承などの「物語」が情報源 →設問(一)

第②段落

歴史=記憶の一形態に過ぎないとする考え方→歴史からの離脱要請

(何故か?)

歴史の恣意性  設問(二)

・史料=記憶の記録=記憶の記憶

→記憶行為に付随する主体性主観性(記憶の操作)を免れない

・歴史=相対的に勝ちをおさめてきた、国家社会の代表的価値観によって中心化し、成員の自己像の構成する言葉・表象

人間の歴史の狭小性 設問(三)

・記憶=人間の歴史を上回る広がりと深さ

情報メモリー・物質、遺伝子の記憶

 ・人間の歴史=局限され、一定の中心に向けて等質化された記憶

第③段落

歴史の強迫性 設問(四)

・歴史=記憶の集積+成果の集積(言語・制度・破壊・再生など)

→(神の決定のごとく)「私(身体・思考・存在など)を決定」

(にもかかわらず)

歴史への自由意志 設問(五)

・歴史からの離脱意志=私の自由な選択・抵抗の意志の軌跡

(しかも)

・歴史=「強制力・決定力」+「自由意志」=矛盾なく混在

+「怜悧な選択」+「盲目の選択・気まぐれ」

■筆者=歴史からの自由を問いつつ、完全な自由を欲してもいない。

歴史=無数の他者の行為、力、声、思考、夢の痕跡。それらとともにあることの喜び、苦しみ、重さ

 

(B)論と設問の問の基本骨格

設問(一)=意味段落①  歴史の曖昧性(膨大で曖昧な領域が背景)

設問(二)=意味段落②A 歴史の恣意性(代表的価値観による中心化)

設問(三)=意味段落②B 人間の歴史の狭小性(局限・等質化)

設問(四)=意味段落③A 歴史の強迫性(私を決定)

設問(五)=意味段落①~③A+③B

歴史は歴史の強迫性と自由意志の混在に生きた他者の痕跡とともにある喜び、苦しみ、重さ

 

(C)全体要約と問の役割

設問の解答を、それをつなげれば全体要約となるように解答を作成したもの。 以下、(漢数字)は設問番号。それぞれに「~ということ」「~から」などの解答末尾を付けると解答そのものになる。 内容把握しやすいように、解答例は80字弱とやや長めに作成。

 

(一)歴史とは何かを考えるとき、歴史が、書かれなかったことは勿論、書かれたからあったとも言えない事実として画定不能な膨大な領域を対象としていることを考えなければならない。(二)歴史は、個人や集団の主観を伴う記憶の一形態であり、社会の代表的価値観によって恣意的に選び取られ、成員の自己像を作るための言葉や表象の一つにすぎない。(三)(一方)記憶は物体や生体の至るところに刻み込まれた多様な情報までをも含むものであり、人間社会に即して中心化、等質化された歴史よりも遥かに広く深いものである。(四)歴史を人間の歩みの記憶、成果の集積として神の決定のごとくみなす考え方をすれば、歴史は、個人を束縛し実存の在り方までを規定するものとして作用することになる。(五歴史は権力により恣意的に作られ我々の生を規定するが、そうした歴史に対する自由とは、歴史が一方で自由への意志や偶然をも矛盾なく混在させるものと認識し、そこに生きた無数の他者の喜悲と繋がり、自らもそうした一人として生きる責任を負うことにある。

 

(D)各設問メモ

 

設問(一)

「歴史学の存在そのものが、この巨大な領域に支えられ、養われている」とあるが、どういうことか、説明せよ。

■解答主旨=歴史学は膨大で曖昧な領域を前提として成立している。

■解答のポイント(メモ)

・基本的には歴史学の領域の広さと曖昧さを記述すればいい。

■解答例

歴史とは何かを考えるとき、事実として画定できない曖昧かつ膨大な領域に依拠して歴史学が存在していることを踏まえなければならないということ。

 

設問(二)

「歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ」とあるが、どういうことか、説明せよ。

■解答主旨=歴史の恣意性(代表的価値観による中心化 + 成員の自己像を構成)→記憶の一形態に過ぎない。

■解答のポイント(メモ)

・「相対的に勝ちをおさめてきた言葉」が分かりにくいようであるが、次のように書かれている。「史料は記憶の記憶であり、記憶である以上、主体性と主観性を免れない。しかもそれは「「自己像を巡る闘い・言葉とイメージの闘争」に「相対的に勝利」した「代表的価値観によって中心化され」社会の「成員の自己像を構成する役割」を担ってきた、と。これを簡潔に言ってしまえば、「勝者による恣意的な歴史」というニュアンスを汲むことが分かる。

■解答例

歴史は、個人や集団の主観を伴う記憶の一形態であり、社会の代表的価値観によって恣意的に選び取られ、成員の自己像を作るための言葉や表象の一つにすぎないということ。

 

設問(三)

「記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている」とあるが、それはなぜか、説明せよ。

■解答主旨=記憶の広さ、深さに対する人間の歴史の狭小性(局限・等質化)。

■解答のポイント(メモ)

・人間の歴史に対して、それをを遥かに上回る「記憶」を対立させて書けばよい。が、それをどう書くかが難しいかもしれない。拾うとすれば「物質の記憶・遺伝子という記憶」が適切かと思うが、他社の解答例では「情報や物質や生命までに」(赤本)「物質的、生命的な痕跡」(青本)「物体や生体の至るところに」(河合)と抽象化されて上手いと思う。ここでは河合塾の表現を借用させていただいた。

■解答例

記憶は物体や生体の至るところに刻み込まれた多様な情報までをも含むものであり、人間社会に即して中心化、等質化された歴史よりも遥かに広く深いものであるから。

 

設問(四)

「歴史という概念そのものに、何か脅迫的な性質が含まれている」とあるが、どういうことか説明せよ。

■解答主旨=歴史の強迫性(私を決定)

■解答のポイント(メモ)

・「歴史の強迫性」ということでは、例えば普通は「歴史=個人から集団を貫く記憶と成果の集積→社会の隅々までを形成している→そこに存在する個人はその束縛から逃れることはできない」という解答の骨格が妥当とも思うが、あえて次のように書いてみた。「歴史という(概念)」という傍線部の語句を生かし、設問五の筆者の歴史観と対立する歴史観として、この問の解答を置いてみた。

■解答例

歴史を人間の歩みの記憶、成果の集積として神の決定のごとくみなす考え方をすれば、歴史は、個人を束縛し実存の在り方までを規定するものとして作用することになるということ。

 

設問(五) 

「それらとともにあることの喜びであり、苦しみであり、重さなのである」と歴史について述べているが、どういうことか説明せよ。

■解答主旨=歴史の強制力と自由・偶然が矛盾なく混在→歴史=生きた他者の痕跡とともにある「喜び」「苦しみ」(→悲喜)「重さ」(→責任)

■解答のポイント(メモ)

・これ以前の内容は歴史の「狭小性・恣意性・強迫性」を書き、歴史が我々を縛るものとして書かれてきたが、ここでは、歴史の「自由意志・怜悧な選択・偶然(盲目の選択・気まぐれ)」を書き、両者が矛盾なく存在しているとしている。

・傍線部「それら」は「無数の他者の・・痕跡」である。「喜び、苦しみ、重さ」について書く必要があるが、特に「重さ」については「自らの歴史を担う責任」と類推する。

■解答例

歴史は権力により恣意的に作られ我々の生を規定するが、そうした歴史に対する自由とは、歴史が一方で自由への意志や偶然をも矛盾なく混在させるものと認識し、そこに生きた無数の他者の喜悲と繋がり、自らもそうした一人として生きる責任を負うことにあるということ。