2012 東大 第一問 河野哲也『意識は実在しない』 2021.3改訂

 

ここに示す解答例は、解答自体が全体構成の一部を担っているとい考え方に重きを置き、解答例の並びが全体要約を構成するようなかたちで解答を試みたものです。試案にすぎませんので、その点、ご了解ください。よろしければ→「このページ」をお読みください。

 

(A)本文の構成

 

第①段落 

環境問題の原因=テクノロジーの発展だけでなく近代の自然観そのものに原因

 

第②段落 

近代科学の自然観 

①機械論的自然観=法則に従って動く機械に過ぎないとした

②原子論的還元主義=微粒子に過ぎないとした

物心二元論・・(①②=自然は原子と法則)を前提

物理学的世界(意味・価値の排除)= 客観的な真の姿

知覚世界(意味・価値を付与) = 主観的表象

→ 二つを全く異質なものと見なした設問一

・自然の意味や価値は人間によって与えられる(自然に対して人間の精神が上)→設問二

・自然は特殊性(場所性、歴史性)を奪われ、何の個性もない微粒子と法則に過ぎない。

→自然の徹底的搾取に躊躇を覚える必要はない日々の栄養摂取と同じ設問三

 

第③段落

近代の人間観=近代の自然観と同型

・個人を共同体の桎梏から脱却→個人を自由な主体として約束・人権の概念を準備

(しかし)

個人から特殊な諸特徴(具体的特徴・歴史的背景・文化社会的アイデンティティ等)を排除、原子のように単独存在、規則や法に従って働く存在と捉えた。(機械論・原子論的人間観)

=(人間)→アイデンティティを失った根なし草・交換可能な個性のない個人

標準的人間像の規定

=標準から外れるマイノリティの排除=設問四

 

第④段落

生態系=全体論的存在=相互に作用し、長い時間をかけて独特の個性、歴史性、場所性、時間性を形成

自然破壊→生態系の特殊性を見逃し、自然を分解可能な資源とのみ見なした「近代の自然観・人間観」による悲劇的帰結設問五

 

(B)論と設問の問の基本骨格

 

設問(一)=意味段落①

近代の自然観=物心二元論①=物・心を分断→自然を「物」(微粒子と法則)とした

設問(二)=意味段落②A

近代の自然観=物心二元論②=「物」より「心」を上位とした→没価値な自然に価値を付与するのは人間(精神)

設問(三)=意味段落②B

したがって、自然は人間に搾取利用されて当然

設問(四)=意味段落③ 

近代の人間観人間を「物」(原子・交換可能な個人)とした

設問(五)=意味段落①~③+④ 

近代の自然観・人間観が生態系の破壊をもたらした。

 

(C)全体要約と問の役割

(B)の骨格にしたがって、設問の解答を、それをつなげれば全体要約となるように解答を作成したもの。以下(漢数字)は設問番号。それぞれに「~ということ」「~から」などの解答末尾を付けると解答そのものになる。内容把握しやすいように、解答例は80字弱とやや長めに作成した。

 

(一)近代科学の自然観は、自然を微粒子と法則から成る客観的物質的世界と規定し、その知覚を介して意味づけられた表象は主観的世界であるとして、両者を峻別した(河合速報改)。(二)二元論においては、微粒子と法則に過ぎない自然それ自体に価値はなく、それに価値や意味を付与し得るのは人間の精神の所産であると考えられた。(三)精神性、特殊性を失い、「物」でしかなくなった自然を、分解し資源として搾取、利用することは、人間にとって日々の栄養の摂取と同じように躊躇を要しない(当然なことでしかない)。(四)(同じように)人間を地域性や歴史性から切り離し自由な主体とした近代の人間観は、標準的な人間像を規定して個人の個性を奪うと同時に、標準から外れた個性を排除する弊を招いた。(五)近代の二元論的発想は自然に対しても人間に対しても分解的・分析的態度を取り、全体性・特殊性を排除したが、そうした考え方自体が、長い時間の中で形成された全体論的な存在である生態系の在り方と相反し、その当然の帰結として自然破壊を招いた。

 

(D)各設問メモ

 

設問(一) 

「物心二元論」とあるのはどういうことか、本文の趣旨に従って説明せよ。

■河合塾速報が素晴らしく、引用させていただいた。

■解答主旨=近代自然観→自然はその物質性と精神性が区別された

■解答のポイント(メモ)

・形式段落⑩に「これが物心二元論である」と書かれている。「これ」の指示する内容、直前の「物理学が記述する自然の客観的な真の姿」と「私たちの主観的な表象」とは「異質なものとみなされる」という記述をそのまま解答の骨格とし、近代科学の自然観は自然を「客観的姿」と「主観的表象」に切断したと設定する。その上で「客観的姿」と「主観的表象」を第一意味段落の内容で説明する。

■解答例

近代科学の自然観は、自然を微粒子と法則から成る客観的物質的世界と規定し、その知覚を介して意味づけられた表象は主観的世界であるとして、両者を峻別したということ。(河合塾速報改)

 

設問(二)

「自然賛美の抒情詩を作る詩人は、いまや精神の素晴らしさを讃える自己賛美を口にしなければならなくなった」とあるが、なぜそのような事態になるのか、説明せよ。

■解答の主旨=人間(精神)に価値・自然(物質)は没価値

■解答のポイント(メモ)

「自然賛美」=「自然に価値を与え得る人間の精神賛美」という解答骨格よりも、(B)に示したように、設問(一)で「二元論」の「物」と「心」の切り離しを答えたなら、全体の論理構成上、設問(二)は「物」に対して「心」の優位という二元論の特徴を答えたい。

解答例

二元論においては、微粒子と法則に過ぎない自然それ自体に価値はなく、それに価値や意味を付与し得るのは人間の精神の所産であると考えられたから。

 

設問(三)

「自然をかみ砕いて栄養を摂取することに比較できる」とあるが、なぜそのようにいえるのか、説明せよ。

■解答の主旨=設問(一)(二)のように考えるならば、自然は人間に搾取利用されて当然。その考え方が環境破壊の原因となった。

■解答のポイント(メモ)

・傍線部中の「栄養摂取」は「日々の栄養摂取(食事)に躊躇を感じない」ように「自然を搾取することに躊躇を感じない」と説明したい。

・設問(一)で「物質と精神を切断」、設問(二)で「物質に対する精神の優位」を言い、「だから人間(精神)が物質でしかない自然を搾取することは躊躇する必要のない当然のことだ」という流れである。

解答例

精神性、特殊性を失い、「物」でしかなくなった自然を、分解し資源として搾取、利用することは、人間にとって日々の栄養の摂取と同じように躊躇を要しないから。

 

設問(四)

「従来の原子論的な個人概念から生じる政治的・社会的問題」とはどういうことか説明せよ。

■解答の主旨=近代の人間観は人間を「物」(原子・交換可能な個人)とした。

■解答のポイント(メモ)

・近代=「人間:自由な主体」を対立要素とし、共同体を離脱し都市に「労働力」として浮遊した人間。また、近代が目指した「普遍性」が「没個性」の「交換可能な人間」を生むと同時に、「標準」が定まることによる「マイノリティ」の排除を招来した。

・「問題」は「マイノリティ」の排除だけでなく、「標準的人間像の規定」もそうではないか。

解答例

人間を地域性や歴史性から切り離し自由な主体とした近代の人間観は、標準的な人間像を規定して個人の個性を奪うと同時に、標準から外れた個性を排除する弊を招いたということ。

 

設問(五)

「自然破壊によって人間も動物も住めなくなった場所は、そのような考え方がもたらした悲劇的帰結である」とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえた上で説明せよ。

■解答の主旨=近代科学の自然観・人間観(分解・分析)=生態系の特徴を無視=自然破壊の原因

■解答のポイント(メモ)

・自然を物と見なす「近代の自然観」が全体論的生態系の破壊を招来したと書けば説明はすっきりする。しかし、傍線部の直前に「近代の二元論的自然観(かつ二元論的人間観・社会観)の弊害なのである」とあり、またかなりの分量で「近代の人間観」を書いた筆者の意図を汲む必要がある。二つの共通点は「分解して個性をなくして利用する」「分解的・分析的な態度を取る」ということだろう。

■解答例

近代の二元論的発想は自然に対しても人間に対しても分解的・分析的態度を取り、全体性・特殊性を排除したが、そうした考え方自体が、長い時間の中で形成された全体論的な存在である生態系の在り方と相反し、その当然の帰結として自然破壊を招いたということ。